人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

みんな光の子ども(2)

2018-09-30 11:19:22 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
 そういうことを考えていきますと、人間
というのは非常に奥深いものでね。
 でも今皆んなが一度に肉体を脱いだら、
この世界は死滅してしまう、私というのは
無くなってしまうと思っている人がいっぱい
いますから。本当はそうじゃないんだけど。
 この地上というこの世の三次元の世界が
ずっと続いてゆく限り、やはり肉体は
とても必要なものなんですね。肉体を
まとわないと生きてゆけないように出来ている。
 だからこの肉体を馬鹿にしてはいけないし、
軽蔑してはいけないし、大事にして
いかなければならないのだけれども、しかし、
光というのが光明というものが、本心本体
光一元の生命というものが、我々を
つき動かしている。
            (翌日へ続く)

みんな光の子ども(1)

2018-09-29 10:34:12 | スピリチュアル
 単純に言いますとね、みんな私の
子どもだなーと。「私の」というのは、
五井先生というのは個人じゃないのね。
 五井先生というのは、もう天に帰っていて、
天の私と地上の私が合体してしまったから、
一個人の五井昌久というものは、もう
無くなってしまっているんです。
 そして何回も書きましたけど、空独尊、
もう空になっている。
 阿弥陀さんの生命が、お釈迦さんが、
あるいはキリストの生命が、私という個性も
残ってる肉体の場所へ流れ込んで来ていた
だけの話でね、迷ったり悩んだりという
五井昌久個人のそういうものは消えてしまった。
 それは植芝先生もそうですね。植芝先生も
或る日庭を散歩している時に、天地鳴動して、
武道とは神様の愛(合)の気が流れて
いるんだ、合気道とはそういうものだ
と悟られた。
         (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(27)

2018-09-28 06:00:22 | スピリチュアル
        (前日からの続き)
 間違いのない道を私たちは歩いている。その
間違いのない道は、高慢になってはいけないし、
人に押しつけてもいけないけれども、
自分の中に、静かに、自分は間違いのない道を
歩かしてもらっているんだな、守護の神霊
によって歩かしてもらっているんだな、
自分たちの中にはいつも世界平和の祈りが
鳴り響いているんだな、そういうふうに思えば
何も怖い事はないし、何も恐れる事もない。
 恐怖心が無くなってゆく。

 この世界平和の祈りは、とても広大な目的を
もって今、宇宙の中に鳴り響こうとしているし、
そういう時にあなた方は今ここにいるんだ、
一緒に平和の祈りをする仲間として、ここに
いらっしゃるんだということを肝に銘じて
おいて下さい。
   「水のようにさらさらと流れてゆく生命」了

水のようにさらさらと流れてゆく生命(26)

2018-09-27 12:25:49 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
 ですから、元々の生命がさらさらして
流れているというのは、これは観念ではなく
事実なんです。ものすごい事実を言ってる
だけのことなんです。それがこの地上で
生きていると、忙しかったりせわしかったり
するもので、そんなもんだと思えない
というのが人間なんですけれど、もうすでに
皆さんは、そんなものだと思えないという所を
抜けかかっている。もっと高い所へ昇って
行こうとしている。だから自然に身体も心も、
その抜けかかっているところへ任せて、
上からの光で自分が強められ、やさしく
たくましくなるように、祈って祈ってやって
いかれたら、もう全く間違いがない
と思います。
          (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(25)

2018-09-26 10:31:56 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
 ただやってもらえるけれど、何かいろんな
ことが起こった時にアタフタしないという
ことが大事です。自分一人じゃないと思う
ことが大事。目には見えないけれども、
あなた方の後ろに守護霊守護神がキチンと
ついていて、私に直結していて、必ず最後
には、守護神の方から光が来るんだ、五井
先生の方から光が来るんだというように、
全部もう預けてしまえばいいいんですね。
 どの程度オタオタしないか、今その時期
なんですね。どのくらいでオタオタが止まるか、
神様の方で見ておられる。そういう時期
ですよ。自分がやってる間はそのオタオタは
なかなか止まらない。地震がなかなか
おさまらない。やはりこれは、中心は神様
なんだと。私は試されているんだと。
 だから神様がいいようにして下さるんだ
と確信できたら、痛みでも何でも
消えちゃうんです。痛いけれども
なくなっちゃう。把われが少なくなって
くるから、預けてしまうから。そういうこと
なんです。
          (翌日へ続く)