イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

歩いてわかる意外に身近な歴史

2012-08-10 | 旅・雑記帳
昨日は、奈良35 度の猛暑のなか、奈良市内を駆け巡り(バスと歩き)歴史を楽しみま
した。平城京の土地勘を研いた一日でもありました。

朝一番は宮からちょっと離れた、薬師寺の隣の唐招提寺。国宝だらけの金堂の内陣に感動し、美しい蓮の花を見、戒壇院でボーとし、鑑真の霊廟をお参りしました。薬師寺のとなりに同じような規模で創建されたのも不思議です。平城京ができ
て薬師寺が飛鳥から移転することになり、薬師如来な
どをなんとか移転。そのあとに、ご存知鑑真和尚の唐招提寺が近くに創建される。そして日本にお呼びする際尽力した、長屋王は鑑真が来日したときは、藤原氏により謀殺されていた。蘇我系は藤原氏により滅ぼされていく。

次は、元興寺。蘇我氏の氏寺、飛鳥寺を飛鳥から移築したという。隣の興福寺の五重の塔が見えるのも、何か意味深長。山田寺の仏頭をかっさらった興福寺をどう見ていたのだろうか。また、聖徳太子の二歳と十六歳の像があるのも不思議。

その次は、平城京のスポット佐和方面へ足を運ぶ。まずは法華寺。以前は不比等の邸宅だったところを総国分尼寺とした寺院。十一面観音はとても、かぐわしかった。光明皇后のに似せられたとも。

そして、 平城京跡へ。当初は、ちょっと見て資料館でもと考えていましたが、熱心な、ボランティアのかたの説明で俄然平城京跡を
踏破する気に。

しかし暑かった。合計3Kmくらいは歩いたが、500mlのスポーツドリンクを二本は軽く飲んでしまった。しかし、遺構発掘を見たり、称徳天皇が朝堂で大演説をするさまを妄想したり、皇太子が庭園で優雅に楽しむ様など想像できた。南には、そごうデパート建設で発掘された長屋王の邸宅跡がみえ、藤原氏に滅ぼされた悲劇を思った。資料館では、スタンプラリーの記念にクリアファイルをいただき。こどものように悦びを味わった。暑かったから。

平城京は、実際には八十年も使われなかったので、この場所に、Xがいたのかなあと、想像でき歴史を小説やマンガで勉強すればするほど身近になってくる
。また奈良時代は約1300年前で、一世代25年とすると52世代で、2の52乗は当時の人口を遥かに越えるほどであり、自分の祖先が極め高い確率で平城京に関与していたと推定できる。

つづく