ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

フランスの死に急ぐ子どもたち・・・その背景。

2011-01-24 20:21:30 | 社会
先日、リヨンで9歳の女の子が自殺しました。ショッキングな話題で、広く知れ渡りましたが、さて、フランスで子どもたちの自殺は増えているのかどうか、またその背景は・・・小児精神科医で、子どもを持つ親や家族向けの著名な月刊誌“Allée de l’enfance”にも寄稿しているステファーヌ・クレルジェ(Stéphane Clerget)さんが、『ル・フィガロ』のインタビューに答えています(『ル・フィガロ』(電子版)・19日)。

(子どもの自殺は頻発しているのだろうか?)
子どもの自殺はそう多くはない。稀だと言っていい。正確な数字がないのだが、それは自殺か事故か判断するのが難しいからだ。リヨンの件では、少女が自殺する旨を記した手紙を残していたので、自殺と認定できた。遺書がなければ、事故と認定していたかもしれない。子どもがテラスから身を乗り出し過ぎれば、起こりうる事故だ。

(子どもの自殺は以前より増えているのだろうか?)
どちらとも言える。子どもたちが以前より困難な状況に置かれ、また対策がしっかりと講じられていないため、子どもの自殺が増えているとも言えるが、一方、子どもの自殺について以前より頻繁に報道されたり語られるため、増えているような印象を持ってしまっているだけだとも言える。昔なら親によって事故とされていたことでも、今日では自殺と申し立てられる場合が増えている。従って自殺数が増えているとは言い切れないが、自殺について語られることが増えているのは事実だ。

(子どもからの自殺のサインは親に届いているのだろうか?)
子どもの自殺は、若者の場合と異なり、それほど衝動的なものではない。自己否定してしまう、うつ状態を病んでいる子どもの場合が多い。困窮した家庭で育つ子どもや、家族の誰かが自殺した家庭で育つ子どもの場合が多く、また子どもたちは閉じこもりがちか、あるいは逆に落ち着きを極端になくしている場合が多い。

(病気の影響は考えられるのだろうか?)
リヨンの件では、少女は糖尿病を病んでいた。慢性病は明らかに自尊心を弱め、うつを引き起こす要因になる。また病気の治療が副作用として感情に影響を及ぼす場合も考慮しなくてはいけない。

(子どもたちは死というものをどう認識しているのだろうか?)
5歳以下の子にとっては、死は人が一時的にいなくなり、再び戻ってくることと同じ程度のことでしかない。5歳から8歳の子にとっては、感覚的にしろ情緒的にしろ揺り動かされるようなものではない。8歳くらいなって初めて、死はもはや取り返しのつかないことだと認識されるようになる。もちろん子どもによっては、もう少し早くこう認識されることもある。

(子どもは実際、事の重大性を理解しているのだろうか?)
8歳くらいになれば理解できるだろうと思うが、同じ8歳でも今の子は以前より成長が遅いようだ。死への理解も遅れているような気がする。以前は、子どもたちも家庭で営まれる祖父母などの葬儀に参列していたし、地方では動物の死に立ち会う機会も多かった。つまり、肉体的、具体的な死というものに立ち会う機会があったのだが、今日では死が抽象的なものになってしまっている。死に出会うのは、テレビの中であったり、テレビゲームの上であったりする。従って、死が取り返しのつかないものだと頭では分かっていても、その観念はとても曖昧なものでしかない。

(では、窓から身を投げる行為をどう解釈しているのか?)
窓から身を投じる(la défenestration)という言葉はまず、何ものかから逃げ出す、飛び去る、自由になるというイメージをもたらす。しかし、地上に押しつぶされるというイメージは必ずしも持たれていない。苦しめているものから逃れたいという意思であり、死としてきちんと認識されているわけではない。

・・・ということなのですが、核家族化、自然との乖離、現実感の希薄化、成長の遅れ、そして何よりも子どもを取り巻く環境の悪化、こうした事柄が、自殺の低年齢化を、フランスに限らず日本でも、そしてたぶん世界の多くの国々で引き起こしているのではないでしょうか。

こうした状況に、異常気象なども相まって、人類滅亡への一歩なのではないかと思ったりするのですが、そこで思い出すのが、レミング(lemming)。鼠のような小動物で、北極やツンドラ地域に住んでいますが、個体が増え過ぎると集団自殺すると言われていました。しかし実際には、集団自殺はしないそうです。集団移住する際に、誤って崖から落ちてしまうレミングが結構いるため、集団自殺だと誤解されていたそうです。自殺の増加や低年齢化が、人類滅亡へ向けた人類自身による一歩だという思い込みも、同じように誤解であってほしいと思います。自らを危機から救い出す知恵が人類にはあるはずですから。

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