人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

時空をこえた世界をおもいおこすのが 祈り

2019-09-29 06:50:55 | スピリチュアル
のんびりするひまが
今は
あんまりなさすぎて
みんな
せかせかしてますよね
別に師走じゃなくっても
みんな
走ってる
小走りに走ってる人もあれば
マラソンしてる人もある
そうやって
毎日を送っていると
いのちが悠々と
ながれてる
なんて
とても感じることは
できませんよね

いのちというのは
ちっとも急いでない
せかせかしてない
肉体人間は
この世の
時間というものに
しばられ
追いまくられて
生活しているけれど
いのちの鼓動は
もっと
ゆったりと
時を刻んでるんです
そのいのちの
悠々たる流れ
時空をこえた
世界をおもいおこすのが
祈りであります

人間というものが
どんな風に
歩いていたのか
どんな風に呼吸をしていたのか
そのもともとの
息づかい
生命のリズムを
呼びもどす
それが
いのりなのです

本来のふるさとに
かえる
それが
祈りで
その祈りのなかで
我々は
我々自身への
神の愛とゆるしの
いつくしみの光明を
あびるのであります

そして
我々もまた
いのちを
新しく
生きてゆく
のであります

もっと呑気な 自分に会うために

2019-09-28 10:28:08 | スピリチュアル
統一というのは
力んでやるもんじゃ
ないんです
そうじゃなくて
まかせるっていう気持ちでね
自分がやるんじゃなく
守護霊や守護神が
手を引いて
楽に
神様をよべるように
ちゃんと
つれてってくれますから
だから
なんにも
かちこちに
なる必要は
ないんです
私の
柏手と
くちぶえにのって
いい気持ちで
いねむりでも
するような気でいれば
いいんです
しらないうちに
光が入って
いい気持ちになる

統一ってのは
自分を忘れてゆくことですからね
ああかこうか
とおもっている
自分をなげ出して
なげ出してゆくうちに
もっと呑気な
自分自身に会えるようになる
今までしらなかった
おちついた
自分自身に対面するんです
そのためには
カチコチになっちゃあ駄目
肩の力を抜いて
温泉にでも入るような
つもりで
ゆったりと
神様をよんでゆくんです
それで
世界人類が平和でありますようにって
やると
清々しく
なってくるんです

いのちというのは
本来
のびやかな
ものですから
きゅうくつになっちゃあ
駄目なんです
何も考えずに
ああかこうかという自分を
ひとまずおいて
世界平和の祈りをとなえてゆくと
いいんです
だから
楽に楽に
やって下さいね
それではどうもありがとうございました

相手に寄り添いながら 導く

2019-09-27 22:22:05 | スピリチュアル
祈りというものは
楽しいものです
神と私の
対話なんですから
何をいってもいいんです
愚痴いったって
何いったって
いいんです

世界平和の祈りの光明で
みんな消して下さい
私は今
こんなに苦しいんです
こんなにつらいんです
世界人類が平和でありますようにって
いいつづけてると
いつのまにか
辛い苦しいおもいが
消えてくんです

そして
神様ありがとうございます
になってきて
神様としゃべるのが楽しくなってきて
そして
心から
世界人類が平和でありますように
っていえるように
なるんです

それを
最初から
グチッちゃあ駄目
文句いっちゃ駄目
になると
どうせ私なんか
ということになっちゃって
祈ることが苦しくなる
祈ることから
逃げるようになるんです

神様にぐちるのが
祈りじゃないですけれどね
いつもいってるように
祈りというのは
朗らかな自分自身との握手なんだから
そこにいくためには
文句でもなんでも
いいながら
腹立てながらでも
五井先生
世界人類が平和でありますように
ってつぶやく
そういう
時期をとおって
とにかく業を出して出して
それを私が
サーッときよめて
さて心がおちついたところで
静かに祈る

祈るということが
本当に
こころおちついて
楽しいものなんだ
ということをですね
ここで感じるわけなんです

だから幹事や講師の人たちなんかはね
待つっていうことが大事ですね
やたら急いで
五井先生はこう説いてる
だからこうつとめましょう
といったってね
家に病人があったり
心配心があれば
どうしたって
うわの空になりますよ
それを
さあさあ祈れ祈れって
せき立ててもね
うまくいきっこありませんよね

そうそれは心配ですね
何統一会といったって
集会といったって
そこへすわってるだけでいいんですよ
心を楽にしてね
あとはあなたを守っている
守護霊さんや守護神さんが
上手くやってくれますからね
何も
かたくなることはないんですよ
気を楽にしてね
とまあ
こんなぐあいにいってね
その人その人の気をほぐし
心をほぐしながら天命を祈るってのが
一番大事なことですね

神様ほど気の長い人を
人っちゃあへんかも知れないけど
みたことないですよ
じっと待ってるんですものね
待つというのは思いやりでもあるし
愛でもあるけれど
それだけじゃなく
待つことによって
その人その人の真実の相(すがた)
っていいますかね
心が伝わってくるんです

ああ大変だろうなあ
辛いだろうなあ
そういうこころが
自然に湧いてくるんです
よりそうということね
これが大事ですよ

よりそって
よりそいながら
大変だね大変だね
といいながら
おもいながら
その人のために祈ってゆく
光をおくる

ただお説教すりゃあいいというもんじゃ
ないんです
だまって
みまもって
待ってるうちに
さまざまな
人間世界の大変さ
その人その人の大変さが
みえて
そして
人生の苦労というものが
わかってくるんです

それをうなずきながら
よりそって
そのまま
とにかく
そのまま
祈りましょう
五井先生を呼びましょう
といって下さるとね
すなおに
その人が
ああそうだな
祈りましょう
という
そういう
ことになるんです

愛をもって
みちびくということが
大事だけれど
そのためには
こうやって
待つ
待ちつつ
語り
祈り
涙するってことが
何よりも大事なことなんです

ようございますか
それではどうもありがとうございました

完全平和の世界へ

2019-09-26 13:45:56 | スピリチュアル
神様の
計画は
一人のこらず
光明体である
自分自身であることを
自覚させて
そして
神の愛の光の
なかに
とけ込ませ
天の私と
地の私を
合体させて
完全平和の世界を
おろす
ことなのです
そのために
やさしい心を説き
思いやりを説き
愛を説き
祈りを説いて
その一つひとつが
私たちのなかで
私たちを支えていることを
悟らせるように
いろいろな
聖賢たちを
この世につかわされたのであります


一人の人に
たよるのでは
なく
一人の
宗教者を
頼むのではなく
みなさん一人ひとりが
神の光のひとすじとしての働きを
消えてゆく姿と
世界平和の祈りのなかで
なすべきその時になったのであります

すなおに
すなおに
神をよび
守護の神霊を呼び
五井先生
とよんでゆくときに
みなさんは
その場その場の
働きのまま
光となっていき
その光明は
世界をかけめぐって
大変な力を発揮するのであります
それは
愛による
働きであります
ゆるしによる働きであります

世界平和の祈りを唱えるとき
みなさん一人ひとりが
からっぽになり
ただひたすらに
光をとおす器となって
ゆくのであります
みなさんの本心が本体が
この世の働きの場で
ふんわりと
ひらいて
そして
そこから
沢山の光が
入り
また
みなさんからも
光がながれて
それが
愛の働きとなってゆくのであります
なぜなら
神は愛であり
完全円満であり
世界平和の祈りのなかには
この神のこころが
あふれんばかりに込められ
盛られているからであります

愛はしずかであります
さりげなく
柔和であります
そして絶えることがありません
この愛によって
私たちが生かされていることを
祈りのうちに
しるにしたがって
私たちもまた
朗らかになり
自分自身を
しってゆくのであります
己れ自身をしると
申しますが
愛無限の世界にむけて
私達のいのちが
私たち自身が
抱きとられ
歩いている
としらされるとき
生きる
ということの
本当の意味とよろこびを
味わうことになるのであります

イエスが
神は真実な方である
といった
この真実という
言葉のひびきのなかに
イエスの
神に対する
したわしくしずかな
愛を
みることができます
そして同時に
神の
私たちに対する
愛の深さを
みることができます
人は
この神の愛を
はなれて生きることは
できないのであります
霊によって
愛によって
光によって
神と人とは
むすばれている
生命であり
神と人とは
共同体
共働者なのであります

私たちは
それぞれの日常
それぞれの持ち場において
自分自身の心を大事にし
人とかかわりながら
世界平和の祈りを
祈ることによって
この光のいのちへと
つねに回帰し
たゆみなく
永遠者とともに
生きることが
よろこびである
世界を
ひらいてゆくのであります

どうぞ
そのままで
日々
消えてゆく姿で
世界平和の祈りを
行じていって下さいますように
それではどうも
ありがとうございました