イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

『愛の原型』と対話して元気になろう!(愛の孤独 3/10)

2012-08-26 | 第四章「愛とゆるし」

 『愛の原型』というと、難しく感じてしまう人も多いが、昔の愛し愛された名場面と考えると良いかもしれない。そして、自分の過去を振り返っても、辛いときなど『愛の原型』を思い出すことで慰めらたことに気付く。写真のアルバムなどもあるかもしれないが、自分の記憶の中だけの大切なものもある。

 昔の歌で恐縮だが、「思い出のグリーン・グリーン・グラス」という歌がある。ジョーン・バエズやトム・ジョーンズが歌い、日本でも森山良子が歌っていた。YouTubeなどで今でも簡単に聴けるが、なかなか良い歌だ。この歌、よく考えてみれば、『愛の原型』の歌なのかなと思う。そして、知る人は知る、原曲は死刑囚の歌なのだ。厳しい状況での愛の思い出。

 『愛の原型』。自分の愛の名場面は、辛いときでも何か元気を与えてくれるものだ。しかし、通常は『生き甲斐の心理学』を学ばないと、余り考えることもないかもしれない。私も、『生き甲斐の心理学』を学ぶまでは、考えもしなかった。

 しかし、生育史を大切にするという観点から、自分の『愛の原型』と対話することは、とても意味あることだと思う。

 膨大な過去の記録の中をさまよいながら、まずは自分のベスト3くらいを決めてみよう。自分がリラックスできる場面。五感で体感できるような場面がおすすめ。登場人物や背景などは自由。思い出していくと、そのうち、芋づる式に名場面がつぎつぎ湧いて来たりする。

 さて、こうした『愛の原型』であるが、一回きりでなく、継続的に対話することがお勧めである。

 私も、この勉強を始めて12年であるが、自分の『愛の原型』と対話をする中で新しい発見をしている。最新版は、明日の楽しみとしたいが、日々の経験の中で、思考や感情や行動も変わり、愛の名場面の選択基準も変わっていくようだ。そして、この『愛の原型』のデータベースが豊かになるにつれ、何かが変わってくる。

 愛の孤独 3/10

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自分をたいせつにするという基本!(愛の孤独 2/10)

2012-08-25 | 第四章「愛とゆるし」

 日本の暑中お見舞い、残暑お見舞い。酷暑の中で、お互いを労わる心遣いは、本当に良いものだと思う。暑い中ではあるが、日本に生まれてよかったと思う。

 今年は、どういうわけか、猛暑の中を神社仏閣に行く機会が多い。先の飛鳥・奈良・出雲もそうであったが、昨日も、近くの大国魂神社と深大寺を訪れた。2008年に知人に勧められて始めたご朱印帳の片面が終わりに近づき、地元の神社仏閣で完了したいという願望がふつふつと湧き起こった為であった。

 ご朱印を、心をこめて書いていただいているのを拝見しつつ、何か背筋をピンとさせるものを感じる。日本という国に生まれ、そして、由緒ある寺社仏閣でご朱印をいただく中で、宗旨は違うとはいえ(私はカトリック信徒)、何か通底する宗教意識を感じる。

 さて、今日は、愛の孤独を考える上で大切な、<自分>の概念について考えてみたい。

 自分とは何か?自分を大切にするとは何か?自分の身体を大切にする。これは一番わかりやすい。病気になったり、怪我をしたり・・・これを避けることは、自分のため他者のためにも大事だからだ。身体の健康を大切にするのは、だれにとっても判りやすい。

 次に、昨日も友人と話したが、厳しい修業をする宗教家は、いったい何のためかという問題だ?時には、命の危険すらかまわずに。おそらく、人の中には、宗教的な部分というのがある。それを、仮に魂とすれば、自分の魂を大事にするために修業をしたりするのであろう。暑い中、教会に神社仏閣に人が足を運ぶのも、そういう背景を考えると何となくわかる。眼に見えない大事なものにである。

 そして、もう一つ、臨床心理学が大切にするのが、生育史である。宇宙が誕生して137億年、生命が地球に生まれて40億年、現世人類が東アフリカを出立して5-6万年。日本に現生人類が到来してから1-2万年。何代もの祖父母たちの苦労の末に、人は生まれる。私は統計学が好きであったが、自分が生まれる確率の恐ろしいまでの低さに驚愕する。

 そして、生まれてからXX年。周りの人に育まれて今日に至る。それは狭い意味での生育史なのだろう。しかし、その生育史は、かなり決定的に作用し、先日のブログ書いたように、例えば三平方の定理という言葉で、十人十色の感情を湧き起こさせ反応させる。それは、長い生育史を辿らないと、説明もつかない。

 ところで、そうした、生育史を大事にするとは、何だろう?それは、自分の生育史と対話することで、いつの間にか形成されていた思い込みや、囚われを解放することではないだろうか?もちろん、生育史との対話には、生き甲斐の心理学の知識やアドバイザーが必要であり、無理な対話は危険である。私も経験があるが、無理は禁物。ヒトの心は想像以上にナイーブなのである。

 さて、生育史と言えば、今年の夏に、次のような病的な状態に、一時陥った。<他人からの批判、無関心、あるいは自己の挫折に対して、冷酷な無関心、激しい怒り、劣等感、屈辱感、虚無感などの感情で反応する>。普段は忘れているようなこと、それを誰かが刺激し、久しぶりに混乱した。こういうことは、自分だけでなく他者にも散見できるが、正に生育史からくる問題を秘めていた。

 自分を大切にする。それは、こうした生育史に起因する何かを、自己否定・他者否定に陥らないように、自他肯定できるように、生育史と対話し直すことことなのだろう。すべての地雷源を除去するのは大変であるが、2-3解決するだけで、随分違う。そして、生育史を愛し始めるとスセリ姫の歌ではないが、世界が美しくみえてくる。

 愛の孤独 2/10

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感情の光と影!(愛の孤独 1/10)

2012-08-24 | 第四章「愛とゆるし」

 神話を読んでいると、感情の光と影について、いろいろ学ぶ。たとえば日本神話のオオクニヌシノミコトの話など、子供のための物語というより大人のための物語のようにさえ思ってしまう。

 正妻のスセリ姫だけでなく、たくさんの奥さんをもっていたオオクニヌシノミコト。女神様たちの嫉妬もすごかったなのだろう。その中での、スセリ姫の歌は先日引用させていただいたが、愛の賛歌である。やはり女神なのだ。

 オオクニヌシノミコトは、系図的にみると、やはり大王の数ある奥様のうちの一人の息子に過ぎない。だから、他の兄弟も憧れていたヤガミ姫とオオクニヌシノミコトが結婚をするという事態がでてくると、兄弟の神々は、激しく嫉妬し殺意を抱く。そして、実際に恐ろしい行動をする。

 本来、豊かな愛から生まれた神々なのに、いつのまにか愛の感情の影といっては何であるが、憎悪や嫉妬の暗い感情にまみれてしまう。

 ただ、事は人間でなく神々の世界であり、結局は大きな愛に統合されていくようで、出雲大社は日本古来からの縁結びの聖地として不動のようだ。

 どろどろした嫉妬などは愛とは無縁のように思われるが、意外にも感情の世界では光と影のようで、嫉妬を哲学的に思索すると、別の世界が開けるのだと思う。暗い感情と明るい感情の関係の知恵は「生き甲斐の心理学」では大切なポイントなのだが、日本神話には既にある。

 さて、「生き甲斐の心理学」をひも解いていくと、ショッキングな言葉に出会う。

 すべての心因性の病理は、愛の原型が満たされず、愛の孤独が問題だと。人はいざしらず、自分の中にも病理的な部分が残っている(この勉強で解決した問題も多いが)、それを念頭に、考察していきたい。今まで、傾聴の6つのポイントを考えてきたが、今度は、同じように大切にしているロジャーズの6条件を意識してみたい。

 愛の孤独 1/10

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熱意の育てかた!(ゆるし 10/10)

2012-08-23 | 第四章「愛とゆるし」

 職場に向かう道で、好いなと思う景色に出合う。それが、2-3回重なり、昨日はカメラをもってパチりした。5-6年前から、ブログの写真を撮ることではじめた写真だが、はじめは携帯。そして今はグレードがちょっと上がりソニーのサイバーショットで写真を撮る。好きな光景というか、気になる光景をカメラに収めるだけだが、好きなので熱意が生まれているようだ。

 さて、対人関係の仕事はいろいろある。教師、医師、看護師、介護関係者、宗教関係者、営業関係者、心理関係者・・・。こういう括りで考えると、私の人生はかなり対人関係の仕事にかかわってきたようだ。営業関係、心理関係、介護関係、社会教育・・・。そして、どれでも共通するが、熱意がないと仕事がうまくいかない。熱意を育てることが大切なのだ。

 熱意は<好き>という感情。あるいは<気になる>という関心と凄く関わりがあるようだ。<好き>は私の写真のようで、あまり努力はいらない。<好き>がすごいエネルギーで引っ張ってくれるところがある。

 しかし、<気になる>というのは、どうだろうか。<好き>という感情が湧いてくるわけでもなく、時には<嫌い>という感情が湧いたり、<怖かったり>・・・いろいろである。その中で、熱意を育てるには、将来の<好き>に掛けてみたり、何かを信じることが要求されているように思う。思考とか行動が、リードする必要があるのだ。別の言葉でいうと人間観と深くかかわりがあるのだろう。

 最近読み返している、異邦人のサマリアの女とイエスの会話。あるいは、日本神話の大国主の命の因幡の白ウサギの救済の話。当たり前だが、これらの話は、その場の感情を超えた、愛とか権能というか、そういう深さがあるように思う。他者への愛(健全な自己愛もありながら)からくるあたたかさと言ったらよいか。

 ゆるし 10/10

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感情との対話が基本!(ゆるし 9/10)

2012-08-22 | 第四章「愛とゆるし」

  昨日、立ち話でどのくらい心理学を勉強しているかという話になった。大学で実験心理学を勉強したりしたが、臨床心理学をきちっと勉強し始めたのは12年前である。初めて3年たち、一通り勉強を終え、カウンセラーの認定試験(日本では国家試験がなく、各々これといった民間資格を受ける)を受けたが、その時の実技は、この数日お話している傾聴や心理療法の基礎である6つのポイントがあった。

 それから、すでに9年くらいたつが、この6つのポイントは相変わらず大きな比重をしめ日々精進しているのだ。自分の人生を豊かにするにも、他人の支援をするにも、この6つのポイントは心理学的な方法をとる上での基本でかつ最終目標のようでもある。

 ①無防備 ②共感性 ③受容性 ④間 ⑤理解力 ⑥熱意

 さて、今日は⑤の理解力である。理解力というと、現役で働いているときなどは特に、ロジックを追うことがあたかも理解力のような気になっていたが、心理学的なアプローチに必要なのは、感情への理解力なのである。

 何、それ?と考える人が多いと思うが、次のように考えたらよいと思う。数学の三平方の定理があるとする。この定理を導くロジックは、古代ギリシャの哲人でも、貴方でも、私でも・・・誰にとってもロジックが分かると証明できる。それゆえ、ロジックは個人と独立し、個人との結びつきは意外と希薄なのである。因みに三平方の定理が解けたからといって、心理療法家にはなれない。こころの世界とは直接関係ないからである。

 一方、三平方の定理というと、人それぞれ、さまざまな感情が湧く。現在の地球上に住む70億人の数だけ、湧き起る感情も違うだろう。無感動、ときめき、優越感、劣等感、錯乱感、嫌悪感、…殺意を感じる人もいるかもしれない(笑)。そして、その感情は各個人にとって、何らかの意味があるのだろう。当然ながらカウンセラーや心理療法家にとっては感情はもっとも大事な理解の対象だ。

 暗い感情は、抱く本人の理想と現実のギャップから生じる。そして、それが何に起因するのか本人や支援者は分析を深め、時には納得できる回答をへ暗い感情は明るい感情に代わる。また、一旦暗い感情が湧いても、それが本人にとって大いに意味のある課題とは限らない。三平方の定理が明日試験に出るかもしれない学生にとっては死活の問題かもしれないが、70億人の大半の人にとっては、どうでもよい問題なのだろう。問題として取り上げるかは人それぞれである。

 感情への理解を深めていくと、いつの間にか問題が氷解せいしまうことがある。フォーカシングという手法があるが、とても役に立つ、次のようなプロセスなので一度ためしてみるとよい。自問自答で、自分の感情と対話するのもよし、悩める友人を支援する一助とするもよしである。

①いくつ悩みがありますか?

②一つを選んでください。

③それは、どんな感情でしょうか?上手く表現してください。

④最悪の事態を思い浮かべて下さい。できますか?

⑤逆に最高にうまく行ったときを思い浮かべて下さい。

⑥ゆっくり思いめぐらして、何か腑におちたことがありますか?

 ゆるし 9/10

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