いつも『愛の原型』に触れることができる生活がおくれれば幸せだが、世の中そうはいかない。大切な人が居なくなったり、他者から冷たく責められたり、あるいは仕事上、むづかしい人と接する必要があったり、難問が続出するのが常である。
『愛の原型』から離れ、愛の孤独を感じる生活。あるいは、愛し愛されること自体が判らなくなる生活もあるようだ。そして、時には変になることも。現代はそうした危険に満ち溢れているようだ。
私もこの夏、あることで次の傾向がでてきた自分に愕然とした。<他人からの批判、無関心、あるいは自己の挫折に対して、冷酷な無関心、激しい怒り、劣等感、屈辱感、虚無感などの感情で反応する>。これも、考えてみれば愛の孤独の問題だ。実はこれが、昨日の『愛の原型』の再確認の作業にも繋がっている(これは蛇足かもしれないが)。
むづかしい状態に置かれる自分、あるいはむづかしい状態の他者。そうした人とどう付き合うか。その臨床心理的方法がロジャースの6条件である。先に傾聴等の6つのポイントを述べたが、これも別の切り口のポイントで、合わせて身につければ鬼に金棒だ。
今回は、自分が『むづかしい人』であったときに、助けられた事例をふせんに解説していきたい。
自分が『むづかしい人』であったとき。その原型は次の時であった。7歳の時に、両親につれられて夏にアラスカのシトカに着き暮らし始めたころだ。当時は、海外旅行も今のようではなく、両親に連れられて米国大使館でパスポートをとりにいき、飛行場では会社の人が大勢送迎に駆けつけてくれた時代である。一方、外地の日本人はまれで、社会も公民権運動の前であらあらしい時代だった。
全く英語が話せない中、父に連れられて小学校に。そして、これまた全く日本語を理解できない先生と生徒に囲まれる。この不安と孤独の中で、担任の先生は今考えるとロジャースの6条件で接してくれた。特に言葉が自由に通じるわけではないが、何とか私は新しい環境に順応できるようになる。そのポイントを明日から考えてみたい。これは、どんな、むづかしい人でも通じる法則だ。
愛の孤独 5/10