人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

人間は神様とともに 未来永劫働きつづけている

2015-08-31 09:35:25 | スピリチュアル
人間というのは
ちっぽけなもんじゃない
ということを
しってもらうために
私は来たようなもんです

肉体が亡んでしまえばおわり
なんて
ものじゃない
今迄の
思いグセで
私なんか駄目だ
私なんか駄目だ
って
どんどん
自分を
小さくしていって
所詮
人間なんて
ちっぽけなもんだと
一人合点してしまってるのが
現在の人達です
そうじゃないと
いくらいっても
中々
この自分を
小さくするというクセは
治るもんじゃないんですね
 
そこで
私は
消えてゆく姿で世界平和の祈り
ということをいってるんです
これは
いっぺん
色んなおもいを
過去世の業があらわれて
消えてゆくんだ
すべて消えてゆく姿なんだ
という風に
徹底して掴まずに
世界平和の祈りのなかで
救世の大光明のなかで
消していただこうと
こういうものなんです
 
神様というのは
人間の思いちがいを
消そう消そうとしているのに
人間の方で
私は悪いことをした
ああ悪いことをした
私は罪人だ
って思いつづけて
いっかな放そうと
しないんだから 

とらわれている
というより
何だか
苦しい自分に
すがりついているって
感じですよね 

これでは
自由になっていかないんだ
自由になるってのは
まず自分が自由になって
いかなきゃあ
誰一人
自由にすることは
できないんです
それには私は駄目、私は悪い
にすがりついてちゃいけない

先ず
ああ人間は光なんだなあ
だけど
今迄の思いグセで
色々とらわれてしまうんだなあ
だけど、それで消えるんだから
とらわれたらすぐ
平和の祈りのなかに入れて 
守護霊さん守護神さん
消してくださいっていえば
消して下さるんだなあ
と思いながら平和の祈りを祈ってゆくと
本当に消えるんです

自分が自由にならなきゃ
誰一人自由に
できないっていったけど
ずっと祈ってゆくと
みんな守護霊さんが守護神さんが
やってくれてることに
気がつきますよね
だけど
自分が自由になる
明るく
呑気に
朗らかになったらなった分だけ
サーッと光が入るんだし
光を放ってくんだから
それは
みなさんが明るく明るく思って
生きていくってことは
何よりも大事なんです

その上で
ああ私がしてるんじゃないなあ
守護霊さんの方で守護神さんの方で
神様の方でちゃんとみて
やって下さってるんだ
だから安心しながら
祈って
感謝していけばいいんだ
ということになりますとね
もうすなおに 
スーッと神様の光が流れてるんです

先生、そこまでいくの
大変ですよ
とみなさんはいうけれどね
その大変だっていう思いも
消えていく姿なんだから
そう思いながらでも
世界人類が平和でありますようにって
やっていると
いつの間にか
平和の祈りだけが
みなさんのなかに鳴りひびくように
できてるんです
人間というものはそうできてるんです
 
親の家(うち)に帰って
やすらがない子どもはいませんよね
みんなほっとして
なつかしくなって
甘えたくなるでしょ
それとおんなじですよ

世界平和の祈りっていうのは 
五井先生っていうのは
みなさんの親なんだよ
実家なんです
いつかみんな
ここに帰ってくるんです
だから
平和の祈りをするとほっとする
五井先生って呼ぶと
ほっとする
というのはあたりまえなんです
そのとき家に帰ってるんだからね
 
じゃあ仕事が辛いから仕事しない
ずっと五井先生って呼んでますというのも
困りものですけどね
だけど
それならそれで
私はその人が早く辛くなくなるように
よろこんで仕事ができるように
祈りながら光を送りますよ

ああいつも五井先生と一緒なんだな
私はなんにもできない
ダメな人間だと思ってたけど
世界平和の祈りを祈らせていただけるんだな
それで
大きな光の働きをさせていただいてることに
なるんだな
よし
辛いけど
苦しいけど 
先ず自分が楽になりたい…
そんな出発だけど
辛い分だけ
世界平和の祈りを祈ってみよう
五井先生って呼んでみよう 
とおもって
そういう出発でいいとおもうんです
 
祈りなんて力んでやるんじゃないし
まして人がみてるからやるもんでもない
セレモニーなんかじゃないわけだから
はじめは
呟きでいいとおもうんです
そのうち一生懸命になる
何だかいつの間にか祈ってる
ということになる 
そうすると
一生懸命が
光を連れてくるんです
 
具体的にいうと
その人に縁のある人たちの
守護霊さんとか霊人とかが
一緒になって祈ってくれるんです

もともと
世界平和の祈りを思いうかべるだけで
救世の大光明霊団がその人をつつむから
それはものすごい光明体に
なるんだけど
それと一緒に親しい人たちの守護霊さんたちも
くるわけですね
そして
みんなして祈っていくうちに
だんだんみなさんが自分の本心の光と
一緒になっていくんです
ドッキングするんです
そうして
無理なく
いつの間にか明るくかわっていくんです

少々のことではへこたれなくなる
人生の苦労をしながら
あああの人もあの人で
大変だなあ
とおもえるようになるんです 
やさしくなっていく
光になっていくっていうのは
そういうことですよね
 
そうして
大変だなあと思いながら
どうぞあの人の天命が完うされますように
って祈ると
そこでパーッと光がその人にとどくわけです
それは霊団からもいくし
守護霊さん(みなさんの)からもいくし
みなさん自身もいくんです

パッと瞬間に
その人の所に行って
頑張って
といって帰ってくる
それでいて仕事はちゃんとしてるんです 
姿が消えるわけでもない
だけど行って帰ってくる
いちいちいわないだけで(私は)
みんな毎日やってるんですよ
人間はそんな風につくられてるんです

私は本当の人間の姿を説きに
この世に出てきたんです

人間というものが
神様とともに
宇宙の進化と完全平和のために
未来永劫
働きつづけているものなんだ
ということをいうために
私は出てきたんです

宇宙とか進化といっちゃうと
とてつもなく
遠い世界のようだけれども
そうじゃない
みんな
神から分かれた分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)で
一人一人が宇宙なんです
 
人間というのはね
みなさんのなかに真善美があるわけ
平和の気があるわけ
愛の気があるわけです
そんなって思う人は
もう一ぺん
自分がどこから出てきたか
考えてみて下さい
お母さんのおなかの中ですね
そのお母さんのおなかに宿る
その生命は
つまりみなさん自身は
一体どこから出てきたんだろう
みなさん自身はどこにいたんだろうってなると
ちょっとこんがらかる人も
でてくるんじゃないですか?
どうかな
さあどうでしょう
しばいならさしずめ
サアサアサアってとこですよね
 
自分ってのを
この五体っていうか五官の世界で
見ている間は混乱があるんですよね
だけど私がさっきもいったように
人間は神の分生命分霊ですからね
もともとをたどってけば光になるわけですよ
宇宙神のみこころの奥まで
たどればいっちゃうんですよね
生命ってものはですから
神から無数に枝分かれしてきてるんです

人間のいのちはね
もとは一つなんですよ
ですから
世界は一家人類は兄弟っての
あれは真理なんですね
本当にそうなんです
 
もう一ついえば
人間は光
その光は神の愛ってことに
なるんでね
この世もそれからあの世
あの世っていうか向こうですよね
霊界も
すべて顕われの世界ですよね
みんな想念の世界です
そのおもいをすなおにして
浄めて世界平和の祈りのなかで
光一元になってくわけですけど
とにかく
すべて今のことがあらわれているわけじゃない
今より前のことがこの世で「現実」
になってでてくるわけですよ
だから
一番いいのは
すべてを
ああ消えてゆく姿だとおもってね
五井先生を呼んで
平和の祈りをやってれば
自分のなかにながれているのは
光ばかり
神の愛ばかりってことになってくるんです
本当にね

それで
光ってのはさっきもいったように
神から分けられてきたもので
何より人間をつくってるものですからね
だから人間が光るんだな
とおもうことは
そのとき
そこに
あなた方のなかに
真善美という
宇宙そのものが
あらわれてくることになるわけです
そうやって祈ってゆけばゆくほど
肉体という
ちっぽけな器を超えて
直接守護霊守護神につながり
神様につながってるのが
人間なのだということが
わかってくるわけです
    平成2年2月2日 記

人間は 神の愛のなかで 自由に生きつづけてゆくもの

2015-08-30 05:48:12 | スピリチュアル
気はやさしくて
力持ち
という言葉があるけれど
気というのは
たしかに
やさしいんです

気を
ずっとこうして
みていくと
細かいこまかい
光の粒
光の流れになるんです

光というのは
神からながれていて
人間のいのちの
大元(おおもと)
ですけれど
その光は
いいかえれば
神の愛
ですから
やさしくて
当然です

けれど
光というのは
ただただ
ベタベタと
甘いというもんじゃない
いうなら
慈愛です
みまもりですよね
じっとみている

たとえば
あなた方ならあなた方が
苦しくて
うめき声を上げるのを
みている
すぐ助けりゃいいようなもんだけど
助けちゃ何にもならないんです

それだけ
真実に
神をよんで
祈って
そして霊性を進化させていく

人間というのは
永遠に進化してゆく存在ですからね
苦しんでいるあなた方以上に
守護霊や守護神は
涙をながしながら
じっと
出てゆく時期(機)を
待っているんです
みまもるやさしさってのも
だから大変ですよ

やさしさってのは
へなへなしたもんじゃないですね
いくつもいくつも
どうしてだろう
なぜだろう
というところを
通り越して
涙もながして
つよくなってさ
そういう
人生の苦労というものを
味わった末に
本当のやさしさってものは
出てくるんですよ

神様の
やさしさだって
そうです

わざと
人を辛い目に
あわしたりなんかする
だけど
しっかりと
根本のところでは
支えてるんですよ
そうして
どこまで
つよくなれるか
本当にやさしくなれるか
本当の人間になれるか
みてるんですよ

人間ってのは
光にかえってゆく存在ですからね
自分が光であること
光を放っていることをしって
そして
それにもとらわれずに
祈ってゆく

そういうのが人間の姿ですから
本心本体
光そのままの
自分自身を
この肉体にもあらわしていって
人間が何も束縛されない
神の愛のなかで
自由に生きつづけてゆくものだ
ということを
世界平和の祈りのなかで
しるとき
人類と個人とは
完き平和を完成してゆくのであります
  平成2年2月2日 記

人間の真実の姿

2015-08-29 07:40:29 | スピリチュアル
祈るということは
大いなる生命(いのち)に
すべてをゆだねる
ということです

祈りに入ったとき
人は光明につつまれます
奥の奥のすきとおった本心の光と
天界の霊人
守護霊守護神とが
ともに
大愛の
まばゆい
円光から
光をながし
光を受け
それらが
交叉しつづけるのです
そのとき人は
何も
気付いてはいません
ただ祈りが深ければ
深いほど
その心は
波のようにしずかに
おだやかになり
おのずから
光明が
辺りを照らすのです

かがやいているとか
いないとか
そんなことは
一向かまわずに
ひたすら
世界平和の祈りのなかに入って
ゆきますと
ただもう
気持ちがよくなって
丁度日向ぼっこをしながら
いねむりをするように
スーッと気持ちがよくなります

眠りに入るとき
そして
寝入ったとき
人は
無防備です
何のおそれも
かなしみも
その上をおそいません
ゆだね切った姿が
そこにはあります
そのように
深い祈りは
何も思わず
何も考えず
母の胸に抱かれるように
ふんわりと気持ちのよい
ものなのです
電車のなかで
祈りながら眠ってしまう
というのはもっとも深い
統一のひとつでしょう

自分も人もなく
ただふんわりと任せている
そうすると
おのずから
光が放たれ
光が流れてきて
光につつまれた人を
みることになるのです
意識する
しないにかかわらず
人は
こういう存在です

本心の光を
明るく照らして
祈っている
それが人間なのです
人間の真実の
姿なのです
    平成2年1月31日 記

みこころのままになさしめ給え

2015-08-28 07:12:57 | スピリチュアル
みこころを
地上になさしめ給え
というのが
本来の
人間の祈りなんですね

神様から分かれてきた生命
霊としての人間が
おおもとであるところの
神の愛を
この世に具現しようとする
というのは
これは至極自然なことなんです

みこころというのは
この世を
愛と
平和と
調和
真善美の世界にしよう
ということですからね

神様のこころというのは
極みのない愛で
その愛から分かれて
世界はできたんだけれど
永年
地球に住んでる間に
人間はこの大愛
つまり中心にかえる
帰一するってことを
忘れたんですね

神にかえってこそ
私たちのいのちは
本当に自由に
朗らかに
天地をつらぬいて
生きることが
できるんだけれども
それを
肉体人間は忘れてしまった
しかし
肉体を含めて
もっと精妙な霊妙な
本体としての人間というものがあって
本心本体は
自分が神からわかれてきた
光から分かれてきたってことは
わかってるわけですよ

みこころのままになさしめ給え
っていうのは
神に隷属する祈りなんかじゃないんです
こう祈ることによって
自分が本当に明るく朗らかになってゆく
元の元を照らすんですからね
世界平和の祈りは
このみこころのままにを
さらにやさしくいいあらわした祈りです

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様
ありがとうございます
守護神様
ありがとうございます

世界人類という大河のなかに
自分を入れて
徹底した感謝をささげ
この地上と世界人類の平和を祈り
天命を祈ってゆく
ここには
感謝と同時に
お任せの心があります
ありがたいとおもって任せてゆくこと
それはみこころのままに
というのと同じです

神仏の光が地上におろされますように
そして
神の分生命(わけいのち)であり
分霊(わけみたま)である
私たち一人びとりは
この世界平和の祈りを
祈ることによって
真善美の世界
神の大愛の世界
宇宙の中心へと帰一し
真実に生きることができるのであります

神と倶にあって
本当の人間としての姿を
あらわしてゆくことが
できるのであります

すなおになれば 神はみえる

2015-08-27 05:41:54 | スピリチュアル
人間というものの
無限さを
しってもらうこと
世界平和の祈りのよろこびを
しって
もらうこと
それが
私の役目

すなおになれば
神は
みえる
神は
いつも
私たちと
ともに
ある

光は
私達を
久遠の世界へと
みちびく

祈りは
その
水先案内人

やがて
みんな
神のもとへと
かえってゆく
    1月31日 記