人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

真実の祈りへ

2013-12-31 08:42:46 | スピリチュアル
      108 真実のすがた
 祈りというものを、何か一つのかたちに
入らないといけないものと考えたり、勘ちがいを
している人々が、多いようであります。

 祈りというものは、かたちではありません。
 では、なぜかたちがあるかといえば、神様の
みこころのなかに入りやすいように、ある一つの
きまったかたちを、みんなでとるということだけ
でありまして、常住坐臥、どんな時にも
からだ中で祈っているというのが本当のすがた
なのであります。

 歩いている時も、すわっている時も、食べて
いる時も、のんでいる時も祈っているので
あります。

 祈って祈って祈り抜いているすがた、愛と
光にかがやいているすがた、そうして、光を
ふりまいているすがた、これが、人間の真実の
すがたなのであります。

 迷いもまどいもない神界にある人間は、この
ことを知っているのであります。又、私どもの
霊体は、守護霊守護神は、このことを
よく知って、真実の祈りへと私どもをみちびいて
いるのであります。

 私どもは、このことを心にとめて、真実の
祈りが、何物にもとらわれぬものであることを
識って、神への道しるべである世界平和の祈りを
ささげてまいりましょう。

今は まさに本心がひらかれてゆく時である

2013-12-30 08:36:11 | スピリチュアル
      107 本心がひらく時
 何がむずかしいといって、自分を殺すことほど
むずかしいことはありません。あんまりやると
禁欲主義になっちゃって、これをしてはいけない、
あれをしてはいけないとおもうだけで病気に
なっちゃう。

 私が説いておりますのは、自分を殺すという
ことではなく、自分をありのままに認め、愛する
ということなのです。今迄の宗教者は、とかく
禁止することで、心の向上を目ざした人が多い
のですが(いわゆる聖賢たちは禁止を一切して
おりません)、それでは、生命がしなびて
しまいます。しなびたいのちからは、何も
いいものは出て参りません。

 自分が活きなければ、人を活かすことも
出来ないのです。放任ではないんですよ。

 放任ではなくて、ありのままの色々な自分の姿が
でてきた時に、それをとらえ、パッと光にむかって
それを放す、世界平和の祈りのなかで、神様に全部
返してしまって、あたらしい衣を着る、あたらしい
いのちをいただくということなのです。

 考えようによっては、いたずらな禁止よりも、
私の方が、もっと厳しいともいえるのですが、
しかし、神様の愛というものは、さまざまな
人間の心をろ過して、その奥の神体、光体としての
人間のいのちを抱いて下さっているのであります。
 今、この肉体身のままで、人間の本体を抱いて
下さっているのです。
 特別な修行をしなくても、みんなこのままで
霊人になってゆく。

 今は、その本心がひらかれてゆく、まさに
その時なのであります。

一番大切なもの

2013-12-29 09:06:22 | スピリチュアル
      105 さり気なさ
 人間に何が一番大切なものだろうかと、時々
たずねられ、又考える時があります。
 そうしますと、私のなかで、やさしさとすなお
という答えがいつもうかぶのでありますが、なお
申しますと、すべての言葉、すべての行為を
支えるさり気なさ、というものがあれば
いいなあと、心から思うのであります。

 どんな親切も、そこに、尊大さがあっては
ありがたくありません。すべては、人にみせる
ためではなく、自分のなかにある本心を
かがやかすためにあるのであり、また、神様が
すべてを御存知なのでありますから、お任せして
生きるすなおないのちでありたいと思う
のであります。

      106 すなおに生きる
 すなおに生きる時、神のいのちが流れ込んで
くる私達なのであります。

私は ようく神の愛というものを知っている

2013-12-28 09:24:08 | スピリチュアル
        104 神の愛
 人を救うとよくいいますが、一人の人の心に
あかりをともすことは、大変なことなのであります。

 その人を理解するだけでは足りない。その人を
愛して、その人にそって、ともに時をすごすことが
何よりも大切なことになって参ります。

 ところで、こうしたことの一番名人は誰か
というと神様なのです。神様は、もうあなた方の
生まれる前から、あなた方にそって、あなた方を
愛して、まったく休まれることがありません。

 私はようくこの神の愛というものを知って
いるのであります。そうして、人間というものが、
ただただ愛されるばかりではなく、こうした
極みなき神の愛、神のいのちからわかれてきたもの
であるということを知っているのです。この事実を、
はやく、一人でも多くの人に伝えたいのであります。
 そのために、生きとおしのいのちを、私は今も
日々生きて、神のみこころを伝えている
のであります。

祈りは きよめであります

2013-12-27 08:54:16 | スピリチュアル
      103 祈りについて
 祈りは、神様につながる道であります。
 何も特別なことをしなくても、神様をおもい、
神様に呼びかけて、祈りの言葉を出して
下さればいいのです。
 祈りはいつしなければならないということは
ありません。一日一回でも二回でもいい。
 絶えず祈ってもかまいません。しかし、
神様と神様のチャンネルをひねり、世界人類が
と祈り言葉をおもいうかべたときには、もう
祈りの座にあるあなたなのです。
 祈りは、きよめであります。そうして、私ども
一人一人の本心のなかに光りかがやいている
朗らかな光と、真実の自分との合体であります。
 私どもは、祈りによってきよめられ、生命の光を
ましくわえられて日々を生きているのであります。