ルークの母は今年95歳になる
昭和三年の真冬、七人兄弟の次女として
現在の新潟県長岡市濁沢町で誕生した。豪雪地域だ。
青春時代は下の兄弟たちを養うため中卒で
紡績工場や軍事産業に従事し、戦後は故郷の村役場で働いたようだ。
人生最高にエンジョイできる時に自分のためではなく
親や兄弟のために働き詰めである。
母は26歳になる頃東京に住んでいた親戚の紹介で今ルークが経営している
目黒区の左官屋白戸工業の長男(ルークの父)と結婚
その後、専業主婦として唯一の事務員として休む間もなく働き続けた。
独身の時に役場で経理担当していたせいもあり事務員としてはプロ級
白戸工業にとっては便利な嫁さんだったようだ
そのようなことを母はよく言っていた「事務員として嫁いだようなものよ」と
でも僕から見たら仲の良い夫婦、優しい夫に巡り会えたとしか見えなかった
現実は間違いなく大変な日々だったに違いないが、
若い時の父の写真を見てもイケメンだったし、優しかった父のことを思うと
面食いの母は幸せだったに違いないと思う。
父は70代半ばで亡くなったが、その後ルークの妻に事務職を教えながら
白戸工業の事務員をやっていた
僕はそのような働き者の母をとても尊敬している。
現場に出ないまでもその他の仕事をほぼ完璧にこなしてきたからだ。
そんな母も歳をとり口癖のように「私はピンピンころりが良いわ」と言ってた。
昨年の夏母はくも膜下出血で緊急入院。
何度も大きな手術を乗り越え、リハビリも終えて今は自宅でゆっくり休んでいる。
ピンピンころりという母の希望は叶えられなかった。
現在母は要介護5なので自分では何一つできないが、
ルークの妻とルークの弟の妻が交代で献身的な介護をしてくれている。
意識レベルはかなり低くコミュケーションもできなが
こちらの呼びかけ、特にひ孫達の呼びかけに良く反応している。
毎日ボーッとして何を考えてるのかな。寝ているばかりで苦痛にならないかな。
時々そう思うが、でもルークの母は幸せ者だ
毎日ひ孫や孫に囲まれ、献身的な嫁さん2人の手厚い世話を受けているのだから。
ルークは母のことをお母ちゃんと呼ぶ。
お母ちゃんありがとう。