イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

マリアの時代!

2008-01-06 | 第一章「意識と知覚」

 昨日、近くの映画館で「マリア」を観た。年末のクリスマスに合わせてもともと封切られた映画のようだが、観たのは1月5日だった。

 感動的な場面は、私はマリアが神の子を宿したものの、世間はそれを疑い、場合によれば「石打ちの刑」となる緊迫した状況描写であった。ヨゼフの善良さも印象的である。

 そんな時代の中で、有名な「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」と天使に言ったのだなと実感した。

 話は変わるが、紀元前後の日本の状況をたまたま、列島創世記(松本武彦著 小学館)で読み進めていた。本格的な古墳時代の前の、弥生時代中期から後期にかけてがこの時代になる。

 文明国中国との影響の強い、九州北部ではすでに鉄器がよく使われ、高地性集落が瀬戸内海に多く出現する。人間の高い低いの認知は、地位の上下にも関係し、日本でも階層社会が出現していたのだろう。

 残念ながら、日本にはまだ文字がなく、当時の状況は判りにくいが、日本も世界の情勢と無関係ではなかったと強く思う。

 約2000年の時代を越えて、マリアの時代を想い、聖家族のことを想い、そして傍らの妻のことを想っている。

 この想いは魂からくるものだろうか?成育史からくる心からのものだろうか?いろいろ考えてみることは楽しい。

<感動について3/4>

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