人は、ふるさとびと

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心について (1)

2023-03-29 06:13:53 | スピリチュアル
人間というものが、他とちがうということを
考えて参ります時に、何が一番ちがっているか
と申しますと、それは、心を持っているという
ことでありましょう。

よろこび、かなしみ、いかり、なげき、寂しむ。

心というものは、その折々に、私どもの
相(すがた)をうつして、正直なあらわれを
示すのであります。

ところで、この心というものが、どれほど深く
また広いものであるかということについては、
全くといってよいほど、知られておりません。

それは、たとえば、よろこびですとか、かなしみ
という、海で申しますなら、海の波が静かであるか、
あるいはさわだっているかというそういう
ところだけをみて、ああ、今日はおだやかだ
とかですね、一寸あれているなとか、判断をして
しまいがちなので、なかなか心というものの
深さが、私どもには伝わらないのであります。

ここにいうよろこびとか、かなしみとか、
普段私どもが、心だとみているものは、実は
気持ちの働きでありまして、海でいえば波に
あたるのであります。
それで、心というものをたずねて参りますと、
実は、ずっとずっと深いよろこびとか、
かなしみとか、迷いとか、とにかく
一切そういう波に惑わされない、
明るい大円光にたどり着くのです。

自分という人間の奥に、こんな明るい世界が
あったのかとおどろく程、そこは明るい。
なぜなら、そこは、神のこころの世界だから
であります。

人間というものは、いつも私が申します
ように、神の分生命(わけいのち)、神の
分霊(わけみたま)。
神のこころが人をつくり、人に分かれ、
この地上で、極みない神の愛のすがたを
あらわすべく存在しているものなので
あります。

ところが、想念というおもいの世界が、この
あらい肉の世界をおおっておりまして、
そのために、先程申しました海でいえば波に
あたる部分を、まさしく自分自身だと
勘ちがいして、永い間生きてきたのであります。
           (つづく)