人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

前世との関わりで 子どもが授かるかどうか(7)

2023-02-28 09:02:03 | スピリチュアル
     (前日からの続き)
と同時にですね、この人間が生きていく
ということの中には、様々な苦しみが
伴なってく訳ですよ。
例えば、仕事にしろ家庭生活にしろ、
結婚生活にしろすべてのことについて、
悩み苦しみがある訳なんですよね。
つまり、私がさっき申しましたように、
何故人類を根絶やしに出来ないか
といったら、神様の光の生命だから。
それは事実根絶やしになりようがないし、
またそれはしちゃあいけないんです。
でも、それは大目的だけれども、例えば、
私たちが神様のことを語る時に、神様
というのは愛ですよという時にですね、
何も苦労もしない人が、何の挫折も悩みも
味わって来ない人が、神様は愛ですよ
と言ったって、説得力がありますか。
説得力ありませんよ。
何にもありませんよ。
例えば、ここに十人、人がいると
しましょうかね。
十人いるとして、仕事がなくなって
明日からどうやって食べて行こうか、
明日のお米を買うお金も無いというところまで、
追いつめられた人がいるとしますよ。
で、それを迎える神様のことを語る人が、
順境で育って来てね、物質も愛情も一杯受けて
育って来たその人が、そんなこと言ったって、
神様は愛ですと言ったって、説得力が無いこと
おびただしいじゃありませんか。

だから、神様の愛というのは、人間の我々
一人一人の、人類一人一人の個性、性格、
良い所とか悪い所とかね、どういう所で
苦しんで、どういう生き方を送って、今何が
この人の悲しみなのかというのは、皆知ってる
訳なんです。
知っていて、それで抱きしめてね、今あなたが
これを欲しがってるのはよく分かっている、
だけど今はあげられないけれどもといって、
泣きながら光を送っている。
それが神様の愛なんですね。
だから、そういう神様の愛というのは生半の
もんじゃなくてね。
その生半でない神様の愛を伝える、
少なくとも言葉にして伝える時には、
何かその人の人生の中でね、離婚なり別れ、
お金が無いことだとか、子どもを失なった
とかね、死別の悲しみとか、いろいろな
この世の中の苦というものをいくつかですよ、
無いにこしたことはないけれどもね、
個人的に言えば、だけど神様の愛を語る時には、
やはり何か一つか二つかこの人生の山を越えて
谷を越えて、そうして、自分も塗炭の苦しみを
味わってね、もうこんな神様なんかあるかしら
という所から這い上がってきて、それで尚かつ
唇から出てきた言葉が、それが神様という言葉
だったと。
ね、やっぱり神様、私はあなたが忘れられ
ませんと。
そういう経験をした人が神様を語る時にはね、
やはり説得力があるんです。
ただ単に、ここにこう書いてあります。
白光のテキストにこう書いてありますから。
それじゃあどうにもなりません。
テキストというのはやっぱりテキストなんです。
        (つづく)

前世との関わりで 子どもが授かるかどうか(6)

2023-02-27 10:25:21 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
生命というのは、ずっと私が申しております
ように、ずっと続いてまいりますから、
その次の世の中で、やっぱり子どもという
ものはいいもんだなというか、必要な
もんだなと、人類にとってはね。
子どもが出来なきゃ光が絶えてゆく訳ですよ。
我々は神の光の生命なんだからね。
光の一筋なんだから。
その種が絶えるということは光の種が絶える
ということであって、光の種蒔きが出来ない
ということなんですね。
だから、人類が絶えるということは
あり得ないし、核戦争だとかいろいろ不安は
あるけれども、皆が平和な方向へ平和な
方向へと、今イランやイラクでもそういう風な
方向へ行くでしょう。
というのは、やっぱりこの人類の種を
根絶やしにしちゃあいけない。
その根絶やしにしちゃあいけないという
想いの奥には、我々は神様の分生命(わけ
いのち)の分霊(わけみたま)の神から流れて
来た生命なんだから、その大元の神様のみ心の、
大愛一杯のその気持ちを根絶やしにするなんて
ことはありえないし、また出来ないんです。

だから、その人類的な本能がね、結局それを
くい止めるというところへ働く訳ですよね。
だから、子どもというものに対して、ただ単に
自分の子どもがどうのこうのじゃなくて、人間
にとって人類にとって子どもというものは
要るんだなという学習を、その人はその人の
持ち場で、素直にあるいは苦しみながら
経験する。
次の世の中で要らないと想って生まれ変わって、
子どもについて生命について学習し終わった
時に、じゃああらためて、あなたの子ども
としてこういう子どもが産まれますよ
というのは、また次の世の中で出て来る訳
なんです。
だから、未来永劫ね、そういう誓いをたてた人に
子どもは授からないかというと、そういう訳
じゃない。
やはり生命は、その人の子孫は出てくる訳
なんですよ。
          (つづく)

前世との関わりで 子どもが授かるかどうか(5)

2023-02-26 08:39:17 | スピリチュアル
    (前日からの続き)
そして、もう一つ言っとかなきゃ
いけないのは、我々は前生もあるし前々生も
あるし、いろいろなもう前々々生もあるん
だけれども、霊界からこの世の中に親子に
なって降りて来る時に、この人が親ですよ、
あなたはこの両親の間に生まれて来るんですよ
という時に、我々は素直に向こうから来る時は、
はいと言って、そうだと想って降りて来る訳ね。
で、それと同時に記憶が消えるんですね。
つまり、そういう記憶があっちゃあ、この
世の中で光明体として神の器として生きていく、
本当の意味で修行していく為に、そういう
記憶は邪魔になってくる訳ですよ。
いろんなものがあったら困る。
だから、ごく少数の人をのぞいてはね、
前生に自分は何してたとか、男であったとか
女であったとか、いろんな記憶を消しちゃう。
そうして、もちろん霊界からの記憶も
消しちゃう。

だから、我々というのは、何かこうやって
ここに移住してる時には、この今の家族と
両親と兄弟とか、妻とか子どもとか夫とか、
そういう関わりの中で、会社にいったり、何か
商売したりとか、そういう今の関わりを絶対の
ものだと思って毎日を過ごしてゆくけれども、
しかし、本当はそうじゃない。
ずっとその積み重なりがあって、前の世の中で
公務員だった、前の世の中では武士だった。
ずっとある訳ですよ。
だけどそれを消しとかなかったら、邪魔で
しょうがないから消すけれど。
本当のこと言えば、この世の中だけの生命
じゃないから、例えば、この世の中で子どもが
授からないとしても、それは前生が
そうだったからというんじゃなくって、
そういう風に誓いをたてた人が、
子どもは授からないけれど、その代わりに
考えさせられる。
で、その人は未来永劫子どもが出来ないか
というと、そうではない。
      (つづく)

前世との関わりで 子どもが授かるかどうか(4)

2023-02-25 15:18:00 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
だけれども、そういう人たちはどういう今度
生き方をするかというと、それは様々
ですけれども。
例えば、夫婦の間で、他の子どもたちは
可愛いのに、自分の御主人との間の子どもは
どうしても産みたくないとか。
そういう風な想いになって出てくる。
そして、産みたくないという気持ちと同時に、
あるいは親になりたくない母親になりたくない、
父親になりたくないという気持ちと同時に、
子どもが無いことへの寂しさなり悲しみ、
孤独、あるいは葛藤ですね。
そういうものを味わう。
そういうことによって、子どもの生命
というもの、人間の生命というものが
何処から来るかとか、それが無いことが
どれ程大変なことかとか、そういうことを
ずっと考えさせられていく訳ですよね。
そういう形で、神様、守護霊さん守護神さん
というのは、やっぱり学ばせていくんですね。
そうかそうかで、そっちの方の苦労をさせ
ないよと放りっぱなしにしない訳ね。
決して放りっぱなしにしませんね。
        (つづく)

前世との関わりで 子どもが授かるかどうか(3)

2023-02-24 08:37:35 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
そこで、前生にそう想わせられてこの世に
出てきた時に、その為に子どもを持てなくなる
という人があるかというと、無いことはない、
あるんです。
それはどういう人があるかというと、例えば、
子どもに本当にひどい目にあって、
もう裏切られて裏切られて切ない想いをして、
もう子どもなんてものはたくさんだ、
もう懲り懲りだ、とんでもないという想いが
出た時、守護霊さんや守護神さん、神様に、
神様もう子どもは懲り懲りですと申し上げた時に、
向こうの世界では、やっぱり厳正な審査が
ある訳です。
ただその想いをそのまま受けとって、
ああそうかと子どもが出来なくする訳じゃ
ないんです。
その想いが、その人の我、欲になって
ないかどうか。
子どもが出来なくなったらいいというのは、
これも欲の一つなんで、
その欲になってないかどうかね。
いわゆる自分の気持ち感情そのままで
訴えてないかどうか。

そういうことじゃなくて、本当に人間として
辛くなって、これ以上肉体人間として、
子どもと関わるということがとても辛いと、
生きてられない程辛いと。
ただし、その時にはその人は、こういうことを
想わなきゃいけない訳ですね。
想わせられる訳です。
つまり、子どもを与えられることによって
苦しみも来るけれども、同時に、子どもを
与えられることによって、喜びも慰めも
励ましもね、いろいろなものが来る訳ですよ。
親が子を持つということはね。
そういう望み、希望も一切、将来にわたって
私は放棄しますと、要りませんと。
子どもの苦労は懲り懲りだけれども、
それ以外の苦労ならば私は喜んで致しますと。
そういう真実の気持ちからの訴えであるならば、
向こうの方でいろいろ調べましてね。
そして、これは本当の心から出てる、これ程
苦しんだのならば、じゃあ次の世の中は、
子どもこそ与えないけれども、違うところで
人間を見つめ直させようと。
あるいは、人間の生命(いのち)について
勉強させ直しをしようということになって
出て来る訳なんですね。
だから、例えば、我が儘でもってこの人の
子どもを欲しくないなんて想って産まないとか、
そういう次元で強く想って次の世の中にという、
そういうのじゃないんです。
本当に辛い想いをして、そこで、お願いします、
ただし違うことで役立てて下さいと言って、
次の世の中は違うことをやっていく。
そういう人がやはり何人かはいる訳ですね。
         (つづく)