厳しい時代をたのしく生きるために、何が必要かを心理学のプロセススケールのポイントで思索してきたが、その根幹には自分は何のために生きているかという、アイデンティティの問題が極めて大切だなと、あらためて感じいっている。
たとえば、問題から逃げてしまう、ということ一つを考えて見ても、自分が何のために生きているかが明確なら、恐らく混乱は少ないはずだ。自己を伝達するというポイントも、アイデンティティが明確なら、自ずと主張することも多くなろう。
青春時代は、エリクソンの人格形成論からしても、このアイデンティティの確立の大切な時期だと思うが、中高年になっても、自らのアイデンティティを新しくしていく必要があるのだろう。それこそ死ぬまで問いかけをしなければならない問題だと思う。
さて、昨年秋に出かけた奈良。夏の暑いときではあるが、また一人で回ってくる予定です。まだ青年かなあ?
厳しい時代をたのしく生きる 9/10
ハワイはサンセットが有名であるが、サンライズはどうか?先日のワイキキでは、ダイヤモンドヘッドで日ノ出を見たかったが、日程が合わずホテルから日ノ出を眺めた(それが十分楽しめた)。何と東の明けの明星(金星)も燦然と輝き、さらにオリオン座が同方向に見えた。オリオン座は冬の星座のイメージが強かったが、ハワイのオリオン座も素晴らしかった(市内が明るく満点のオリオン座ではなかったが)。
夜と昼の境。それは神秘的と考えるのは私だけでないようだ。日本でも世界でも様々な神話や物語に登場する。そして、境目の時は日本ではパワフルに捉えているようだ。子供や老人は人生の境目に近い存在であり、神話などで大活躍する。
境目は、日々の暮らしの中でも、人の生き死にもあるが、出会いや別れを含む人間関係も境目と関係するかもしれない。そして、生育史から得られた各自の境目体験は無意識の世界にも影響するようで、意外に人生の流れに大きく影響を及ぼすことも。
幸福な時の延長に突然不幸が来る。幸せな人間関係が突然途切れたり。大切な人が亡くなったり。病気になったり、災害に遭遇したりする・・・
そして、そうした強烈な体験をすると、どうも人は幸福の絶頂にあっても、どこか醒めてホットな人間関係を避ける傾向がでてくるようだ(こころ優しいひとは特に)。大きく傷つく事を無意識に避けるのであろうか。しかも、自分の傾向は生育史を自問自答しない限り意識できないので、自分も相手もよく判らない中、いつのまにか関係が閉塞したり。
このプロセススケールの7つめの<関係の仕方>に問題がある場合の対処方法は、U先生の「生き甲斐の心理学」の46ページに書いてあるので、興味ある方は読まれると良いと思う。
そのうちの一つのポイントは、イイときもあれば、ワルイときもある。そして、それをポジティブに受け入れる、そんな人生観をどこかで持っていることが大切だと思う。昔の歌でケセラセラという歌があったが、あれである。
厳しい時代をたのしく生きる 8/10