人は、ふるさとびと

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下さる神様は、私達の
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世界平和の祈りと五井先生の唱名(2)

2023-03-19 22:56:36 | スピリチュアル
    (前日からの続き)
例えば、私は前にも、会に来ているね、
統一会に来ている人に、高校生だったかな、
その人に尋ねたことがあるけれども、本にも
あると思いますよ。
今、世界人類が平和でありますようにと
言えませんと。
それで、五井先生と言えるっと聞いたら、
五井先生だったら言えると。
じゃあ五井先生と言いなさい。
五井先生と世界平和の祈りは一緒なんだから
ということを言う。
これは、私が始めた祈りだから、私の名前を
言えば世界平和の祈りと私は同体なんだよ。
つまり、五井昌久という個人を高見の所に
持って行って、私を拝めば、御利益的なものも
現世のものも来世のものも、全部救われると。
救われるというのはそういう風なことでは
ないんです。

そういうことではなくて、私は、こうして
宗教の活動をする前まで、何を考えていたか
というと、悟る前は、人類の為に私の生命が
何か役に立たないか、人の為に何か役に
立たないかと。
そして、神様の事をずっと考えていた。
で、主の祈りを唱えた時期があったりね、
癒した時期があったり、生長の家にいた時期が
あったりしながら、ついに合体して、
合体してというのは、真実の自己というものと
合体した訳ですよね。
私はあそこへ書いたけれども、つまり、本当の
自分の中の本当の自分というもの、光り輝く自分
というものをその天界に行って見たらば、輝いて
輝いてて、私はそれを見た時に、まあ何だか
いろんなことが生活の中に起こって来て、人間と
いうのは、絶えず文句を言ったり悲しんだり
するんだけれども、しかし、あれを見ると、
どんなことをされても、どんなことを
言われても、まあ本当に腹を立てる気にも
ならない。
それ程光明燦然とした世界がそこに
あってですね、そして調和した自分が
そこに居た。

で、その調和した自分というのは、神体の奥の
奥のね、この世の中で働く為の、一番見えない
所で、眠らされているような所でというか、
眠ってはいないけれども、皆の目には見えない
所で働いているその自分と、私はその時に会った
訳ですね。
そうして合体した訳なんです。

だから、私はそれから以後、肉体というものは
もっているけれども、仮に食べたり飲んだり
眠ったりする為に、その肉体を養う為には肉体を
使ったけれども、そこからの私の生活という
ものは、結局、神様のみ心に全部委ねようと
決心をした訳です。
            (つづく)