人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

人類の進化

2013-11-30 06:24:05 | スピリチュアル
人類の進化というものには
かぎりがありません

純朴に神を求めて
自分自身のすがたを
祈りのうちに
求めてゆくときに
私たちは
自分自身がはめた
自分はこういう人間だ
というたがから
一つ一つ
外されてゆくことになるのであります

本来
いのちというものに区切りがないように
(役目の終了、はじまりはありますが)
自分というもの
人間というものは
宇宙大にもなり
無限にひろがって存在してゆく
ものなのであります

すなわち
自分自身を
すなおにして
人に
神につくして参りますとき
人間というものは
おのずから透明になって
すきとおり
自分もなく人もなく
あるがままのいのちを
楽しむものなのであります

この地上には
さまざまなことがあって
我々はその一つ一つに
とらわれ
よろこび
かなしみ
苦しんでおりますが
我々の本来のいのちとすがたとは
すべてのものから
解き放たれて
ただ光をながし
光を受ける
神の愛を受け
またその愛をながして
限りなき進化 神の愛に溶け込むための
進化を
かさねてゆく存在なのでありまして
いのちというものは
光をもととし
そのひかりは
神の愛を光源としておりますから
どこで区切られるという性質の
ものではありません

ただ
朝となり昼に至り夕暮れとなり夜になる
それぞれの時の移りのなかで
我々の心が神をおもい 神をしたう
ことはあります
しかし
それすらも
ただ神の愛のなかに溶けて
光一元の世界
光明体の自分自身へと
かえってゆくのであります
 
人類の進化は
愛を
尋(と)めつくしてゆく
みずからの
本来の相(すがた)を
祈りのなかに求めてゆく
ときに
明らかになってゆくのであります
光へとながれ
愛へ至り
神我一体となるために
さりげなくいのちの光を
かがやかしてゆくために
私どもは
生きつづけてゆくのであります

祈りは本来 人を自由にさせるもの

2013-11-29 07:10:38 | スピリチュアル
こころに
たえることのない
火をもやして
ゆこう
愛という
やさしさという
火を

いきおいよく
燃え上がらなくともよい
パチパチと
音をたてていなくともよい
声高になることも
決していらない
ただ
しずかに
守護の神霊と
神を呼びつづけてゆけば
自然にこころに
火がともってゆく
その
火種が消えないように
多くの聖賢たちは
さまざまな祈りを
ささげた

阿弥陀如来を呼び
大日如来を呼び
イエスの名を唱え
あるときは
苦行のなかに
己れを投げ込み
激しく山野を
ひたすらに駆け抜いたりした
また
仏を刻むうちに
無を求めたりした

坐ることで
眠らないことで
経をよむことで
彼らはみな
朗らかな
いのちの源である
あなたと
ひとつになろうとした
みな それぞれに
祈りの火をかかげて
あなたを求めたが
私は今
しずかに
あなたから賜わった
世界平和の祈りのうちに
あなたを呼ぶ

世界平和の祈りよ
この数行のうちに
あなたの本心(こころ)は
さん然とかがやいている
そして
あなたのこころの奥に
さらにたえなる
愛の気が発せられていることを
私はしっている

みな
あなたを
それぞれに呼び求めたが
彼らの真実(まこと)は
世界平和の祈りを唱えるとき
霊妙な光明となって
小我である私たちをつつみ
つらぬくことを
私たちはしらされた

人が
本当は
あなたからわかれてきた
無量の光であり
はじめなくおわりなきいのちであり
軽やかに
己のいのちの歌を
あなたの前にうたいつづけている
存在であることを
私はしった

この祈りのなかに
あなたを求め
したいつづけて真摯に生きた
彼らのおもいが
すべて込められている

世界平和の祈りのなかで
私たちが生かされると同時に
彼らもまた
生きるのだ
永遠の進化を
人間がつづけてゆく存在であることを
私たちに教えてくれるのだ

人よ
世界平和の祈りのもとに
あつまろう
そして
自在となって
それぞれの天命を
朗らかないのちを
完うしてゆこう

人は本来
光としてながれているものなのだ
自由に
天地を創り
また天地を駆けて
歓喜の唄を
うたいつづけているものなのだ

すべての業は
神のいのちの前には
神の光の前には
永遠ではない
永遠(とわ)なるものは
ただ
神の愛
私たちは
世界平和の祈りを祈るとき
この神の愛につながった
自分自身で
あることを
しる

私達を
もとのすがたに還そうと
神は
さまざまな聖者を降し
祈りをくだして
そのなかで働かれた
そして今
すべての人の心に神性

呼び覚ます
霊性を呼びさます
愛の祈りを
しめされたのだ

人々は
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様、守護神様
ありがとうございます
という
この世界平和の祈りの
なかで
みずからの真実の相(すがた)を
覚知してゆく
人として
やさしさこそが
ゆるしこそが
そして
祈りこそが
この地上を光にし
みずからを
光にしてゆくことをしる
光であることを
しってゆくのだ

かつてイエスが
祈っている時に兄弟と
仲たがいしていることを
おもい出したなら
行って和解をなせ
といったのは
真実である

イエスは
祈りが
人として
まずこの世で
果たすべきことを
教えることを
こころに深くしっていたのだ

祈りは
かたちではなく
朗らかに
いのちが愛へとながれてゆく
その道筋をととのえて
ゆくものである

祈りは
人の真性を呼び覚ますものだから
その
真性から
外れたおもいが
あることに
気づかされると
たとえ
祈りの途中であっても
愛行を
することを
神は人に
命じるのだ

祈りというものは
本来
人を
自由にさせるものであり
人は
自らの存在を
自在に
神に溶け込ませて
ゆくものだから
つまりは
はじめなくおわりなく
明るく朗らかな
自分自身、真実の
自分自身に出会ってゆく
ことを
守護の神霊が
たすけてゆくのである

祈りの光明が
神の光が
あなたをとらえて
自由なあなた自身へと
みちびいてゆくのである

こころに出会い
祈りによって
自分自身に出会ってゆく
ことが
私の
そして
私達のよろこびなのである

ただ 愛と光ばかりがのこる

2013-11-28 08:00:39 | スピリチュアル
人は本来
光であることを
あなたは
私達の涙を
その掌に受けながら
ささやいて下さいました

私たちは
そのささやきを
おききしても
すぐには
かなしみからたち上がることが
できませんでしたが
あなたは
じっと
私たちを
やさしさのうちに
見守って下さいました

私は
涙のかれた声で
最初は
何の期待もなく
祈りの言葉を呟きました
それは
祈りというよりも
これまでの習慣からくる
単なる
つぶやきだったのです

つぶやいているうちに
私はふと
私のかなしみを忘れた
一瞬がありました
そしてそのとき
私自身が
あなたの大きな愛と
智恵の光に
しっかりとらえられていることに
きづきました

私は私だけではなく
私をみまもっていて下さる
多くの霊人の存在
をみました
彼らはみな
なつかしい笑顔を私にむけて
ともに如来印を組み
平和の祈り言をささげています
そして
彼らから
また
守護の神霊から
そしてあなたから
私のかなしみを
ぬぐい去ろうとする
やさしい光が
無限に私の心に流れ込んでくるのを
感じて
私はしばらく声もなく
ただ
その光を受けていました

神様
私はこれからも
たびたび
不安やかなしみに
とらえられるとおもいます
でも
あなたが今日
こうして私に
みせて下さった
すばらしいみまもりの相は
すべてを
消えてゆく姿として
とらえてゆくとき
ただ愛と光ばかりがのこるのだと
いう教えを
くり返しこころにうかべて
すなおに生きてゆけば
いいのだということを
しめしていただいたように
おもいます

私をはげますために 
あらわれて下さった霊人達の
姿、しかし
それにも
とらわれることなく
一切を消えてゆく姿として
世界平和の祈り言のなかに
あなたを呼びつづけて参ります
が、時折は
あなたが私自身をしっかりと
愛し
とらえて下さった
ことを
我身に刻み込むために
この一瞬を
おもい出すことを
おゆるし下さい

私のそして
私達の天命が
あなたの愛と光のなかにとけて
大元の世界、光明の世界へと
かえってゆくことができます
ように
どうぞ
私の祈りを浄めて下さい

あなたとともに
世界平和の祈りのうちに
あまねく
愛と調和の気が
みなぎりますように

青 空

2013-11-27 09:25:30 | スピリチュアル
青空は
どこまでも澄み切って
神の愛の深さをしめす

青はやがて
あおとなり
藍となって
その
目にしみるほどの深い
かがやきは
神の智恵を
しめしてゆく

神よ
あなたの前に
私たちは
私達の祈りをささげよう
私たちが
あなたの愛と
光のすえである
ことを
世界平和の祈り言のなかに
しめして下さった
あなたに
よろこびの
平和の祈りを
ささげてゆこう
       平成2年1月16日

無 題

2013-11-26 06:55:22 | スピリチュアル
こちらから
答を用意して
話をしてはいけません
それでは何も相手が
いえなくなってしまう
大事なのは
無になってその人の
話をきくことです
こちらが返して欲しい答を用意して
しまうと
それは枠にはめることになって
しまいます
 

今とても祈れません
という人に
それでも祈りというのは大事です
とやったのでは
これは何をしているかわからなくなって
しまいます
そうですねえ、祈れませんねえ
でもあなたのうしろで
いつも守護霊さんや
守護神さんが
みまもっているから
心配しなくても
祈れないときはかわりに
祈って下さいますよ
大丈夫大丈夫
といって安心させてあげるってことが
まず一番しなきゃなんない
ことですね
 

安心をあたえないで
おどかしたんじゃ
どうしようもないですよ
祈りもへったくれも
あったもんじゃない
みんな今までおどかしたでしょう
それで駄目だ駄目だといって
責めちゃあ祈れ祈れって
云ってね
だけど
それじゃあ救われて
ゆかないですよ
みんなが釈迦や
イエスになれれば
ともかくね
そんなのなれっこないですからね
 

だから今の自分を
すっかり全部認めて
そしてそれを一回
神様の前にかえして
光とエネルギーをもらう
いのちをいただきなおすということが
何よりも必要なことになって
くるんですね 
ああ又駄目だった
ごめんなさい
そしてそのごめんなさいに
とらわれすぎないために
私は
消えてゆく姿って
いうことを
いうわけです
 

これで過去世の業が消えて
本心があらわれるんだな
光が入ったんだなとおもう
そして
徹底して
感謝行にかえてしまうんです
そうすると
感謝っていうのは光ですからね
もともと光だった我々の
本心の光と
よび合って
とらわれがへり
光ばかりのいのちにしてゆく
やがてはみんな光になってゆくけれど
世界平和の祈りと消えてゆく姿は
そのさきがけのお手伝いをしていると
こういうわけです
            平成2年1月14日