小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

日本フィル×ラザレフ(4/24) 

2021-04-25 20:26:34 | クラシック音楽

桂冠指揮者アレクサンドル・ラザレフが振るロシア・プロ。この困難な状況の中、ラザレフが無事に来日を果たしたニュースはこの上ない喜びだった。ラザレフは日本の新緑の季節がよく似合う。自分が年をとるにつれて、日に日に太陽が沈むのが遅くなり、大気が夏の気配を増してくる牡牛座の季節が好ましく感じられるが、3年前にラザレフがストラヴィンスキーの『ペルセフォーヌ』を日フィルと日本初演してくれたのも、同じ時期だったように記憶している。カラフルな草花が大地を覆い、アートの女神が微笑む地球の祝祭的な時間だ。

感染症の影響で今年に入ってからの在京オケのコンサートは、かなり良い内容のものでもホールが閑散としていることが多かったが、日フィル定期サントリー二日目の土曜日は珍しく客席が埋まっていた。ラザレフ・ファンの多さ、というかラザレフと日フィルの黄金コンビのファンが多いことを改めて知る。嬉しそうに登場し、指揮台に乗るラザレフ。

グラズノフ『交響曲第7番《田園》ヘ長調』はこの爽やかな季節に合わせたかのような選曲だった。グラズノフはラザレフお気に入りの作曲家で、以前杉並公会堂で行われた記者懇親会は、グラズノフの酒豪エピソードを滔々と語るラザレフの独演会になったことがあった。このときラザレフが「グラズノフのスコアはチャイコフスキーよりずっとよく書けている」と言った言葉を覚えていたが、それはどういうことなのか具体的には分からずにいた。

その後、バレエ指揮でチャイコフスキーもグラズノフも多く振られている井田勝大さんに「本当にそうなのでしょうか」と質問してみたら、「確かに。ラザレフさんの仰ることは分かります」とのお答え。楽器の特性をよく理解し、特に管楽器が自然で、響きの計算がよくなされており、チャイコフスキーはその点不完全な部分も多いという。

ラザレフと日フィルのグラズノフは音楽の展開が早く、次から次へと屏風絵のような極彩色のパノラマが展開されていく。ベートーヴェンの田園よりも、優雅なバレエ音楽を連想させる。バレエ音楽の寄稿でグラズノフについて書いたとき「グラズノフの音楽の特徴をもっと書いてくれ」と言われて窮したことがあった。「よく書けている」などと生意気なことは言えない。日曜日のサントリーで聴くラザレフの『田園』は、王侯貴族の優雅で贅沢な、夏至の日の舞踏会のような音楽だった。広い領地を見渡す素晴らしい庭に、楽し気な提灯が飾られていて、王や貴族たちは自然の景観と美酒とダンスを楽しんでいる…チャイコフスキーより「優れたスコア」というのはまだ腑に落ちないが、弦の美しい旋律がロシア的な憂愁を醸し出しつつも、チャイコフスキーのような悲観へは傾かない。根本にあるものはもっと楽観的なのだ。

サンクトペテルブルクのエレガントな街並みも思い出された。2楽章アンダンテはところどころ、バッハより昔の荘重な宮廷音楽にも聴こえる。3楽章のスケルツォからはユーモアや哄笑も聞き取れた。フィナーレ楽章はそのままバレエの終幕に使えそうだな…と連想する。ラザレフお得意の「一瞬客席を向いての指揮」も健在で、フィナーレの最後でも完全に客席を向いた。会場は大熱狂。

ラザレフは日本フィルのお父さんなのだなぁ…と休憩時間にぼんやり考えていた。父は子供たちに厳しいが、家族と一緒にいる時間が一番嬉しいのだ。人と人とが行うことには相性がある。もしかしたら、ラザレフにとって日フィルといる時間が一番自分らしくいられる時間なのではないか? グラズノフは温かみがあり、貴族的な典雅さとともに、親しさや寛ぎも感じさせた。

ストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』(1947年版)は、ラザレフが指揮台に上った瞬間にいきなり始まった。指揮者はこのようにオーケストラに魂を吹き込むのか…「カーニバルの市場」からどんどんアッチェレランドをかけていくが、オケは全パート脱落せずにしっかりとついていく。段染め模様の毛糸が編まれて複雑な模様が浮き彫りになっていくような、面白い質感があった。ラザレフはすべてのソロにキュー出しを怠らず、木管の可愛い音、ピアノとチェレスタの魔法のような音も生き生きとしていた。音楽の若々しさは指揮者の若々しさだ。ラザレフは実際、ムーティより年下なのだが、見た目は年上に見えないこともない。でも、子供の心を持っているのだ。「カーニバルの市場」では振り向き指揮のオンパレードで、お客さんを向いたまま管楽器にキュー出しをし、おならのような一音が鳴るたびに客席からは笑いが巻き起こった。

真剣で面白く、張り詰めていて夢の中にいるような「ペトルーシュカの部屋」だった。どうしてもバレエの場面を思い出してしまう。ペトルーシュカの片恋と、つれない踊り子の追いかけっこ。ペトルーシュカ役のダンサーは顔から床に転んだり、とにかく本気でボロ人形を演じるのだが、その姿はとても滑稽で哀れを誘う。

打楽器は始終重労働を求められるが、パーフェクトな演奏で鬼父さんラザレフに最高の音を捧げていた。トランペットもソロ歌手のように技術と表現力を求められる。トランペットとフルートの掛け合いは、まさに追いかける男と逃げ回る女の即物的暗示だ。目まぐるしく新しいことが起こり、緊張感が途切れないが、音楽はなんとも言えない楽しさに脈動し、マエストロが客席に向かって振り向く回数も前半のグラズノフ以上だった。

こうした奇々怪々とした音楽をストラヴィンスキーが書いたのにも理由があった。バレエ・リュスの委嘱作ということ以上に…行き詰った西洋音楽史の「続き」を書くために、ありとあらゆる蘇生の手段を実験し、「音楽の死」を乗り越えた。

ムーティと春祭オーケストラの直後に聴いたせいか、日本のオーケストラにはこうした、西欧ロシアからやってくる「お父さん」が必要なのだな…と思っていた。つねに一緒にいるわけではない。西洋と東洋は物理的には離れている。最近はリモート指揮も可能になったが…それでも、「いつも一緒にいるわけではない大好きなお父さん」を迎える日本のオーケストラの音には、格別の輝きと歓喜が満ち溢れている。
ロシア音楽の本質がどのようなものか、日本の中だけで考えても延々と答えは出ない。我々がその本質を知らない、という条件にあることは、実は豊かなことなのだ。イタリアオペラの本質を知らない、ロシア音楽の本質を知らない…それがすべての始まりであり、笑顔で「お父さん」を歓迎する我々の文化の誇りである。

ラザレフはこの曲でも客席を向いて音楽を終え、魔法じみたペトルーシュカの最後だった。拍手喝采止まらず、客席もステージもヒートしていた。
奇しくも緊急事態宣言が発令される直前のコンサートとなり、ぎりぎりでマエストロの音楽を聴けたことになる。ひとつの奇跡だったのかも知れない。王のような父、雷親父のような父…春雷のように訪れて帰っていく「お父さんたち」との再会を、待ちわびるばかりである。

                                  Ⓒ山口敦



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。