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ニッポンの現代アートの旗手 3 福田 美蘭さん 独ポ関係と日韓関係

2019-10-11 02:19:12 | 日記

 A.こういう才能は3代かかるのかな?

 ぼくが福田美蘭さんの作品をまとめてみたのは、2013年に東京都美術館で開かれた「福田美蘭展」だった。特に印象に残ったのは夜の道頓堀を描いた作品と、並んであったホワイトハウスのブッシュ大統領にイエスが語りかけるという絵だった。さらに、東日本大震災の津波瓦礫を背景とした「秋―非母観音」は、狩野芳崖の名作を読み替えというか描き変えたものだった。どの作品も現実の光景やよく知られた名作を取り込んで換骨奪胎し、意味を変容させてしまうような作品だった。それはもちろん手のこんだ作品をつくるテクニックがあって初めてできることだけれども、もはや作家はオリジナルな作品をつくるのではなく、どんなものでも素材にして観るものにぜんぜん別の感動を与えるような、パロディとアイロニーの精神が溢れているからこそ、これは現代アートなのだと主張している。

 この人は父がグラフィックデザイナーの福田繁雄、祖父は童画家の林義雄という特別な血を引く。有名なポスターの作者が父、さらに子どもの頃に見た特徴のある懐かしい絵本の画家が祖父だなんて、凄い。でも、親の七光りというのとはまったく違う。彼女は彼女の独自性で注目されたのだ。小学校から高等学校まで聖心女子学院に学び、1981年に東京芸術大学美術学部絵画科に入学、1987年に東京芸術大学大学院を修了。1989年には美術界の新人登竜門「第32回安井賞展」において、当時史上最年少の26歳で同賞を受賞した。過去の名画にデジタル加工するなど手を加えたり、食材など身の回りの素材を組み合わせたりした作品で注目された。

 「明るい朱色に彩られた斜め格子状のパターンが左右に拡がる。いったいそれは、何を描いたものだろうか。奥に見える向こう側の世界とこちら側の世界を隔てる赤い竹矢来のようなものと言えばそのようにも見えるが、実際にはこんな色の矢来などありそうにはない。空き巣狙いを防ぐために、窓の外側にこのようなパターンの鉄格子をはめた家があるが、それにしては派手過ぎる。結局それは、現実世界とは無関係の、抽象的な幾何学模様としか言いようがない。

 だがそう思ったとたんに、実はそれが「キューピーマヨネーズ」を描いたものだと聞かされれば、誰でもいささかの戸惑いと驚きを覚えないわけにはいかない。「キューピーマヨネーズ」なら、身近にあってよく知っている。近くのコンヴィニエンス・ストアに行けば、調味料の棚にいつも並んでいるあれである。しかしわれわれがその商品に対して抱いているイメージは、この画面とは大きく違う。その落差に驚かされる時、われわれはすでに、福田美蘭の仕掛けた魔術に捉えられているのである。

 なるほど、そう言われてよく見ると、赤い斜め格子模様は、透明な外装の袋の上部に、襟飾りのように小さく登場して来る。絵画作品の方は縦が1メートル30センチもある大きなものだから、異様にまで拡大されている。だからこそそれは、まるで通行禁止の竹矢来のように見えたのである。

 その奥の中央部のオレンジ・イエローの部分は、ポリエチレン製のボトルの一部である。その左右の赤い斑点は、外装に印刷された説明の文字にほかならない。すべて実際のものを忠実に映し出しているのだが、スケールが大きく変えられているため、まるで中小模様のような印象を与える。視覚の不思議である。

 もともと福田美蘭は、「見る」ことに徹底的にこだわる作家である。画家自身、美術とは「既成の美術や認識に対して問題を提起し、新しいものの見方や考え方を提案するひとつの表現手段」だと語っている。そのために、思いがけない視点の導入や複数のイメージの重ね合わせなど、さまざまの卓抜な方法で常識的なものの見方に挑戦する。かつて、よく知られた名画の場面を、画中の人物の視点から描き出すという奇抜な試みさえ行った。スケールの巨大化もその手法のひとつである。つまり彼女の作品は、色と形による新しい知的認識論にほかならないのである。」高階秀爾『日本の現代アートをみる』講談社、2008.pp.016-019.

 これはマヨネーズの包装紙から発想された作品についての文章だが、ひとつひとつの作品はそれぞれその都度、独自に構想され、イメージも手法もどれひとつとして同じものはない。これは一度スタイルを作り上げてしまうと、その中であれこれヴァリエイションを追求する作家や、昔のように風景なら風景だけ、人物なら人物だけといったテーマを固定して技を磨く作家に対して、もうそんなのは現代アートではないよ、ということになる。それは常に絵画を表現の内容ではなくその視線のからくりに裏から巧みな仕掛けで気付かせ、常に変容するものを追求している、とでもいえようか。とにかく非常に面白く、挑戦的な作品群だった。

 

B.ポーランドと韓国の類似性

 韓国と韓国人をまるごと嫌悪する日本人がかなりいるが、その言い分を聞いていると、「あいつらは昔の日本がやったことをすべて悪と見て、いつまでも言いがかりをつけては金を要求する。賤しい根性の守銭奴としか思えない。過去のことはとっくに決着はついているのだから、もう相手にする必要はない」ということになる。これがもはや議論の余地のない常識だと考える人は、対話も交渉も受けつけないから、あとは韓国ときけば怒鳴り憎むだけになる。韓国のほうでも、それに見合うように「日本の政府と世論は、植民地支配と戦争について本音ではぜんぜん反省しておらず、韓国人の気持ちを理解しようとせず逆に非難してくるのは相変わらず差別意識があるからだ。賠償を誠実に果たさなければ手は組めない」と感情的になるばかりだ。

 この不幸な日韓関係をなんとかしないと東アジアは危険な状態に陥るわけだが、似たような問題がドイツとポーランドのあいだにあるかもしれない、という新たな視点があった。

 「ポーランドの対独要求「100兆円賠償」不満の根底は :編集委員 山脇 岳志

 ポーランドの首都ワルシャワは、第2次世界大戦で、ドイツによって破壊しつくされた悲劇の街である。

 見事に復元された旧市街にほど近いカフェに、グレーのスーツ、ピンク色のネクタイをした長身の男性が現れた。

 開口一番、「柔道2段です」と自己紹介してくれたのは、ヤン・シェフチャク下院議員である。ポーランド議会の「ドイツに対する補償評価議員グループ」の委員だ。

 1939年9月1日、ドイツ軍は、ポーランドに侵攻した。第2次大戦の幕開けであった。ちょうど80周年にあたる今年9月1日の記念式典には、約40カ国の首脳らが参加した。シェフチャク氏に会ったのは、その3日後だった。

 式典にはドイツのシェタインマイヤー大統領が出席し「ドイツの犯した歴史的な罪への許しを願いたい」「我々はポーランドに与えた傷を忘れない」などと述べた。

 シェフチャク氏は「過去30年でこれほど真摯な謝罪は初めてだった」と評価した。「だが、謝罪の言葉だけではすまない。ポーランド人の17%が殺された。賠償がなければ、本当の和解はありえない」

 「評価議員グループ」は、専門家の助けも借りて、賠償額は少なくとも9千億㌦(約96兆円)にのぼると見積もった。10月の総選挙後、政府が動く前に、議会として正式な決議を行う予定だという。

 ポーランドは、ソ連の影響下にあった1953年に、ドイツに対する賠償請求を放棄している。冷戦後の91年、ドイツはポーランド向けに5億㍆(約400億円)の基金も設けた。ドイツは、問題は解決済みで賠償金は払わないという立場だ。

 ポーランド側が納得しないのは、50年代の賠償放棄は、ソ連が勝手に決めたことだと考えているために。「その後の補償も少なすぎる。民主主義になって、さまざまな問題を考え直すようになった」とシェフチャク氏は強調した。

 話しながら、8月末、ドイツで会ったセバスチャン・コンラッド・ベルリン自由大教授(歴史学)との会話を思い出した。

 議論したのは、独ポ関係と日韓関係についてだった。韓国の司法は、韓国が日本の植民地であった戦時中、日本の本土で働いた徴用工について、日本企業に賠償金を支払うよう命じた。日本政府や企業は、65年の日韓請求権協定で「元徴用工への補償には、請求権協定は韓国の軍事独裁政権下で結ばれたものであり「民主的ではなかった」との不満がある。

ソ連の影響下の合意は無効、というポーランドの主張と重なる面がある。

アジアの歴史にも詳しいコンラッド教授は「日韓関係と独ポ関係は違いも多いが、『加害―被害』の一方向性において、独仏関係よりは似ている」と話す。

チェフチャク氏は「ドイツはポーランド人を民族的にも文化的にも経済的にも破壊し、消滅させようとしていた」と述べ、「植民地の問題とは比較にならない」ほど大きな罪だったという認識を示した。

ドイツの賠償問題は、ほかでもくすぶる。第1次大戦前のドイツの植民地時代に虐殺の被害を受けたナミビアの先住民は、ドイツに賠償を要求した。ギリシャも、第2次大戦中のドイツ占領下で受けた損害に対し、巨額の賠償金を求めている。

いま、世界のあちこちで歴史や賠償に絡む問題が噴出しているのはなぜか。

 コンラッド教授はこう話した。「グローバル化によって、それぞれの国内における貧富の格差や移民問題への不満が顕在化した。それが他国への不満に転嫁され、和解を難しくしている」

 経済格差など不満のもととなっている根本に取り組むことがなければ、憎悪の連鎖は続くことになるだろう。」朝日新聞2019年10月5日朝刊、15面、オピニオン欄「多事奏論」。

 ヒトラーのドイツは、ユダヤ人の絶滅を図ったが、ユダヤ人だけでなくポーランド人も劣等民族として虐殺し、消滅させようとしたという。消滅というのはホロコーストで絶滅するというのではないが、ポーランドをドイツに併合し、ポーランド人をドイツ人に同化してしまうということだろう。チェフチャク氏の言い方では、これは植民地支配よりもはるかに大きな犯罪だ、ということになる。日本も朝鮮半島を植民地にしただけでなく、皇民化政策で日本語で教育し日本人に同化させようとした一方で、二級国民扱いして同等の権利を与えなかったことも事実だろう。戦後の条約交渉で、冷戦下の東西対立する力関係のなかで、米ソが介入して賠償を含む戦後処理が妥協的に決着したというのも確かで、それを蒸し返すのもそれなりに理由はあるとも言える。

 ただ、自国民の不満や矛盾から出てくる批判をそらすために、政府が外国への不満や憎悪に転嫁しているという面も、韓国にも日本にもないとはいえない。それがいろんな場面で、ぎしぎしと不安と軋轢を生む。だが、そこをなんとか話し合いで解決し、未来に生産的な関係を築くのが外交というものだろう。そしてその基礎に、人としての信頼や好感を作り出すにはお互いの歴史や文化を、できるかぎり理解する努力が必要だ。ぼくたちは、朝鮮半島の歴史について、ただある時期植民地にしていたという以上のことは、ほとんど学校で教えられてこなかったし、タブーのような扱いをしてきたのではないか。これはまずい。それを日本の恥部のように扱う必要はないし、逆に正義や栄光で飾るのも粉飾でしかない。

 そのようなことはドイツでも重要な教育と文化の課題だろうし、そこを考えるのは無駄ではなかろうと思う。

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