イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

奈良のおじさん、吉野で死す!

2008-01-29 | 第二章「五感と体感」

 「母べえ」は良い映画だと思いつつも、作者の死生観にここ一つ承服できなかった。これは、私の信仰の問題でもあり、良い悪いの問題でないのかもしれない。ただ、正直な感想としてはラストシーンがさびしすぎた。

 良い映画の基準の一つは、自分の分身が、映画の中でたくさん出てくるということかもしれない。その意味では、父べえ、母べえ、子供たち、おばさん、奈良のおじさん、隣の炭屋さん、他沢山でてくる。

 生き甲斐の心理学を勉強している自分にとっては、鶴瓶さん演じる、奈良のおじさん、藤岡仙吉が興味深かった。主人公をはじめ、他の登場人物が揃って、時代の中でそれぞれ、しっかり生きているのに、唯一奈良のおじさんが、吉野で自殺とも想像できる死に方をされる。

 時代の考え方(変な言い方だけど)に同一化したり、自分なりの生きる考え方をきちっと持っているわけではなく、街角でトラブルをおこしたり、居候で煙たがれる。考え方、感じ方がちょっと不健康といってよい。

 今の時代も、奈良のおじさん的に、考え方感じ方が不健康な方も少なくない。もちろん時に、自分の中にも奈良のおじさん的な分身も感じられるので人ごとではない。ただ、藤岡仙吉氏は当たり前だが当時の時代環境の影響を強く受け、独自の成育史で生きてきており。時代が反映されていると思う。

 父母の世代は、さまざまな戦争体験の時代である。身近な私の父母はどうなのか、考えを深めてみたい。

<父母の世代2/3>

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