あかるいほうへ

       おばあさん魔女への道

わたしのはじまり

2017-04-14 | 家族
母が、今回の帰省は想像以上に喜んでくれた。

私と会えたことも嬉しいし、
ワンピースを手作りして着てたことがとても嬉しかったそうだ。
そして、今の私はいきいきしているそうだ。

ワンピース作りは子どもの頃、母が洋裁をしてた姿を見て覚えた。
と言ったら、とても喜んだ。
その話をして、コートを脱いでワンピース姿でクルッと回って見せると、
母は満足そうだった。

埼玉に来てからは、年に一度くらいのペースでしか会いに行けなかったけれど
母は私がどんなに取り繕っても、私が苦しんでいる時は見ててわかるらしい。
でも、いまの私はとてもいい状態に見えて、
嬉しくて眠れなかったそうだ。

親というのは、そういうものね。
何かをしてもらうことよりも、子ども自身が幸せであることが嬉しい。


実家を片付けていたら、アルバムを見つけました。
高2のとき、サリーが文化服装学院に行きたい。と話したとき、
母も、文化服装学院だった。と喜んで言ってた。
え?熊本にある?と内心思ったけど言わなかった。
そうしたら、写真が出て来た。
東京文化服装学院連鎖校熊本県認定となっていた。

母は、都会に出たかったけど、親に出してもらえなかったそうだ。
だから、東京に行きたがる私の気持ちをわかってくれた。
離れる寂しさより、わたしの気持ちを大切にしてくれた。

母は卒業すると、洋裁は趣味として
家の酪農や畑仕事を真っ黒になって働いた。
そんな真面目な母を気に入ったのが父の母で、
息子の嫁には、真面目な娘がいいと思ったのだろう。
純情だった母は、ハンサム?な父を好きになったんだろうな。

結婚式のスナップ写真の母は、とても嬉しそう。

このあと、たくさん苦労するんだけどね。

でも、母が洋裁をしているのは、
いい気分転換だっただろうな。
娘がふたりなので、お揃いのワンピースを作ってくれた。
紺に白い水玉のワンピースで白い襟付きは、
母とお揃いだった。
一緒に着てお出かけするのが嬉しかった。
いろんなワンピースやパンタロンスーツなど思い出してきた。
全部覚えてると思う。

落ち着いたら、母に思い出のワンピースのことを手紙に書こうかな。
最後に作ってもらったのは中3くらいかな?
青に白いステッチがきいたちょっと大人っぽいワンピース
あれから、トレーナーなどカジュアルな服が流行り
母は、洗濯が楽でアイロンも要らないからいい。
なんて言ってたけど、少し寂しかったかな?
母の私への手作りは、成人式の振袖で終わった。

人から服を頼まれたとき、材料費しか取らなかった母
いろんな布で作らせてもらうのが嬉しくて
お金を頂くのが申し訳なかったんだろうな。

娘たちが巣立ってからは、家庭菜園を始めた。
嫌なこと忘れていられる。といった。
ちょっと切なかったな。

母は、身体が動かなくなっても、
手が使えればサリーに浴衣とか作ってあげたかったようだ。
でも、手もスプーン握るくらいしか動けない。
だから、私がサリーに洋服を作ることも喜んだ。

しかし、私はサリーに何を引き継ぐのだろうね。
また時間が経てば見えてくるんだろうね。

女はタノシイ♪







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