gooブログはじめました!

写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

訴えることと・・嘆くこと 無力な存在にできること

2013-11-06 18:46:53 | 日記
A.山本太郎天皇手紙渡し事件のこと
 ぼくはあとどのくらいこの世に生きるのだろうか?そんな問いはほとんど意味はないのだが、今のところ64歳を迎えてもとくに身体にたいした異常はなく(強いて言えば左目が緑内障で少々視野が狭くなっているくらいだが老眼はまだない。暗くても文庫本は読める)、毎週6キロ30分ランニングをして結構ハードなウェイトトレーニングをこなして、同世代の人に比べれば風邪ひとつ引かずかなり元気だ。近いうちに倒れて動けなくなるような病気になるとは思っていない。二十前後の学生と一緒に動き回っても、彼らの方が先に疲れる。そうはいっても、誰だって明日死ぬかもしれないのだが。
 多くの人がそうであるように、多少健康の不安があったにせよ個人としての日常生活にさしたる支障はなく、平穏に生きているとしても、歴史的に見れば、それはある特殊な条件、もしかしたら奇跡的に幸運な条件に恵まれているから可能であるのかもしれない。どこか歯車が狂って我われの日常生活の基盤を支えているものが崩れたら、信じられないような暴力やとんでもない殺戮が起ってしまうかもしれない。歴史というものを謙虚に学んでみれば、それは珍しい事でも異常なことでもない。現に今も中東シリアやアフリカの一部をはじめ各地で無力な子どもや老人が、過酷な暴力に晒されている。そうならないように政府が自国の国民の生命と財産を守るのが、ほんらいの「安全保障」である。
 山本太郎参議院議員が、天皇に面会する行事である園遊会という場所で、私信を手渡ししたことが問題視されている。特定の立場からする政治的行為として天皇にメッセージを出すことは、政治的に問題があるとしても、それは現行憲法のもとではほとんど無意味だと思う。天皇は行政の政治的決定に口を挟むことを禁止されているし、意思を表明することすら禁止されているのだから、そもそも天皇に何かを直訴するというのは現実の政治には法的に意味はない。かつて衆議院議員田中正造が明治天皇に足尾銅山鉱毒の被害の実態を直訴して文書を送ったのは、国民の苦衷を主権者たる天皇に訴える行為としてまことに正当かつ法的にも正しいと思う。明治天皇はそれをある程度理解したにしても、歴史は特に変わらなかった。島崎藤村の『夜明け前』にも、主人公の青山半蔵が明治天皇の乗る車に歌を書いた扇子を投げ入れて事件になる話が出てくる。これも藤村の父が実際にしたことであるという。 
 明治の帝国憲法下なら、天皇直訴は処罰されるが、政治的行為としての意味はある。これに対して、日本国憲法下の境界芸能人・俳優だった山本太郎が、福島原発の問題について天皇に何かを訴えることに現実的な意味があると思っていたとしたら、それは愚かであるだろう。皇室の人々が個人として何かを思ったとしても、それは政府によって抹殺される。でも、文化人サロンの園遊会での彼の行動は大きな波紋を呼び起こした。皇室の政治利用などをもち出した下村文科相の知的レベルの愚劣はいうまでもないが、天皇制廃止を対抗文化として主張する合法政党は、共産党を含め今の日本にはない。
 国家と政府の役割は、領土領海という区切られた空間の範囲内であるけれども、国民のみならず外国人も含めたそこに生活する人々の、基本的人権、生活の自由、幸福追求の基盤条件を確保することである。そのために場合によっては武力・軍事力を行使することもありえる。ただし、その正当性はあくまで主権者たる市民国民の委託と合意にもとづいている、はずである。
 ところが、今の日本の行政府や立法府や司法に携わる責任ある人々の中には、このような前提を前提と思っていない人がかなりいる。日本という国家は、他の国とは違って、天皇という君主を戴くがゆえに精神的・民族的固有の価値を保っているのであり、「国民統合の象徴」という憲法の規定を、歴史上の絶対君主制や皇帝Emperorが統治する国家という過去のある時点で構成された観念に重ねようとする妄想を、自分の存在根拠のように思う人々が現実の権力を手にし始めている。このような状況が現実のものになるとは、ぼくは正直思っていなかった。
 もっと率直に言えば、ぼくがこの世に生きているうちに日本という国がこんな亡国的な妄想に囚われた愚かな連中に牛耳られた情けない国家になるとは、思っていなかった。妄想的な指導者が始めた60年前の戦争で、将来に希望をもつべき有為な若者が百万人単位で惨めな命を失った事実を忘れ、あの脳天気な安倍晋三氏をはじめとする政治家たちは自分に都合のよい解釈で、光輝ある帝国を21世紀に復活させることが「日本を取り戻す」ことだと信じている。だとしたら、ほんとうに救いようがない。



B.慟哭の歌:「荘子」の世界
 唯一の神が世界を作り人間を作ったとするユダヤ・キリスト・イスラームの思想にたいして、人格神をもたない儒教や道教など古代中国思想の場合は、神にあたるものは自然そのもの、それを「天」あるいは「天地」と呼ぶ。「天命」は天が人に命じるもので、皇帝などの為政者が自然に背く政治をやって民を蔑ろにすれば、天命がガラガラとひっくり返って「革命」が起る。それもまた自然に属することだとすれば、老子や荘子のテキストが述べる思想は、次のような点が強調される。頭脳明晰な賢者が皇帝や官僚のブレインになって、へたな作為で道徳や政治をいじくっても理想の世界は実現するわけではなく、無駄な努力をするよりは何もしない方が自然の摂理にかなっているという逆説的態度。しかしこれでは、悪政や天変地異にただ流され耐え忍ぶだけでいいのか、という反論が当然出るだろう。実際、老荘思想への疑問はつねに無為が最善であるという命題は受け入れられない、それは現実逃避だというものだった。
 西洋近代思想を受容する前の日本でも、素朴な自然信仰が民衆を捉えるのと並行して、為政者の正しい統治によって世界は望ましい状態にできるし、それには儒教的政治思想が有効であると考えられていた。明治以降の「近代化」は、儒教を捨ててキリスト教を巧みに排除しながら、政治権力を使った国家目標への作為的努力で日本という島国を輝かしい帝国に仕立て上げようとした。老荘思想は後にも先にも日本ではまともに採りあげられたとは言えないが、ただの現実逃避、あきらめの思想なのだろうか?また「荘子」を読んでみる。

 子輿與子桑友。而霖雨十日。子輿曰。「子桑殆病矣」。裏而往食之。
 至子桑之門。則若歌若哭。鼓琴曰。「父邪。母邪。天乎。人乎」。有不任其聲而趨擧其詩焉。
 子輿入曰。「子之歌詩。何故若是」。
 曰。「吾思夫使我至此極者而弗得也。父母豈欲我貧哉。天無私覆。地無私載。天地豈私貧我哉。求其爲之者而不得也。然而至此極者。命也天」。
【読み下し】子輿、子桑と友たり。而して霖雨すること十日。子輿曰く、「子桑は殆ど病みしならん」と。飯を裏(つつ)みて往きて之に食らはしめんとす。
 子桑の門に至れば、則ち歌うが若く哭くが若し。琴を鼓して曰く、「父か、母か、天か、人か」と。其の声に任(た)えずして趨やかに其の詩を挙ぐる有り。
 子輿入りて曰く。「子の詩を歌うこと、何の故に是くの若きや」と。
 曰く、「吾夫の我をして此の極に至らしめし者を思えども得ざるなり。父母は豈に吾に貧を欲せんや。天に私覆無く、地に私載無ければ、天地は豈に私して我を貧ならしめんや。其の之を為す者を求めて得ざるなり。然り而うして此の極に至る者は、命なるかな」と。
【現代語訳】 子輿と子桑とは友だちだった。あるとき長雨が十日も降りつづいたことがあった。子輿がいうには、「子桑はおそらく飢えて寝込んでいるだろう」。そこで彼は飯を包んでいって子桑に食べさせてやろうとした。
 子桑の家の門まで来ると、歌うような哭くような声が、琴をかき鳴らす音とともに聞こえてくる。
「父か、母か、天か、人か」。
声を出すのも苦しげに、息せいて歌を口走っている。
 子輿は家に入っていってたずねた。「君は歌をうたうのに、どうしてそんなうたい方をするんだい」。
 子桑「おれをこんなひどい目にあわせるのは何だろうと考えてみても、ちっとも分からないんだ。父や母がおれの貧乏を願うわけがない。天はすべてを平等に覆い、地はすべてを平等に載せるから、天や地がおれをことさら貧乏にするわけもない。貧乏の原因を追究したって、ちっとも分からないんだ。だのにこんなひどい目にあっているのは、運命なんだなあ」。
   福永光司/興膳宏訳『荘子 内篇』大宗師篇第六、10、ちくま学芸文庫 pp.251-253.

 何か悪いことをしたわけでもなく、ただ堅実に生きていただけなのに、どうしてこんなひどい目に遭っているのか?原因はわからない。無理矢理悪人を探したり、責任を追及したりしても何も変わらない。運命というしかない、という子桑の嘆きは、儒教から見ても近代西洋から見ても救いようのない諦念にしか見えないだろう。キリスト教なら、原因は神の意志だから神を呪わずさらに信仰を深めて神の約束を信じるしかない、ということになるだろう。しかし、荘子は何も言わず、ただ深い嘆きの歌を聴いているだけだ。
 本居宣長の国学を考えたときに思ったのだが、江戸期のようながっちりした身分社会で、為政者が学ぶべき朱子学的世界と、民衆が日々の生活を営むときの神仏自然信仰、仏教や民間信仰を混ぜ込んだ世界が併行してあった。のだとすると、宣長は外来思想の儒教・仏教などを排して日本固有の「もののあはれ」の歌を、文学によって焙りだし純粋培養しようとした。それは古代神話につなげられ、自然秩序の根源としての「天皇」に捧げられた。これは「荘子」とどこが違うのか?もちろん荘子には「天皇」はない。皇帝も聖者も教祖もない。
 窮して志を述べる、のではなくただ嘆いている。しかし、ただ嘆きの歌を歌うだけか?その先には何もないのか?戦争でひどい目に遭い、激甚災害で何もかも失い、原発放射能で大事なものを捨てて逃げなければならなかった人がいる。危険な場所で活動しなければならない人もいる。それを訴えるとすれば、誰に向かってか?「荘子」のテキストは、何も訴えていないわけではないと思う。紀元前から彼はずっと、現代のわれわれまで訴えている。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 環境と科学と実感と認識と・・ | トップ | とびきりの奇人変人は、人類... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事