昨日仙台から気仙沼へ向かい、陸前高田などを回り、一関から新幹線で帰ってきました。
被災地の様子については伝えたいことが山ほどありますが、うまく整理できないので、追々お伝えしたいと思います。
K君の家は本当に海のすぐ前、50mくらのところでしょうか。
地震当日、津波が来るまで30分ほどの時間はあったそうです。奥様と近所に外出中だったので、至急帰宅し家にいたお母様を連れ避難しようとしましたが、なんとご高齢で足が悪いお母様の拒否にあったそうです。
もともと気仙沼の彼の家がある地区は、津波の被害が少なかった所で、写真にもあるようにチリ地震津波もこの程度で、彼の家はこの看板のこのすぐ近くですが、建物に水が侵入するくらいだったようです。ちなみに写真の車の先が海です。
また、建物が鉄筋3階建だったこと、数年前の大津波警報発令時もたいした事が無かったなども避難しない理由になったようです。
そこで彼は仕方がないので、なんと車だけ少し高いところにある兄弟の家に置きに行き、自宅に戻ったそうです。
津波は不気味な黒い固まりで高速に押し寄てきて、あっという間に自宅を包み込み、避難しなかったことを後悔したそうです。目の前には大型フェリーも流されてきて、これがぶつかったらと気が気では無かったとのことです。
彼の家は1階層が高く、実質4階建てくらいの高さがありますが、それでも2階部分の1.5mほどまで水に浸かっていました。
気仙沼が前に大島という島があったり、彼の住むところに直線的に波が来ない地形的だったこと、前に大型の鉄筋のビル、背後にも同様のビルがあり押し寄せる波にも引いていく波にも防波堤の役目を果たしりといくつもの幸運が重なったようです。1階部分は家財も流されてしまっていましたが、2階、3階はガラスも割れていませんでした。ただ、横の木造の離れは跡形もありませんでした。
とりあえずK君とその家族が無事で何よりでした。
K君の家のすぐそばの建物。もとは3階建てだったそうです。
気仙沼でも被害の大きかった鹿折地区。津波の後火災に見舞われました。
海側から見ています。大きな漁船が3隻打ち上げられたままです。