はれっとの旅路具

(はれっとのたびろぐ)田舎暮らしと旅日記
金沢・能登発 きまぐれ便

夏越の御祓

2006-07-26 09:24:18 | 旅日記
夏越と書いて「なごし」と読みます。

正月から六月までの半年間の罪穢を祓う神事です。

御祓川まつり幟7月23日の日曜日。七尾市街の真ん中を流れる御祓川沿いで、御祓川まつりが開かれたので、行ってきました。

かつては、泳げたというこの川は、井戸水の汲み上げなどで市街地の地盤沈下で川底の傾斜が無くなったことに併せて、港の汚れが逆流して今では県内一汚れた川となってしまいました。

市民にとってシンボルと思われているこの川の浄化を目指している市民活動と、市街地の活性化を市場・イベントで目指している活動などが共同で開催したイベントのようです。
夏越の御祓神棚その会場に、何故か神棚があります。

御祓川まつりでは、新しいイベントですが、神事も行われるようです。
官製イベントではないため、できることですね。



清水流しの儀に使う神器竹・紙・水引…
神事に、似合います。
この器は、後に神事の一環として行われた「清水流しの儀」で使われていました。人によって汚されてしまったこの川に、人の手によって清水を流すことで浄化を祈る。
主催団体の想いが込められているようです。

茅の輪神棚に隣接して茅の輪(ちのわ:茅草で作られた大きな輪)がありました。
夏越の御祓には欠かせないもので、ここを∞のように右回り・左回り両方からくぐることで疫病や罪穢が祓われるといいます。

くぐり方を習ってきましたので、ご紹介しましょう。

1.輪の正面に立ち一礼
  古歌「水無月の
     夏越の祓いをする人は
     千歳の命のぶというなり」
   (拾遺集巻五「夏越の祓」)を
  唱えながら輪をくぐり左側へ廻る

2.輪の正面に立ち一礼
  古歌「思うこと
     皆つきねとて麻の葉を
     きりにきりても祓いつるかな」
   (和泉式部 後拾遺集)を
  唱えながら輪をくぐり右側へ廻る

3.輪の正面に立ち一礼
  呪文「蘇民将来(そみんしょうらい)」を
  三度唱えながら輪をくぐり左側へ廻り
  神前へ

最後の「蘇民将来」は、備後風土記の物語に由来するようです。
スサノオノミコトがある土地で、蘇民将来と巨旦将来の兄弟に宿を求めたところ、裕福な弟の巨旦将来は拒否、貧しい兄の蘇民将来が粗末なりにも精一杯のお持て成しをしたそうです。数年後、スサノオは再び蘇民将来を訪ね「疫病が流行した折、茅草で輪をつくり、腰につけておけば免れる」と教えたそうです。

この物語から、夏越の御祓と茅の輪くぐりの信仰が生じたようです。

神事いよいよ、神事が始まりました。
番傘の下の巫女役さんたちの立ち居振る舞いに、カメラマンが大勢シャッターを切っていました。
この後、茅の輪くぐりと清水流しの儀が行われました。

この日は、幸い曇りながらも雨は降りませんでした。
気温もあまり高くならず、川沿いのそよ風が心地よく、地域の人たちによる夜店も人がにぎわっていました。

私も生麦酒を何杯か(も)頂きました。

御祓川まつり夜景夕暮れ。

カップ酒のグラスにろうそくを灯して夜の部となります。

フォークギターと津軽三味線のコンサートも開かれました。
親娘の二人による三味線に会場はすっかり魅せられました。
娘さんは小学生くらいでしょうか。将来が楽しみです。

願いを書いた灯篭を流して、お祭りはクライマックス。


心地よい気持ちを思い出し、五感で受け止めることができたひと時でした。

金沢発寝台特急北陸

2006-07-25 23:22:50 | 旅日記
ここのところ、急にこの列車を使うようになりました。

22:18金沢発の寝台特急北陸は、公式的には21:54に6番ホームに入線とのことでしたが、実際には少し前に入線していました。
同じホームから21:48分の普通列車があるので、入線はそれ以降になります。


向かいのホームの急行能登は、かなり前から入線していますので、早めに乗り込んでくつろぐこともできそうです。

今から25年ほど前の学生時代。急行能登号は安く東京に行ける列車として人気でした。高校時代の友人の結婚式に出席するため、利用しました。私は、始発の金沢からの乗車なので座れましたが、途中駅から老夫婦が乗り込んできました。
夜行列車でお年寄りが二人とも立ち席(通路にしゃがみ込むことになりますが)では、あまりにも辛い。たった一つですが、席をお譲りしました。
一つの席をご夫婦は代わる代わる座っておられたと半分眠りながら覚えています。
私は、通路に立膝でかがんで休みました。若かったのですが、それでも大変でした。上野で降りる際に懇切丁寧にお礼を言われましたが、逆にお譲りして正解だと思いました。
この話を友人にしたところ、夜行列車では席を譲らないものだと逆に説教をされてしまいました。年寄りが指定の予約もなしに乗る方が悪いとか…(^^;ゞ


今回は、夏休みに入って前日の予約でしたから、B個室は満室。開放系の寝台しか開いていませんでした。開放系の寝台は、当世流行のプライバシーが保てないので嫌がられる傾向のようですが、個人的には好きです。かつては、よく隣席になったおばちゃん、おじちゃんと盛り上がったものです。

夏休みですから、家族連れも乗り込んで来られました。一つ置いた区画のようです。さすがに、これは幸いでした(^^;ゞ
廊下を歩く子どもたちのにぎやかな事。夜行列車・寝台となると、そりゃぁウキウキ、ワクワクでしょう。「黙っとれ!」という方が無茶です。
でも、開放系とはいえ、区画が違うと嘘の様に静かです。それに、おかぁさんも気を使っておられると思いますし。


私は相変わらず、上段の寝台です。

今回の相棒は、真下の男性。ところが、荷物を置いたきり、何処かに行って列車が出発しても戻ってきません。車内販売も、ブッフェも無いので不思議…。
何処で何をしているのでしょうねぇ。


寝台列車特有の車内放送も旅情を誘います。

味気の無いはずの出張ですが、夜行を使うと俄仕立てですが、「旅」になるようです。

こうして、列車の中でブログを書いていると、旅行作家になった気分。(完全に錯覚ですが…失礼しましたm(_._;m )


デジカメが相変わらず見つからないのですが、もうすっかり居直って、パズルかオリエンテーリングのようなゲームをやっているような気になってきました。
存在の可能性のある場所を一つ一つ潰して行き、記憶を辿り推理を働かせて効率を上げようとする探し物ゲームに参加しているつもりです。

さてさて、それぞれの結果は如何様になりますことやら…


列車は富山を出て、直江津方面を目指して走っています。

哀しい…

2006-07-25 19:53:54 | 田舎暮らし雑記
愛用のコンパクトデジカメが姿を消しました。

先週月曜日に使って、ノートに画像を移して以来、見当たりません。
市役所に置いた赤鬼さんの写真が最後です。
当日はちょっと時間が無くてバタバタしていて、着ていた服も思い出せない。

心当たりのある処は大体ひっくり返したのですが、先週は何かと忙しなくてまとまった時間がとれず、落ち着いて探せませんでした。

画像を移したのは、勤め先だったので、きっと金沢にあるだろうと高をくくっていたのですが、昨日今日と探しても出てきません。

無くさないようにと、首から提げられる赤くて長いストラップをつけてあった赤いボディなのに…

今ほど、能登にも無かったと家人から電話

とほほ…

手元の充電器と取説がむなしいです。

写りにはやや問題がありましたが、やはりちょっとした撮影にはとても便利でした。
無くしてみると判る有り難さ(何処かの失恋物語のようなフレーズ…)


明日から2日間、また東京出張になりました。
指定席が取れないと旅行会社から電話があって、うっかり夏休みに突入していることに気づく有様(^^;ゞ

仕方なく、また例によって今夜の夜行列車で行くことにしました。

これから仕事を一段落させて、出張の準備です。

でも、今ある大きい方のデジカメを持参するわけには行かず、今回は何があっても画像での記録は残せないようです。
ん~~ざんっねっんっ

きっと、いつもと違うことをしたのでしょうね。
いつも入れないところに入れていたり、置いたりして、それで完璧に忘れているような気もします。

こんなとき、諦めて新しいのを買ったりすると、唐突に出てきたりするんですよね~(^^;ゞ
明日からの東京で衝動買いしないようにしなくちゃ…

でも無くしてみると、結構気に入っていたことに気がつきました。
とても綺麗な赤でしたし。すぐ起動したし。
(未練タラタラ)


そういえば、若い頃、猛烈に忙しくて一日獅子奮迅の大立ち回りをしていた頃は、5分前に自分が何をしていたか、さっぱり思い出せないことが良くありました。

当時の同僚からは、「まるでブルドーザーが大きな音を立てながら走り回っているようだ」とからかわれましたっけ

その頃のようにまた頭が、状況に追いついていないようです。

その注意信号かも…


落ち込んでいても仕方が無いので、取り合えず出張の用意をしましょうねぇ

幼馴染

2006-07-24 21:56:34 | 田舎暮らし雑記
複数の拠点を持つ企業や行政では2~3年毎に所属が変わる異動という慣習があります。
知人によると、この制度の発明者は織田信長だとか。

海外でこのような慣習があるのか、果たして知人の説が「定説」なのか、全く検証をしていませんのでさっぱりですが、生まれながらにこの制度の影響をまともに受けていました。

父親の転勤に、家族揃ってお付き合い(母がそう決めていましたから)。私は小学校を4回替わりました。就学までに3度居住地を変えていますから、俗に言う幼馴染は居ません。
最も古くからの友人は、小学校6年のとき同級生だったO君が唯一人。

小さい頃から童謡は好きだったのですが、故郷が唄われているものは、かなり辛い思いをしました。

僕には想うべき故郷が無い…


長じて宴会などで「君の里は何処?」と聞かれることが少なくありません。
大抵返答は決めていて、若い頃は「日本です」と答えていました。
相手は戸惑います。

馬鹿にされたという表情をする方が多いと感ずるようになってから、返答を変えるようになりました。
「少し長い話になってもいいですか?」と。

母は、父と知り合った宮崎で、私を身篭りました。
臨月の2ヶ月前に、父は静岡に転勤。
大企業とは非情なものです。

しかし私は、新幹線も無い当時、宮崎から静岡という長大移動を経ても無事この世に生を受けました。

三歳までしか居なかった静岡の記憶は、極僅かです。
大きな国道沿い(だったはず)の店舗の二階が住居でした。
窓の外に広がる雄大な富士。
曲がった階段から降りるとお店。おもちゃのギターをお店の方に弾いてもらっていました。

横須賀・千葉・堺・高松(香川県)・京都と居を移し、中学・高校は札幌に。

村の写真集」のような故郷をテーマにした物語に極度に弱いのは、このような生い立ちに拠るのかも知れません。


金曜日の夜、家族が待つ(はずの)能登の家に戻ったのは23時をかなり廻っていました。

迎えに出た家人は至って元気。いつもなら、とっくに「おねむ」の時刻なのに…
理由は上り込んで判りました。
幼馴染のSちゃんが来ているのです。

Sちゃんは、向かいのニジロ(屋号)の娘さんで、家内と同級生。
生まれてからずっと一緒の遊び友達。
学校に上がっても小中学1学年1組しかなく、9年間全く同じ顔ぶれで学び遊び惚けた仲の一人のようです。

彼女は今、横浜にご主人と二人で住んでいます。

山や自然が大好きで、新婚旅行はシルクロード。延々とバスで走ってトイレ休憩は、なんとバスのあちらとこちらで男女分かれて大空の下…
それを楽しそうに語り続けるひとです。

どこの山だったか海外旅行だったか、長期間の休みが取れず、勤務していた会社を辞めて行ったとか。
伴侶を横浜に置いたまま、北海道でバイトをしながら二カ月ほど、暮らしていたそうです。
ご主人も、そんなライフスタイルをする人のようで、お互い許しあっているご様子。
幸せですねぇ…

そんな話が延々と続きます。


Sちゃんの帰省は、結婚した当初、随分戸惑いました。
私たちは普段離れて暮らしているのに、戻ってきてSちゃんの帰省と重なったら、未明まで二人で語り合っていて、殆ど構われること無く放置されることになります。

家内にしてみれば、一年に1・2度、能登に帰省した時にしかSちゃんに会えないわけですから、募る話も溜まっています。

放置された私は機嫌が悪くなりますが、こういうのを能登弁では、リンキコキ(やきもちを焼き:悋気)というようです。


それから20数年。

今では、余裕も出てきたのか、金曜日の夜は一人で夕食を摂っていても、さほど気になりませんでした。
むしろ、家族の目を気にせずブログの記事原稿をこうしてノートPCに向かって書ける時間があることに有り難さが湧いてきています。(これはこれで、結構ヘンかも…)


あれっ。Sちゃん、今夜は早いお帰りのようです。(といっても日付を跨いでいるので十分遅いですが…)

私が起きている時に帰るのは、今まで滅多に無いことです。
玄関まで見送ると、早帰りの理由は、うちの娘が高校野球部の応援で翌朝早いのだそうで、家内が弁当を持たせて送らねばならないからだとか…
そうだったのね(^^;ゞ

今回の帰省は白山に登山する予定が、この大雨による通行止めなどもあり、中止。
能登の実家で羽を伸ばすことになったようです。

週末こちらに居るそうなので、土曜の夜は時間制限なしの幼馴染が水入らず。いつまでも語り合うことになるのでしょうねぇ。

私も、悪友と未明まで呑んで語り明かすことがよくありますから、人のことを責めることはできません。(^^;ゞ

どうぞ。どうぞ。
ゆっくり語り合ってください。

「家族か、友か」ではなく「家族も、友も」が良いですね。
結局、どちらも「自分の周りの大切な人たち」なのですから。


…ということを一杯呑みながら書いたのが、金曜日の深夜~土曜日未明にかけて。


前の記事「これは簡単!米粉パン」の写真はよ~く見ていただくと、二人の手が写っています。

そうなんです。一方は、土曜日に再び誘われたSちゃんの手。
アウトドア派で、最近は旦那さんをほったらかしにしてランニングに夢中だとか…。
彼女の方が遥かに、力があるのがこねている様子を見ていて判ります。

米粉パンは、こうして幼馴染二人の合作なのでした。


恒例の未明まで語り明かしの会は、土曜日の夜に急な時式が入り、次回に繰越となりました。

これは簡単!米粉パン

2006-07-22 20:19:02 | 田舎暮らし雑記
昨日入手した米粉で早速、パンを焼きました。(写真はいずれもクリックすると拡大します。)

一番、基本的な丸パンに挑戦です。
今まで、全自動のホームベーカリーを使って自家製の美味しいパンを食べてきましたが、さすがに家庭用を酷使したため、機械が駄目になって最近、手作りパンが遠のいていました。

米粉パン1ところが、米粉パンを焼くのは、小麦粉で焼くよりもずっと短時間で済むため、手軽にできることがわかりました。

米粉の記事で紹介した本のとおり丸パン6個を作ります。

パン用の米粉150gに対して、次のものを用意します。
・ドライイースト小さじ1杯弱
・砂糖小さじ2
・塩 小さじ1/2
・牛乳と水、それぞれ60g
・無塩バター10g

まず、牛乳・水・砂糖・塩をボールに入れ、手でよくかき混ぜます。
同時に常温にすること

別のボールに米粉を計り、ドライイーストを入れます。

先のボールに粉を入れて混ぜます。
最初は粉が水分を吸っていないので、かなりドロドロですが構いません。

米粉パン2混ぜて、こね始めると徐々に水分が粉に吸われて行くのが判ります。段々まとまってきます。
ボールの淵の粉もまとまって来たら、ボールから出してこねます。
今回は、食卓にラップを敷いてこねました。

この段階のこね方が大切だそうです。

こねていって、少し伸ばしても切れないくらいになってきたらバターを混ぜ込みます。
今回は、バターを小さく切って少しずつ混ぜました。

ただし、ここで一つ失敗。バターを20gと思い込んでいました。
最後に気づいて、2g位(?)入れませんでしたが、かなりべとべとに…
美味くできるかなぁ。

米粉パン3伸ばしてもきめが細かく切れ切れにならなくなったら、コネは完了。
バターが多すぎたせいか、本では4~5分とありましたが、結構時間がかかりました。

生地を6つにちぎって丸くまとめます。

小麦粉と違って、ちぎった後でも量を調整して小片をくっつけることができるので、楽です。

オーブン皿に、オーブン用のペーパーを敷いて、生地を並べてゆきます。

その上に、ラップをかけて35~37度で40分ほど発酵させます。

米粉パン4発酵が進むと膨らんできますが、倍くらいになったら発酵完了。

米粉の場合は、この発酵は一度だけでいいそうです。
楽ちん~V(^^)v

好みによって、卵黄を塗ります。
今回は、比較のために、一つだけ塗らないものを残しました。

200度に予熱したオーブンの中段に入れて、焼くこと15分。

ご覧ください。
初めてにしては、見事でしょ!V(^^)v

トッピング対決早速頂きたいところですが、教科書によると、米粉パンは焼きあがりでも水分が多いため、熱を冷ましながら水分を飛ばした後の方が、美味しいとか…

しばし、我慢我慢。

さて、一緒に頂くトッピングに興味と意見が集中。
写真手前左から、
・サンドイッチ定番のゆで卵とマヨネーズ和え
・我が家の常備菜の鳥ミンチと野菜の煮物
・魚のすり身揚げ
そして手前のお椀は、お味噌汁

そうです。米粉だから、和食系が合うはずという仮説です。

モチモチの米粉パン二つにちぎってみると、中はモチモチ。

これは、美味しい!
ほんのり、お米の香りがします。

色々なトッピングを試したところ、全員一致でゆで卵マヨは、普通のパンになってしまうので勿体無い。

圧倒的に仮説通り和食系のおかずと相性が良いとの判定でした。

肉まん風米粉パンこうやって、鳥のそぼろにを乗せると、まるで肉まんのよう…

高校野球部の試合に全校応援に行っていた娘のために、今夜もう一度パンを焼きました。
是非、皆さんも米粉を入手してお試しを。

ピザ・麺などにも挑戦したいと思います。


米粉を使って、食料自給率を上げよう!