イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

心と心の会話は武装解除をしてから!(ゆるし5/10)

2012-08-18 | 第四章「愛とゆるし」
 先日ワイキキに行った時、アメリカ陸軍博物館に寄ってみた。入場料は無料であるが記帳が必要で、その時に職員の方が気楽に声をかけて会話を楽しむ。建物も元砲台があった軍事施設であり、中の展示物も武器そのもので迫力があるが、こころの方は、楽しい会話で、ちょっと武装解除。



 日々の人と人との関係は、心を開いて何でも語り合えるというわけではない。そんなことをすれば、時には立場を悪くしたり混乱をまねくこともある。しかし、混乱し本来自分の中にあるはずの真の回答が見えなくなっている方を支援するときは、心のバリアをとり相手と生身で接触する必要がある。

 大国主の命が傷を負ったうさぎに接近したときも、せいぜい大きな袋を持っていただけで、刃物をチラつかせてうさぎのそばに来たのではない。サマリアの女の話も、イエスが無防備に井戸のそばに座っていて、サマリアの女に「水を飲ませてください」と言うだけだ。

 こちらが無防備であれば、相手も無防備になっていくものだ。これは殆ど法則である。ただ、実際、深いレベルで無防備になれるかというと、生育史による刷り込みもあり簡単には行かない。それを、相手は無意識にも察知するところがあるようだ。やはり、自分の人間観・哲学がどこまで自分のものになっているかが大切。私は、聖パウロの「人の身体は神の神殿」の思想を大切にし、相手の中に愛そのものがあることを大切に考えているが、なかなか難しいものだ。

 因幡の白うさぎも、初めて大国主の命と会った時は惨めなうさぎであったが、物語の終わりは、うさぎはヤガミ姫と深い関わりがあり、結婚を導いてくれるキューピットのような存在に変わる。サマリアの女も同じように変わってくる。ただ、現実には未来の変化は判らないのが常であり、どうしても現実の邪悪な姿に囚われがちである。

 武装解除には信じる力が必要不可欠なのかもしれない。


 ゆるし5/10

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