A.ケネス・クラーク「ザ・ヌード」を読む 4
現代のぼくたちの日常には、溢れるほどの画像が目に入ってくる。街を歩けば看板、ポスター、動画、巨大なビルの壁面にまで、馴染みのタレントやミュージシャンの歌や笑顔がうるさいほど被さってくる。ぼくたちはそれに馴れ切っているので、たいして感動することもなく、ただの平凡な風景のようにちらっと見て通り過ぎる。テレビやスマホの画面でも、こっちが見たくなくてもいろんな画像が勝手に登場して、さあ見てちょうだいと訴える。どの画像も映像のプロが、手間暇かけて刺戟的なイメージを瞬間的に印象づけるように作っている。それには、手書きのイラストよりは手の込んだ写真というお手軽な技術がおおいに貢献している。
近代美術の歴史のなかでは、19世紀末までは写真が大きな位置を占めていなかったから、画家が筆で描く絵画というものは、人間の眼に訴える最強のメディアだった。しかし、20世紀には写真を無視して映像アートを考えることは難しくなった。そして21世紀の美術は、デジタル映像技術抜きでは何もできないほど、テクノロジーの一元化が進んでいる。しかし、少しフォーカスを引いてみると、人間がどういう画像を見たいと欲するかという原点は動いていない。
クラークの裸体絵画の考察は、16世紀はじめのイタリア・ルネッサンスが爛熟した時期に焦点を置く。ティツィアーノはヴェネティアで活躍した画家で、古代ギリシャの理想を復活させようとした盛期ルネッサンスの高揚の中に、あえて女性の裸体画を永遠の美として定着させようと試みた画家とみる。「美しい若い女」の裸体の姿態を、自分の目の前に置いておきたいという注文主である権力者の欲望を、画家は汲み取りながら、それを完全な美として定着させようと画家は試みる。
「いま自分は古代絵画の再創造を行なっているという考えは、一五二〇年代のティツィアーノにとってはまったく意想外のものではなかったであろう。彼の《バッカナーレ》の各モティーフは、絵画の主題の古典的集成であるフィロストラトゥスの『イマギネス』から取られていたし、ヴィニョーラやサンソヴィーノの古典的建築とまったく同じく、異教世界が再生したという幻想を支え維持しようとする意図がそれらにはこめられていた。果たして古典古代でもこれほど具体的に生の充溢と肉の温かみとを表出し得た画家があっただろうか。しかしながらあらゆる真夏の祝祭において季節の初めの期待が失われているように、もはやわれわれは《バッカナーレ》にそこはかとなき誘い、初期のジョルジョーネの牧歌的作品の詩的神秘を感じとることはない。数年ほどすると、ジョルジョーネの友人でカドーレの出身者たるティツィアーノは、王侯の友人たるティツィアーノに押しのけられてしまった。そしてはだかの美しさが自然の一部として風景を構成し得るという神来のごとき想念はひとつのレアリテであることを止めた。ティツィアーノへの注文主たちははだかの婦人を嫌ってはいなかったが、女を自分だけの場所に置こうとした。かくてベッドやソファに横たわる一連の裸婦像がつぎつぎと生まれ、その最初のものが《ウルビーノのヴィーナス》となるのである。
これに対して例外がひとつある。エルスミア・コレクションの《水から上るヴィーナス》のことである。彼女は長い年月と修復によっていたんでおり、その洋紅色(カーマイン)は色褪せ、左腕と肩の線は誰か無神経な修復者の手で改変されてしまった。またティツィアーノ自身が彼女の頭部を塗り直し、今では頭と胴体がぴたりと合っていない。にもかかわらず彼女は古代以降の芸術における最も完全で最も密度の濃いヴィーナス像の表現にかぞえられよう。《田園の合奏》の笛を吹く女が十九世紀女性裸体像の形状を予告的に表わしているとすれば、エルスミアの《水から上がるヴィーナス》は今世紀のルノワールの裸婦に至って終わりを告げるこの主題の全概念を先取りしている。つまり女体はここで、一切の感覚的な重みともども、それ自体を目的にして、単独で提示されている。物語とか周囲の道具立てを口実に使うことなくこのように裸婦を提示することは、十九世紀以前にはきわめて稀であった。ティツィアーノがどんな状況のもとでこの構想を得たかを知ることができたなら面白いにちがいない。おそらく彼がジョルジョーネといっしょにドイツ人商会の装飾に幾人もの単独裸体像を描いた際、そのうちのひとりを油絵具で描いて保存しておくよう依頼されたのであろう。彼の出発点はむろん古代の作品にあり、それはおそらくマルカントニオの髪の水をしぼっているヴィーナスの版画の発想源と同一のものであった。ただティツィアーノはヘレニスティックの原作の流れるリズムを両腕によるがっしりとした矩形的なデザインに変え、大腿部すらもある程度までこれに呼応させている。
厳しい構成の伝統が裸体像の本質をなすとは、本書の主要テーマの一つとなっているものだが、ここでもう一度繰り返しそうだといいたい。ティツィアーノの裸婦がそのもっとも説得的な例証を提供しているからである。ところで官能の叙事詩人、肉を描かせたら無比の巨匠である彼にとって、ポーズや場面を無限に変化させることなどお手の物だと想像されるかもしれないが、彼が目的実現に有効だと考えたポーズの数はきわめてわずかであった。まず第一に驚くべきことには、ジョルジョーネの《眠るヴィーナス》に仕上げの筆を置いてから三十年後の一五三八年になっても、彼は《ウルビーノのヴィーナス》のほぼ全身にわたってそっくり同じポーズを用い、すでに見たように右腕と右の乳の位置しか変えていない。そして同じ形態は、彼が初期様式を取り戻そうと苦労した《パルドのヴィーナス》でも、ずっと通俗化されて繰り返し役立てられた。」ケネス・クラーク『ザ・ヌード 理想的形態の研究』ちくま学芸文庫、高階秀爾・佐々木英也訳、2004.(原著1956)pp.208-212.
写真のない時代、人間の身体に関する具体的な美的イメージは、先人の描いた絵画の中にしかなかった。女性の理想的な肉体の姿は、現実の具体的な女性の姿ではなく、神や英雄の形をとるわけだから、美と愛の神ヴィーナスはその至高の形態を実現すべきシンボルだった。そこでは、ふたつの方向がとられた。ひとつは歪曲を技法とするマニエリスムの方向であり、もうひとつは、ミケランジェロに由来する人体の構図にあった。
「コレッジオの創意になるなんとも愛くるしいとしか言いようのない表現が十八世紀に再出現するまでに、ヴィーナスはなお二度にわたって新たな観念の化身とならねばならなかった。最初のそれを便宜的にマニエリスムと名付けてよいだろう。マニエリスムという語はしばしば誤用されているとはいえ、不自然に長い手足、ありそうもなく細い胴体、気取った優雅な身のこなしなど、あるはっきりした女性美の理想型と切り離すことができない。この比例図式では古典的基準が意識的に排除されているので、ゴシック裸体像を検討する「もうひとつの流れ」の章で改めてこれに触れるつもりである。人文主義が凋落に向かってゆく時期にイタリア美術はドイツやネーデルラント諸国から形態、主題また人像を借用しているため、こうした見方が歴史的に妥当なのである。しかしわれわれがマニエリスムとよぶものはミケランジェロの表現的な形象歪曲を起源とし、女性裸体像の場合はこれにパルミジャニーノの優雅も加えなければならない。これら二つの肉体の図式はいずれも古典芸術に端を発している。ミケランジェロ作品が《ラオコーン》の群像以上に捻じ曲がることはまずなかったし、パルミジャニーノ作品がハドリアヌス帝ヴィラのストゥッコ浮彫とか彼の様式の源泉となったはずの他の後期古代の装飾以上に長く引き伸ばされたこともなかった。女体にほとんど喜びを覚えなかったミケランジェロがヴィーナス像のイメージ形成に寄与したとは、逆説的とも言えよう。しかし形態を発明する彼の力量は同時代人に非常な支配力を及ぼしたので、彼のポーズは幾つかの思いがけない文脈(コンテクスト)の中に再び出てくることになった。その一例はブロンツィーノの《愛の寓意》に見えるヴィーナスである。このヴィーナスは洗練され、華奢でしかも冷たく淫らなメディチ家の時代のエレガンスを要約しているようだが、彼女のZ字型のポーズはフィレンツェ大聖堂の《ピエタ》に見えるキリストの屍体から来ている。こうした変容への道は、フェラーラ公を喜ばせようと《夜》のポーズを《レダ》の下図(カルトン)の基本に利用した際に、ミケランジェロ自身が開いたものであった。こうしてメディチ家礼拝堂の二つの女性像は、以後半世紀にわたって、マニエリスムの装飾的裸体像のため基本材料を提供し続けたわけである。《暁》の像の先細りになってゆく四肢はますます長く流線形となり、肉の起伏がほとんど忘れられるまでとなった。例えばピアッツァ・デㇽラ・シニョリーアにあるアンマナーティ作の泉水の緑の優雅で調和のとれたニンフがそれである。
にもかかわらず十六世紀中葉のフィレンツェやヴェネツィアにおけるヴィーナスの化身たちは、その多様性と優雅の点でまず今日まで凌駕されることがない。この時期のイタリアの彫刻家は人体解剖と古来の手法とに等しく通暁していたので、人体の現象的な諸事実にまったく意のままに取り組むこともできれば、これから自由に身を引くこともできた。」ケネス・クラーク『ザ・ヌード 理想的形態の研究』ちくま学芸文庫、高階秀爾・佐々木英也訳、2004.(原著1956)pp.221-223.
ティツィアーノの裸婦像の傑作とされる「ウルビーノのヴィーナス」は、幾つかの意味で伝統的な画像のパターンをなぞっているが、同時に世俗的な注文主の無歴史的な俗情を反映してもいる。それだからこそ、同じ作者による「水から上がったヴィーナス」の圧倒的な迫力は、形態の美についてインパクトをもたらし、21世紀に生きるぼくたちにも、説明しにくい感銘を与えるのだ。
B.数字とことば、の対比
世界のあちこちで、過酷な暴力や邪悪な敵意が、罪もない人々の命を奪う事態を惹き起こしている。それを報道する日々のニュースによって、ぼくたちは世界のどこかで現実に起きている悲惨を頭で知ることはあるが、それを見る態度には二通りあることに考えがなかなか及ばない。ひとつは、現象を表現するのに数字を使うやり方。もうひとつは、個別の経験を言語化するやり方である。
「16年の歳月が告げるもの:日曜に想う 編集委員 福島 申二
記事を書いていて、人間に対しては使いたくない言葉がある。その一つが「投入」だ。普及に何百人を投入――などと書けば人をモノ扱いする語感になる。
「大量」も嫌な言葉だ。空爆がもたらした大量死――。これでは人の命を目方で量っているかのようだ。
詩人の川崎洋さんに「存在」という作品があって、末尾はこう結ばれている。
「二人死亡」と言うな
太郎と花子が死んだ と言え
かけがえのない一人ひとりの存在。それを乾いた数字の中に置き去りにするなという含意であろう。報道にたずさわる身には、胸に刺さる2行である。
然る7月25日、本誌朝刊の片隅に「カブールで爆発/市民ら36人死亡」という小さな記事が載っていた。
アフガニスタンの首都で起きたテロを16行で伝えていた。限られた労力と紙幅を思えばやむを得ないとはいえ、1人の名前も人生も、そこにはなかった。欧米のテロに比べて、こうした地域での悲劇はたいてい扱いが小さい。命は等価であるはずなのに、まなざしの差は大きい。
8月になって、本誌の「声」の欄に1通の投書が載った。このテロに巻き込まれて倒れたひとりのアフガン女性が、投稿者の筆を通して見えてきた。
◎ ◎ ◎
名前をアジザさんといった。カブールの孤児院でコックとして働き、ひとりで小さな娘さんを育てていた30代の人だという。多くのアフガン女性同様、読み書きはできなかったが、料理はとびきりおいしかったと、投稿した京都の北垣由民子さん(75)は書いていた。
3年前、女性支援のために現地を訪ねて知り合ったそうだ。「私たちが帰国する早朝、アジザさんはいつもよりおしゃれをして見送りに来てくれた……娘さんはどんなに泣いてくれるだろうか」
1通の投書が、「36」という数字の中からアジザさんを救い上げたような思われた。それとともに、命の格差を思わずにいられなかった。たとえば英国のコンサート会場で22人が死亡したテロは「世界の悲劇」になっても、アフガンの36人に世界は無表情なまま動かない。
その世界を、文字通り震撼させたのが米国でのテロだった。歴史に9.11と刻まれた日から、あすで16年になる。
テロの後、米軍はすぐさまアフガンを攻撃して凶行の温床となったタリバーン政権を崩壊させた。そのときまでアフガンは世界から忘れられたような国だった。原油もガスも乏しい国に世界の関心は薄い。援助は細り、貧困と暴力がはびこって人心は荒み、テロを生む土壌ばかりが不気味に肥えていった。
そして思いもよらぬ形で表舞台に引っ張り出されたとき、この国の人々に降ってきたのは支援ではなく爆弾だった。
◎ ◎ ◎
テロに理などない。しかしテロの根を考えるとき、アフガンの映画を撮ったイランの監督マフマルバフ氏が、このように述べていたことが頭を去らない。
「タリバーンは遠くから見れば危険なイスラム原理主義者だが、近くで個々を見れば飢えたパシュトゥン人の孤児である」。パシュトゥン人とはアフガンの主要民族の名称である。
静かな怒りをこめて、「この国に埋められたのが地雷でなく、小麦の種であったなら」とも述べていた。
9.11から16年、アフガン派兵は米国にとって、ベトナム戦争を超す「最も長い戦争」になっている。19世紀から列強の軍靴に踏まれてきた国に新たな戦火の歴史を加え、逃げ場のない民衆を巻き込んで治安は悪化するばかりだ。
アジザさんの孤児院での追悼会の写真を見せてもらった。慕われていた人柄がしのばれた。同じ地上に善良に暮らしながら、だれかを守るために、だれかが犠牲になる。人の命にも分断線がある。
川崎さんの詩やマフマルバフ氏の言葉を感傷だと言うのはたやすい。だが死者の数を積み上げてきた「テロとの戦い」で世界は安全になっただろうか。武力でなしうることの限界を、16年の歳月は告げているように思われてならない。」朝日新聞2017年9月10日朝刊、3面総合欄。
人が死ぬということは、誰にとっても軽いことではない。それは自分がいつか死ぬということの重みを感じるからだ。どういう形で死ぬかが、さらに重要な課題であることも、人生の意味を原理的に考えたときに、当然問われるはずだ。人の死を、数字で表現するのは、何十年の生きた記憶をただの人数や数量に還元して等質化する操作である。それを固有名をもつ人間の存在の抹消、意図的な人殺しの結果とみて心を傷めることは、具体的な人の表情やことばの関わりを通じてしか残らない。
現代のぼくたちの日常には、溢れるほどの画像が目に入ってくる。街を歩けば看板、ポスター、動画、巨大なビルの壁面にまで、馴染みのタレントやミュージシャンの歌や笑顔がうるさいほど被さってくる。ぼくたちはそれに馴れ切っているので、たいして感動することもなく、ただの平凡な風景のようにちらっと見て通り過ぎる。テレビやスマホの画面でも、こっちが見たくなくてもいろんな画像が勝手に登場して、さあ見てちょうだいと訴える。どの画像も映像のプロが、手間暇かけて刺戟的なイメージを瞬間的に印象づけるように作っている。それには、手書きのイラストよりは手の込んだ写真というお手軽な技術がおおいに貢献している。
近代美術の歴史のなかでは、19世紀末までは写真が大きな位置を占めていなかったから、画家が筆で描く絵画というものは、人間の眼に訴える最強のメディアだった。しかし、20世紀には写真を無視して映像アートを考えることは難しくなった。そして21世紀の美術は、デジタル映像技術抜きでは何もできないほど、テクノロジーの一元化が進んでいる。しかし、少しフォーカスを引いてみると、人間がどういう画像を見たいと欲するかという原点は動いていない。
クラークの裸体絵画の考察は、16世紀はじめのイタリア・ルネッサンスが爛熟した時期に焦点を置く。ティツィアーノはヴェネティアで活躍した画家で、古代ギリシャの理想を復活させようとした盛期ルネッサンスの高揚の中に、あえて女性の裸体画を永遠の美として定着させようと試みた画家とみる。「美しい若い女」の裸体の姿態を、自分の目の前に置いておきたいという注文主である権力者の欲望を、画家は汲み取りながら、それを完全な美として定着させようと画家は試みる。
「いま自分は古代絵画の再創造を行なっているという考えは、一五二〇年代のティツィアーノにとってはまったく意想外のものではなかったであろう。彼の《バッカナーレ》の各モティーフは、絵画の主題の古典的集成であるフィロストラトゥスの『イマギネス』から取られていたし、ヴィニョーラやサンソヴィーノの古典的建築とまったく同じく、異教世界が再生したという幻想を支え維持しようとする意図がそれらにはこめられていた。果たして古典古代でもこれほど具体的に生の充溢と肉の温かみとを表出し得た画家があっただろうか。しかしながらあらゆる真夏の祝祭において季節の初めの期待が失われているように、もはやわれわれは《バッカナーレ》にそこはかとなき誘い、初期のジョルジョーネの牧歌的作品の詩的神秘を感じとることはない。数年ほどすると、ジョルジョーネの友人でカドーレの出身者たるティツィアーノは、王侯の友人たるティツィアーノに押しのけられてしまった。そしてはだかの美しさが自然の一部として風景を構成し得るという神来のごとき想念はひとつのレアリテであることを止めた。ティツィアーノへの注文主たちははだかの婦人を嫌ってはいなかったが、女を自分だけの場所に置こうとした。かくてベッドやソファに横たわる一連の裸婦像がつぎつぎと生まれ、その最初のものが《ウルビーノのヴィーナス》となるのである。
これに対して例外がひとつある。エルスミア・コレクションの《水から上るヴィーナス》のことである。彼女は長い年月と修復によっていたんでおり、その洋紅色(カーマイン)は色褪せ、左腕と肩の線は誰か無神経な修復者の手で改変されてしまった。またティツィアーノ自身が彼女の頭部を塗り直し、今では頭と胴体がぴたりと合っていない。にもかかわらず彼女は古代以降の芸術における最も完全で最も密度の濃いヴィーナス像の表現にかぞえられよう。《田園の合奏》の笛を吹く女が十九世紀女性裸体像の形状を予告的に表わしているとすれば、エルスミアの《水から上がるヴィーナス》は今世紀のルノワールの裸婦に至って終わりを告げるこの主題の全概念を先取りしている。つまり女体はここで、一切の感覚的な重みともども、それ自体を目的にして、単独で提示されている。物語とか周囲の道具立てを口実に使うことなくこのように裸婦を提示することは、十九世紀以前にはきわめて稀であった。ティツィアーノがどんな状況のもとでこの構想を得たかを知ることができたなら面白いにちがいない。おそらく彼がジョルジョーネといっしょにドイツ人商会の装飾に幾人もの単独裸体像を描いた際、そのうちのひとりを油絵具で描いて保存しておくよう依頼されたのであろう。彼の出発点はむろん古代の作品にあり、それはおそらくマルカントニオの髪の水をしぼっているヴィーナスの版画の発想源と同一のものであった。ただティツィアーノはヘレニスティックの原作の流れるリズムを両腕によるがっしりとした矩形的なデザインに変え、大腿部すらもある程度までこれに呼応させている。
厳しい構成の伝統が裸体像の本質をなすとは、本書の主要テーマの一つとなっているものだが、ここでもう一度繰り返しそうだといいたい。ティツィアーノの裸婦がそのもっとも説得的な例証を提供しているからである。ところで官能の叙事詩人、肉を描かせたら無比の巨匠である彼にとって、ポーズや場面を無限に変化させることなどお手の物だと想像されるかもしれないが、彼が目的実現に有効だと考えたポーズの数はきわめてわずかであった。まず第一に驚くべきことには、ジョルジョーネの《眠るヴィーナス》に仕上げの筆を置いてから三十年後の一五三八年になっても、彼は《ウルビーノのヴィーナス》のほぼ全身にわたってそっくり同じポーズを用い、すでに見たように右腕と右の乳の位置しか変えていない。そして同じ形態は、彼が初期様式を取り戻そうと苦労した《パルドのヴィーナス》でも、ずっと通俗化されて繰り返し役立てられた。」ケネス・クラーク『ザ・ヌード 理想的形態の研究』ちくま学芸文庫、高階秀爾・佐々木英也訳、2004.(原著1956)pp.208-212.
写真のない時代、人間の身体に関する具体的な美的イメージは、先人の描いた絵画の中にしかなかった。女性の理想的な肉体の姿は、現実の具体的な女性の姿ではなく、神や英雄の形をとるわけだから、美と愛の神ヴィーナスはその至高の形態を実現すべきシンボルだった。そこでは、ふたつの方向がとられた。ひとつは歪曲を技法とするマニエリスムの方向であり、もうひとつは、ミケランジェロに由来する人体の構図にあった。
「コレッジオの創意になるなんとも愛くるしいとしか言いようのない表現が十八世紀に再出現するまでに、ヴィーナスはなお二度にわたって新たな観念の化身とならねばならなかった。最初のそれを便宜的にマニエリスムと名付けてよいだろう。マニエリスムという語はしばしば誤用されているとはいえ、不自然に長い手足、ありそうもなく細い胴体、気取った優雅な身のこなしなど、あるはっきりした女性美の理想型と切り離すことができない。この比例図式では古典的基準が意識的に排除されているので、ゴシック裸体像を検討する「もうひとつの流れ」の章で改めてこれに触れるつもりである。人文主義が凋落に向かってゆく時期にイタリア美術はドイツやネーデルラント諸国から形態、主題また人像を借用しているため、こうした見方が歴史的に妥当なのである。しかしわれわれがマニエリスムとよぶものはミケランジェロの表現的な形象歪曲を起源とし、女性裸体像の場合はこれにパルミジャニーノの優雅も加えなければならない。これら二つの肉体の図式はいずれも古典芸術に端を発している。ミケランジェロ作品が《ラオコーン》の群像以上に捻じ曲がることはまずなかったし、パルミジャニーノ作品がハドリアヌス帝ヴィラのストゥッコ浮彫とか彼の様式の源泉となったはずの他の後期古代の装飾以上に長く引き伸ばされたこともなかった。女体にほとんど喜びを覚えなかったミケランジェロがヴィーナス像のイメージ形成に寄与したとは、逆説的とも言えよう。しかし形態を発明する彼の力量は同時代人に非常な支配力を及ぼしたので、彼のポーズは幾つかの思いがけない文脈(コンテクスト)の中に再び出てくることになった。その一例はブロンツィーノの《愛の寓意》に見えるヴィーナスである。このヴィーナスは洗練され、華奢でしかも冷たく淫らなメディチ家の時代のエレガンスを要約しているようだが、彼女のZ字型のポーズはフィレンツェ大聖堂の《ピエタ》に見えるキリストの屍体から来ている。こうした変容への道は、フェラーラ公を喜ばせようと《夜》のポーズを《レダ》の下図(カルトン)の基本に利用した際に、ミケランジェロ自身が開いたものであった。こうしてメディチ家礼拝堂の二つの女性像は、以後半世紀にわたって、マニエリスムの装飾的裸体像のため基本材料を提供し続けたわけである。《暁》の像の先細りになってゆく四肢はますます長く流線形となり、肉の起伏がほとんど忘れられるまでとなった。例えばピアッツァ・デㇽラ・シニョリーアにあるアンマナーティ作の泉水の緑の優雅で調和のとれたニンフがそれである。
にもかかわらず十六世紀中葉のフィレンツェやヴェネツィアにおけるヴィーナスの化身たちは、その多様性と優雅の点でまず今日まで凌駕されることがない。この時期のイタリアの彫刻家は人体解剖と古来の手法とに等しく通暁していたので、人体の現象的な諸事実にまったく意のままに取り組むこともできれば、これから自由に身を引くこともできた。」ケネス・クラーク『ザ・ヌード 理想的形態の研究』ちくま学芸文庫、高階秀爾・佐々木英也訳、2004.(原著1956)pp.221-223.
ティツィアーノの裸婦像の傑作とされる「ウルビーノのヴィーナス」は、幾つかの意味で伝統的な画像のパターンをなぞっているが、同時に世俗的な注文主の無歴史的な俗情を反映してもいる。それだからこそ、同じ作者による「水から上がったヴィーナス」の圧倒的な迫力は、形態の美についてインパクトをもたらし、21世紀に生きるぼくたちにも、説明しにくい感銘を与えるのだ。
B.数字とことば、の対比
世界のあちこちで、過酷な暴力や邪悪な敵意が、罪もない人々の命を奪う事態を惹き起こしている。それを報道する日々のニュースによって、ぼくたちは世界のどこかで現実に起きている悲惨を頭で知ることはあるが、それを見る態度には二通りあることに考えがなかなか及ばない。ひとつは、現象を表現するのに数字を使うやり方。もうひとつは、個別の経験を言語化するやり方である。
「16年の歳月が告げるもの:日曜に想う 編集委員 福島 申二
記事を書いていて、人間に対しては使いたくない言葉がある。その一つが「投入」だ。普及に何百人を投入――などと書けば人をモノ扱いする語感になる。
「大量」も嫌な言葉だ。空爆がもたらした大量死――。これでは人の命を目方で量っているかのようだ。
詩人の川崎洋さんに「存在」という作品があって、末尾はこう結ばれている。
「二人死亡」と言うな
太郎と花子が死んだ と言え
かけがえのない一人ひとりの存在。それを乾いた数字の中に置き去りにするなという含意であろう。報道にたずさわる身には、胸に刺さる2行である。
然る7月25日、本誌朝刊の片隅に「カブールで爆発/市民ら36人死亡」という小さな記事が載っていた。
アフガニスタンの首都で起きたテロを16行で伝えていた。限られた労力と紙幅を思えばやむを得ないとはいえ、1人の名前も人生も、そこにはなかった。欧米のテロに比べて、こうした地域での悲劇はたいてい扱いが小さい。命は等価であるはずなのに、まなざしの差は大きい。
8月になって、本誌の「声」の欄に1通の投書が載った。このテロに巻き込まれて倒れたひとりのアフガン女性が、投稿者の筆を通して見えてきた。
◎ ◎ ◎
名前をアジザさんといった。カブールの孤児院でコックとして働き、ひとりで小さな娘さんを育てていた30代の人だという。多くのアフガン女性同様、読み書きはできなかったが、料理はとびきりおいしかったと、投稿した京都の北垣由民子さん(75)は書いていた。
3年前、女性支援のために現地を訪ねて知り合ったそうだ。「私たちが帰国する早朝、アジザさんはいつもよりおしゃれをして見送りに来てくれた……娘さんはどんなに泣いてくれるだろうか」
1通の投書が、「36」という数字の中からアジザさんを救い上げたような思われた。それとともに、命の格差を思わずにいられなかった。たとえば英国のコンサート会場で22人が死亡したテロは「世界の悲劇」になっても、アフガンの36人に世界は無表情なまま動かない。
その世界を、文字通り震撼させたのが米国でのテロだった。歴史に9.11と刻まれた日から、あすで16年になる。
テロの後、米軍はすぐさまアフガンを攻撃して凶行の温床となったタリバーン政権を崩壊させた。そのときまでアフガンは世界から忘れられたような国だった。原油もガスも乏しい国に世界の関心は薄い。援助は細り、貧困と暴力がはびこって人心は荒み、テロを生む土壌ばかりが不気味に肥えていった。
そして思いもよらぬ形で表舞台に引っ張り出されたとき、この国の人々に降ってきたのは支援ではなく爆弾だった。
◎ ◎ ◎
テロに理などない。しかしテロの根を考えるとき、アフガンの映画を撮ったイランの監督マフマルバフ氏が、このように述べていたことが頭を去らない。
「タリバーンは遠くから見れば危険なイスラム原理主義者だが、近くで個々を見れば飢えたパシュトゥン人の孤児である」。パシュトゥン人とはアフガンの主要民族の名称である。
静かな怒りをこめて、「この国に埋められたのが地雷でなく、小麦の種であったなら」とも述べていた。
9.11から16年、アフガン派兵は米国にとって、ベトナム戦争を超す「最も長い戦争」になっている。19世紀から列強の軍靴に踏まれてきた国に新たな戦火の歴史を加え、逃げ場のない民衆を巻き込んで治安は悪化するばかりだ。
アジザさんの孤児院での追悼会の写真を見せてもらった。慕われていた人柄がしのばれた。同じ地上に善良に暮らしながら、だれかを守るために、だれかが犠牲になる。人の命にも分断線がある。
川崎さんの詩やマフマルバフ氏の言葉を感傷だと言うのはたやすい。だが死者の数を積み上げてきた「テロとの戦い」で世界は安全になっただろうか。武力でなしうることの限界を、16年の歳月は告げているように思われてならない。」朝日新聞2017年9月10日朝刊、3面総合欄。
人が死ぬということは、誰にとっても軽いことではない。それは自分がいつか死ぬということの重みを感じるからだ。どういう形で死ぬかが、さらに重要な課題であることも、人生の意味を原理的に考えたときに、当然問われるはずだ。人の死を、数字で表現するのは、何十年の生きた記憶をただの人数や数量に還元して等質化する操作である。それを固有名をもつ人間の存在の抹消、意図的な人殺しの結果とみて心を傷めることは、具体的な人の表情やことばの関わりを通じてしか残らない。
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