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坂口安吾『堕落論』を読む 3 タテマエとホンネ  ハラスメント

2021-01-16 13:45:08 | 日記
A.本音の威力
 「タテマエ」と「ホンネ」という言葉は、いつからあるのだろう。戦前の日本社会で、おそらく「タテマエ」で成り立っていたのが学校と軍隊、明治になって近代西洋の制度を輸入して作った二大組織。それまでの江戸的秩序でも儒教的規範や仏教的教説はあったけれども、それは武士や僧侶など読書階級だけのもので、文字も読めない民衆に難しい言葉で語る「タテマエ」は無縁だった。それが明治以降、新しい国家に民衆を統合し勤勉な生徒や兵士を作り出すために、学校と軍隊はすみずみまで「タテマエ」の訓示と規則を徹底して叩き込もうとした。規則と礼儀と天皇への忠誠は、教育勅語や軍人勅諭を全文暗誦し記憶させることで、臣民を教育しようとした。この勅語や勅諭の文章は、カタカナまじりの漢文で書かれていて、きわめて抽象的なタテマエの言葉である。教育された臣民は、国家の危機たる戦争において真価を発揮する、はずだった。
 1945年8月15日、大戦争が敗北で終わった時、町を焼かれ家族や友人を失い国が亡びることを知った日本人は、長い戦争中いやというほど叫ばれていた大義名分、美辞麗句、大和魂、滅私奉公といった「タテマエ」が、いかに欺瞞的ナンセンスであったか、痛いほど感じていたはずだ。坂口安吾の『堕落論』が、敗戦後半年という時点で世に出て、多くの人々に「そうだ!これだ!これがホンネだ」と歓迎されたのは、戦争があったから、そしてその戦争がみじめな敗北に終わったから、こそだった。軍人が勇ましく語っていた「タテマエ」はみんな天皇の名を借りた利己的なインチキで、彼ら自身が「タテマエ」の奴隷になっていた。こんな戦争やめるしかない。でも、戦争が終わるまで、誰もそれは口にできなかった。坂口安吾も、戦争が終わるまで、心で思っていたにしてもそれを口にはできなかった。

 「堕落論〔続堕落論〕
 敗戦後国民の道義頽廃せりというのだが、然らば戦前の「健全」なる道義に復することが望ましきことなりや、賀すべきことなりや、私は然らずと思う。
 私の生まれ育った新潟市は石油の産地であり、したがって石油成金の産地でもあるが、私が小学校のころ、中野寛一という成金の一人が産をなして後も大いに倹約であり、停車場から人力車に乗ると値がなにがしか高いので万代橋という橋の袂まで歩いて来てそこで安い車を拾うという話を校長先生の訓示に於て幾度となくきかされたものであった。ところが先日郷里の人が来ての話に、この話が今日では新津某という新しい石油成金の逸話に変わり、現に尚新潟市民の日常の教訓となり、生活の規範となっていることを知った。
 百万長者が五十銭の車代を三十銭に値切ることが美徳なりや。我等の日常お手本とすべき生活であるか。この話一つに就ての問題ではない。問題はかかる話の底をつらぬく精神であり、生活のありかたである。
 戦争中私は日本映画社という所で嘱託をしていた。そのとき、やっぱり嘱託の一人にSという新聞聯合の理事だか何かをしている威勢のいい男がいて、談論風発、吉川英治と佐藤紅緑が日本で偉い文学者だとか、そういう大先生であるが、会議の席でこういう映画を作ったらよかろうと言って意見をのべた。その映画というのは老いたる農夫のゴツゴツ節くれた手だとかツギハギの着物だとか、父から子へ子から孫へ伝えられる忍苦と耐乏の魂の象徴を綴り合わせ映せという、なぜなら日本文化は農村文化でなければならず、農村文化から都会文化に映ったところに日本の堕落があり、今日の悲劇があるからだ、というのであった。
 この話は会議の席では大いに反響をよんだもので専務(事実上の社長)などは大感服、僕をかえりみて、君あれを脚本にしないかなどと言われて、私は御辞退申上げるのに苦労したものであるが、この話とてもこの場かぎりの戦時中の一場の悪夢ではないだろう。戦争中は農村文化へかえれ、農村の魂へかえれ、ということが絶叫しつづけられていたのであるが、それは一時の流行の思想であるとともに、日本大衆の精神でもあった。
 一口に農村文化というけれども、そもそも農村に文化があるか。盆踊りだのお祭礼風俗だの、耐乏精神だの本能的な貯蓄精神はあるかも知れぬが、文化の本質は進歩ということで、農村には進歩に関する毛一筋の影だにない。あるものは排他精神と、他へ対する不信、疑り深い魂だけで、損得の執拗な計算が発達しているだけである。農村は淳朴だという奇妙な言葉が無反省に使用せられてきたものだが、元来農村はその成立の始めから淳朴などという性格はなかった。
 大化改新以来、農村精神とは脱税を案出する不撓不屈の精神で、浮浪人となって脱税し、戸籍をごまかして脱税し、そして彼ら農民たちの小さな個々の悪戦苦闘の脱税行為が実は日本経済の結び目であり、それによって荘園が起り、荘園が栄え、荘園が衰え、貴族が亡びて武士が興った。農民たちの税との戦い、その不撓不屈の脱税行為によって日本の政治が変動し、日本の歴史が移り変わっている。人を見たら泥棒と思えというのが王朝の農村精神であり、事実群盗横行し、地頭はころんだときでも何か掴んで起き上るという達人であるから、他への不信、排他精神というものは農村の魂であった。彼等は常に受身である。自分の方からこうしたいとは言わず、又、言い得ない。その代り押しつけられた事柄を彼ら独特のずるさによって処理しておるので、そしてその受身のずるさが、孜々として、日本の歴史を動かしてきたのであった。
 日本の農村は今日に於ても尚奈良朝の農村である。今日諸方の農村に於ける相似た民事裁判の例、境界のウネを五寸三寸ずつ動かして隣人を裏切り、証文なしで田を借りて返さず親友を裏切る、彼等は親友隣人を執拗に裏切りつづけているではないか。損得という利害の打算が生活の根柢で、より高い精神への渇望、自我の内省と他の発見は農村の精神に見出すことができない。他の発見のないところに真実の文化が有りうべき筈はない。自我の省察のないところに文化のありうべき筈はない。
 農村の美徳は耐乏、忍苦の精神だという。乏しきに耐える精神などがなんで美徳であるものか。必要は発明の母と言う。乏しきに耐えず、不便に耐え得ず、必要を求めるところに発明が起り、文化が起り、進歩というものが行なわれてくるのである。日本の兵隊は耐乏の兵隊で、便利の機械は渇望されず、肉体の酷使耐乏が謳歌せられて、兵器は発達せず、根柢的に作戦の基礎が欠けてしまって、今日の無残極まる大敗北となっている。あに兵隊のみならんや。日本の精神そのものが耐乏の精神であり、変化を欲せず、進歩を欲せず、憧憬讃美が過去へむけられ、たまさかに現われいでる進歩的精神はこの耐乏的反動精神の一撃を受けて常に過去へ引き戻されてしまうのである。
 必要は発明の母という。その必要を求める精神を日本ではナマクラの精神などと云い、耐乏を美徳と称す。一里二里は歩けという。五階六階へエレベータアなどとはナマクラ千万の根性だという。機械に頼って勤労精神を忘れるのは亡国のもとだという。すべてがあべこべなのだ。真理は偽らぬものである。すなわち真理によって復讐せられ、肉体の勤労により、耐乏の精神にたよって今日亡国の非運をまねいたではないか。
 ボタン一つ押し、ハンドルを廻すだけですむことを、一日中エイエイ苦労して、汗の結晶だの勤労のよろこびなどと、馬鹿げた話である。しかも日本全体が、日本の根柢そのものが、かくの如く馬鹿げきっているのだ。
 いまだに代議士諸公は天皇制について皇室の尊厳などと馬鹿げきったことを言い、大騒ぎをしている。天皇制というものは日本歴史を貫く一つの制度ではあったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。
 藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。何が故に彼等自身が最高の主権を握らなかったか。それは彼等が自ら主権を握るよりも、天皇制が都合がよかったからで、彼らは自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分が真っ先にその号令に服従してみせることによって号令が更によく行きわたることを心得ていた。その天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、実は彼等の号令であり、彼等は自分の欲するところを天皇の名に於て行い、自分がまずまっさきにその号令に復してみせる、自分が天皇に服す範を人民に押しつけることによって、自分の号令を押しつけるのである。
 自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼等は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。
 それは遠い歴史の藤原氏や武家のみの物語ではないのだ。見給え。この戦争がそうではないか。実際天皇は知らないのだ。命令してはいないのだ。ただ軍人の意志である。満洲の一角で事変の火の手があがったという。北支の一角で火の手が切られたという。甚だしい哉、総理大臣までその実相を告げ知らされていない。何たる軍部の専断横行であるか。しかもその軍人たるや、かくの如くに天皇をないがしろにし、根柢的に天皇を冒瀆しながら、盲目的に天皇を崇拝しているのである。ナンセンス!ああナンセンス極まれり。しかもこれが日本歴史を一貫する天皇制真実の相であり、日本史の偽らざる実体なのである。
 藤原氏の昔から、最も天皇を冒瀆するものが最も天皇を崇拝していた。彼等は真に骨の髄から盲目的に崇拝し、同時に天皇をもてあそび、我が身の便利の道具とし、冒瀆の限りをつくしていた。現代に至るまで、そして、現在も尚、代議士諸公は天皇の尊厳を云々し、国民は又、概ねそれを支持している。
 昨年八月十五日、天皇の名によって終戦となり、天皇によって救われたと人々は言うけれども、日本歴史の証するところを見れば、常に天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史のあみだした独創的な作品であり方策であり、奥の手であり、軍部はこの奥の手を本能的に知っており、我々国民又この奥の手を本能的に待ちかまえており、かくて軍部日本人合作の大詰の一幕が八月十五日となった。
 たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!
 我ら国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦車に立ちむかい土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか。戦争の終ることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。そして大義名分と云い、又、天皇の命令という。忍びがたきを忍ぶという。何というカラクリだろう。惨めとも又なさけない歴史的大欺瞞ではないか。しかも我等はその欺瞞を知らぬ。天皇の停戦命令がなければ、実際戦車に体当たりをし、厭々ながら勇壮に土人形となってバタバタ死んだのだ。最も天皇を冒瀆する軍人が天皇を崇拝するが如くに、我々国民はさのみ天皇を崇拝しないが、天皇を利用することには狎れており、その自らの狡猾さ、大義名分というずるい看板をさとらずに、天皇の尊厳の御利益を謳歌している。何たるカラクリ、又、狡猾さであろうか。我々はこの歴史的カラクリに憑かれ、そして、人間の、人性の、正しい姿を失ったのである。
 人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一条件だ。そこから自我と、そして人性の、真実の誕生と、その発足が始められる。
 日本国民諸君、私は諸君に日本人、および日本自体の堕落を叫ぶ。日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ。」坂口安吾『堕落論・日本文化史観』岩波文庫、2008.pp.231-238. 

 大日本帝国の「タテマエ」を嘘っぱちだと批判すれば、軍部を否定し、戦争を否定し、天皇制を否定していくことになったが、それは同時に、「ホンネ」を口にできなかった臣民自身を批判しなければならない。だから、堕落せよ!この堕落には、大きな意味があるけれども、「タテマエ」の否定は、ブーメランのように批判者にも返ってくる。


B.ハラスメント 
 ある時点で世間の常識となって人々を動かしている規範的言説、たとえば女性を性的存在としてのみ見る視点は、20世紀のうちは少なくとも男性の多数派は疑っていなかったけれど、今はそれを口にすればハラスメントとして糾弾される。法律は、一度条文として書かれれば、手続きを経て改正しないかぎり存在し、時代の推移の中で多少の解釈や裁判所の判断で厳しくなったり緩くなったりするにしても、規定自体は効力を続ける。だから、ある時点で社会の中に、それまでの常識的価値観に異議申し立てが起り、次第にその実害が明らかになってくると、立法府で法改正が議論されるようになる。ただ、ハラスメントをどう規定し法律上どう対処するかは、賛成派もいれば反対派もいて、どちらかをとるというのでは対立が解消されない。議論を尽くすというのは、お互いが他者の立場と心情に立って理解してゆくなかで、新しい姿が見えてくるようになることが大事だ、というお話。

 「憲法季評:ハラスメントに対処するには 「エンパシー」を出発点に  松尾 陽 
 CMやポスターがセクハラだという批判が生じ、それに対する反論も巻き起こり、インターネット上で激しく「炎上」することがある。
 2019年には、胸の大きな女性キャラクターを用いた献血を呼びかけるポスターが「環境型セクハラ」だと批判された。直近では、大学の公開講座で女児の残虐な絵を用いた授業内容などが裁判所によりセクハラだと認定された(もっとも、受講生に対する、事前の説明不足という問題もあった)。
 セクシュアルハラスメントという言葉が有名になったのは、1989年に起きた、ある女性の退職をめぐる裁判がきっかけである。男性上司が部下の女性について「女の武器を用いて仕事をとっている」などの発言を職場で繰り返し、その女性を退職に追い込んだ。裁判所によって、名誉感情などの人格権を害すると明確に認定された。ハラスメント(嫌がらせ)と形容するのは、生ぬるいかもしれない。
 しかし、この事件をめぐっても、セクハラ的言動は女性扱いをしている証拠であり、むしろ言われた女性は喜ぶべきだとして擁護する意見も当時少なからず見られた。あることを「当たり前」と考えていた人びとが、それを「問題」と認知することは難しいことはよくある。「ハラハラ」(ハラスメントを主張することのハラスメント)という言葉も登場しているように、問題視すること自体を問題視する言葉もある。
 新しい問題をどのように「問題」として認知するのか、また、そのように認知された問題に、公共的にどう対応するのかが問われている。
  •       *       * 
 2009年、アメリカのオバマ大統領(当時)が連邦最高裁判事にソニア・ソトマイヨール氏を指名した理由をめぐって生じた論争は、そのような問題を考える切り口を与えてくれる。
 指名の理由は次のとおりである。
 「我々が必要としているのは、若い10代の母親であることがどういうことなのかを理解するための心、つまり、エンパシーを持った人物である。貧困にあること、アフリカ系アメリカ人であること、ゲイであること、障がいを持っていること、年老いていること、それがどのようなものであるかを理解するためのエンパシー、それが、私が裁判官を選ぶ基準である」
 エンパシーとは、シンパシー(共感)と同様に、感情と共振する力のことで
ある。ただ、シンパシーが自己の経験の延長上で他人の感情に共振する作用であるのに対して、エンパシーは、経験や価値観が異なる他人の感情と共振する作用である。
 オバマ大統領は、人の話に真摯に耳を傾け、個別的な状況を良く把握するエンパシーの力を持った人物として彼女を指名した。ソトマイヨール氏は、初めてのヒスパニック系の連邦最高裁判事であり、女性としては3人目となった。
 確かに、新しい問題を問題として認知するためには、このようなエンパシーによって共振された感情がそれだけで公共的な価値へと引き上げられるわけではない。実際、先の使命理由に対しては、エンパシーは「偏り」をもたらし、「公平さ」を害するという批判が保守派を中心に巻き起こった。
 「公平さ」が既存のルールを杓子定規に適用することのみを意味するならば、エンパシーは公平さと対立する。しかし、ルールそれ自体が、時代状況の中で作られるがゆえに、時代の偏った見方や価値観を反映してしまっていることもある。
 また、セクハラ裁判をめぐる89年の状況に象徴されるように、セクハラ被害を「被害」として認知することが難しいこともある。このような困難が、ルールを適用する事実認定のレベルで生じる危険もある。
 偏りを理由にエンパシーを退けることは、現状で見過ごされている別の偏りを放置することにつながりかねない。エンパシーには公平の実現に寄与する側面もある。
 ただ、どちらか一方の感情に寄り添えばよいという話ではない。エンパシーの作用は問題を認知するための出発点であって終着点ではない。双方の言い分を踏まえ、憲法上認められた理由(個人の自由や平等、公共空間の位置づけ)に照らしてバランスをとることが肝要である。
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 価値観が多様化していく社会においては、「ハラスメント」という言葉を舞台にして新しい問題提起がなされていくことは通常のことである。分断が生じるなどと批判してそのような問題提起それ自体を封じてしまえば、多様な声のバランスをとることは不可能となる。
 たとえば、プライバシーという概念は、19世紀の終わりにはほとんど知られていなかった。しかし、20世紀を通じて、その重要性が認められ、21世紀を生きる我々にとっては、その重要性を疑うことすら困難にさえなっている。憲法上保証されている権利や利益も、小さな「火種」から議論が始まり、議論の積み重ねの上に、認められてきたものもある。このことを思えば、「火種」を簡単に消してしまってはいけないだろう。」朝日新聞2021年1月14日朝刊、13面オピニオン欄。

 「エンパシー」はたんなる共感というより同情「シンパシー」を超えて、自分が今まで考えたことのない他者の心の痛みや悲しみをどこまで理解できるかを、自らに問うことから始めるということだろう。
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