イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

暗い感情はなぜ湧くのか?(厳しい時代を楽しく生きる10/10)

2012-08-11 | 第三章「無意識の世界」
昨日は、奈良から広島方面への移動日であった。ただ、せっかくの奈良を最期まで楽しもうと、東大寺に朝10時ごろまで楽しもうと思った。特に、三月堂の不空懸垂観音像を見学したかったのだ。一説によると、像製作には蘇我氏が関与し、眉間の翡翠は蘇我氏の象徴的意味合いがあるとのことだった。野生の鹿のが人間より目につく早朝、南大門から大仏殿横の手向山神社に参拝し、三月堂に向かう。そして、入口に到達する。?。開いていない!しばらく、うろうろしたが、仕方がないので二月堂に行き、ご朱印をまだいただいていないのに気づき、お願いする。達筆で書いていただいている時に、三月堂のことを聞いてみると、補修の関係で今年中は見学できないことがわかった。ガッカリしているのと、やさしい御坊さんが、いろいろ気遣って、二月堂のお水取りとか、お話しをしていただき、できれば来年にもいきたいと思うようになり、二月堂を後にした。

その後は、東大寺創建当時から現存する転害門を見て帰った。転害門と同じくらいたえるこなく続いているお水取り、できれば来年いきたい。


さて、この昨日の心の流れを「生き甲斐の心理学」で考えてみよう。


一番の暗い感情は、三月堂がしまっていてガッカリしたときである。これを、「生き甲斐の心理学」では、暗い感情が湧くのは、理想と現実のギャップがあるからと考える。ギャップは暗い感情になると考えるのだ。

そして、暗い感情、不安や悩を解決するには、理想と現実を、おのおの吟味する。この場合、意識の世界の理想と現実もあるが、無意識の世界もあるので注意が必要だ。

美しいご本尊の観音像を見たい。蘇我氏の愛した翡翠が輝く観音像を見たい。ということがあるが、無意識の世界にも、たとえば中学校の修学旅行のころにかかわる何かがあったかもしれない。

現実も、三月堂で拝観できない。という意識の問題はあるにせよ、やさしい二月堂の御坊さんに会えたり、新しい体験もあるのだ。やさしい御坊さんとの会話のなかで(おそらく傾聴の6条件)のなか、新しい理想と(二月堂のお水取りに行く、その時に合わせ観音像を見れる)、現実を産み出して行くように思える。

しかし、奈良は東大寺に始まり東大寺で終わるというのは本当のようだ。

厳しい時代を楽しく生きる10/10