人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

無 題(9)

2012-07-31 08:44:30 | スピリチュアル
 逝く河の流れは絶えずして、しかも元の水には
あらず─というのは、今、中学、高校の教科書にも
載っている有名な言葉ですが、これが、大勢の
子どもにも、大人にも目新しく毎年毎年見せられて
いるというのは実は、深い神様の方の神はからいが
あるわけなんですね、で、このことを話す前に、
一寸考えてみますと、たとえば、人と人が会う
ということでも、時間を決めて会うということも
あるけれども、その前の段階では、必ず、会いたい
という思いが湧くとか、会わされるとか、お互いが
お互いを呼んでいるわけで、気になっていたら、
手紙が来たとか、電話がかかってきたとかいうのは、
光を交換しているわけです。
 元々、人間というのは光ですからね、ここから
見てると、うちは闇の夫婦だというような顔を
している人もいるけれども、みんな、人間神の子、
光の子なんですよ。
 そこで、光というのは、我々いのちの
みなもと─神の息吹きなわけですね。ここまで
いいですか?すると、光というのはたえず、
自分が必要なところにとんで、あかりをともして
いるわけです。変化する。

 たとえばテレビをみたいと思ってつける、
それから暗いので電燈をつける─これは全くちがう
光の役割だけれど、それは、こちらのテレビを
みたい、あかりをつけたいという欲求に応じて
変化したものです。

 これが最大限に変化したのが生命なんです。
 いのちというのは、たえず新しい。一日一日、
一瞬一瞬新しい。着物を一枚一枚脱ぐように、
木々が芽ぶくように、生命は新しいものなんです。
 この新しいという意味には二つあります。
 一人一人の新しさと、人類全体、あるいは、
個々人のもっているいのちの新しさと。

 これを、今からお話ししたいと思います。
 一日一日、一瞬一瞬、私たちの生命は新しく
なっているわけですが、それは、いわゆる大神様、
守護神様、守護霊様が、みなさんを霊界の方へ、
神界の方へと導いてゆく、わかりやすくいえば、
この世で定められた運命の修正でね、プラス、
マイナスの運命修正が働くわけだけれども、
守護神、守護霊の愛念はプラスの方へみなさん
一人一人の運命修正を毎日毎日して、生まれてから、
死ぬまで、そして、霊界神界へ行って修正をして、
何十生何百生の修行が完成するまでの瞬々刻々を、
丁度、さなぎが、ちょうになるまでに、何回か
カラをぬぐように、守りつづけて、生命を新たに
してゆくわけなのです。

 ですから、わたくしがここで生命と申し上げて
いるのは、この世だけの、我々肉体人間の
記憶にある一生限りの、たかだか百年にもみたない
いのちではなくって、ずっとひとつづきに永遠の
宇宙神のみこころにとけ入る迄のいのちの
あたらしさをいうのです。

 前にも申し上げたかも知れませんが、聖書の
中に、「あなたがたは、神の作品なのだ。」
という使徒パウロの言葉があります。この作品は、
我々人間の一人一人の神から分けいのちとしての
それであって、永遠の真理に向かって運動を
つづけてゆく我々一人一人の状態をいう
のであります。
 いのちが新しくされるとは我々が、つねに
「常ならぬ」状態にいるということであって、
目には見えなくても、一瞬一瞬変化を
している─神から与えられたいのちを朗らかに
生かすために日々を生きること、生きて
ゆくことをいうのであります。こうした哲理、
生命の真理というものが、実は、我々一人一人、
個人の日常には、奥深くかくされて働いている。
 だから、我々が、人に会いたくなって手紙を
書き、会いに出かけるという時は、我々の中の
奥深いいのち、私の言葉でいえば、我々を支配
している霊体が自らプラスの変化、プラスの
運命修正を求め守護神、守護霊に働きかけて、
自らのいのちの充実のために働くのであります。
 こうした個々の運動が、人類に拡がる時、
人類の一員である、我々一人一人は、守護霊、
守護神をとおして法則の神、宇宙神、愛なる
神へとつながってゆくのであります。

 逝く河のながれはたえずしてしかも元の水には
あらずというあの有名なことばは、この個人、
人類のいのちの変遷、無情─つねに新しい
プラスの運命修正へと我々人類と宇宙人類を
みちびいてやまない真理の言葉をいうので
あります。


世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
わたくし達の天命が完うされますように
守護霊様
守護神様
五井先生ありがとうございます
み心のままに
この器を
お使い下さい