最近のフランスのニュース番組は、チュニジアの政権転覆の話題一色。何しろ旧植民地であり、フランスに移住したチュニジア人も多い。またその逆にチュニジアに住むフランス人も多い。地理的距離にしても、地中海を一跨ぎ。まさに指呼の間。France2、夜8時のニュースのキャスターもチュニスから生中継し、翌日にはまたパリから放送していました。
それほど、地理的にも、歴史的にも、そして今日の社会においても密接な関係にあるフランスとチュニジア。しかし、今回の政権転覆、いわゆる「ジャスミン革命」に関しては、フランス政府の対応は後手に回り、ほとんど介入らしい介入もできませんでした。ベンアリ(Ben Ali)前大統領が亡命を求めた際、拒否したと言われているのが唯一の対応と言ってもいいほど。その動きのなさはどうしてだったのでしょうか。政権与党の自己批判、あるいは自己弁護を聞いてみましょう。17日の『ル・フィガロ』(電子版)が伝えています。
ジャスミン革命(la Révolution du jasmin)に対する支援が遅く生半可なものだったと厳しい批判を受け、政府は17日、チュニジア国民の怒りを過小評価していたことを認めた。
数日前まで、政府はチュニジア国民を支援することを拒否していた。彼らの抵抗を過小評価していたのだ。それが本日(17日)、方針転換し、前政権が転覆する最後の瞬間まで、政治的・経済的理由からベンアリ前大統領を支持していたことに関する自己批判を始めた。
先週、アリヨ=マリ(Michèle Alliot-Marie)外相は、チュニジアで起きているのは労使紛争であり、参加者を鎮圧するためにフランスの治安部隊を派遣したいと提案、野党から一斉に非難の集中攻撃を浴びた。特に社会党のモスコヴィチ議員(Pierre Moscovici:2012年大統領選挙の社会党候補を決める予備選挙への立候補を公言しています)と緑の党のデュフロ女史(Cècile Duflot:欧州議会・緑の党の書記を務めています)は外相の辞任を要求したほどだ。
アリヨ=マリ外相は17日夜、France2、8時のニュースでのインタビューで、自分の発言が曲解されてしまったと弁明。言いたかったのは、フランスは騒動を大規模な武力を行使せずに収めることができる経験とノウハウをチュニジアに提供する用意がある。そうすれば、デモを継続させつつ、過激に走らないよう上手にコントロールできるのだから。こう言いたかったのだ。
一方、ジュペ(Alain Juppé)国防相は、チュニジア国民の怒りがこれほどのものだということを見落としていたと認めた。アメリカの同盟国である欧州の国々は、チュニジアの体制を支持してきた。ベンアリ政権の下、政治は安定し、経済も成長していたからだ。女性の地位向上など社会変革も行われ、教育の水準も向上した。こうした状況を見るにつけ、警察による強権的な体制の下で暮らすチュニジア国民の激しいいらだちを過小評価してしまったのだ。
また、サルコジ大統領の特別顧問、ゲノ氏(Henri Guaino)は、政権の不手際と理解不足は認めたが、フランスが明らかな介入をしたり、大規模な鎮圧作戦を行うことはできないという理由から、フランス政府の対応を擁護した。そして、次のように述べた。フランスが何をすべきだったのか、ということが問題になっているのだが、フランスが旧植民地の内政に干渉したら、何と言われただろうか。野党であろうと与党であろうと、専門家であろうと、そしてチュニジア人自身、事態がこれほど急速に、大きく、ドラマティックに変化するとは予想できなかったはずだ。しかも、フランスが地中海の保安官であるべきだと決まっているわけでもない。
最近、チュニジア人女性と結婚したばかりのベソン(Eric Besson)産業担当大臣は、アメリカの手先のようなフランスの立場を皮肉った。チュニジアに住むアメリカ人も、逆にアメリカに移住したチュニジア人もそれほど多くない。だから、アメリカはチュニジアにいるアメリカ人の安全を心配する必要がない。しかし、チュニジアには22,000人ものフランス人が住んでいるのだ。オバマ大統領はチュニジアの政変に際して、“bravo, good luck”と言えば済むのだろうが、フランスは在外国民の安全を確保するためにも、用心を欠かさないようにすべきなのだ。
・・・ということなのですが、確かに、フランス政府の対応には問題があったようです。メディアは早くから、フランス政府の動きのなさを批判していました。10日にはすでに、「チュニジアの悲劇にフランスは沈黙を守る」という政府批判が掲載され、14日には、「ビロード革命が、ついにアラブ世界で起きている」と、単なる抗議活動ではなく、もはや「革命」と呼ぶべきものだという記事を出していました。そして16日、「ベンアリ一族は1.5トンの金塊と共にチュニジアを脱出した模様だ」と報道。
さすが「フランス革命」の伝統を持つ国、「革命」という言葉が好きなようですし、それ以上に「革命」の匂いを見事にかぎ出すことができるようです。しかし、こうしたメディアの声にもかかわらず、ベンアリ政権との関係、他の国々との連携などを重視したのか、フランス政府の対応は非常に遅かったようです。
一方、われらの日本にとっては、チュニジアはアラブ世界への大きな窓口。昨年12月には、前原外相や大畠経済産業省(当時)も出席し、「日本・アラブ経済フォーラム」の第2回会合がチュニスで行われ、日本とアラブ諸国の経済関係強化をうたった「チュニジア宣言」も採択されました。そのチュニジアで、政変が起きてしまった・・・新政権の下、国内が安定した後には、また再び関係強化に取り組む必要に迫られます。アフリカやアラブ世界で、その存在感を急速に高めている中国の後を追いかけなくてはなりませんから。
まだ後継政府づくりがうまくいかず、ベンアリ政権の残党との武力衝突もあるようです。流血騒ぎにならずに、政権移行が平和裡に行えるといいのですが。そう願っています、しかし同時に、関心は、本当に1.5トンもの金塊を持ちだしたのだろうか、もしそうだとすれば今の価格でいくらくらいになるのだろうか、という下世話な方向へと向かってしまいます。これではいけない。いくら普段あまり情報に触れる機会がない国の政変とはいえど、「世界の今」の動き。真摯に見つめなくてはいけないと、フランス政府よろしく、自己批判です。
それほど、地理的にも、歴史的にも、そして今日の社会においても密接な関係にあるフランスとチュニジア。しかし、今回の政権転覆、いわゆる「ジャスミン革命」に関しては、フランス政府の対応は後手に回り、ほとんど介入らしい介入もできませんでした。ベンアリ(Ben Ali)前大統領が亡命を求めた際、拒否したと言われているのが唯一の対応と言ってもいいほど。その動きのなさはどうしてだったのでしょうか。政権与党の自己批判、あるいは自己弁護を聞いてみましょう。17日の『ル・フィガロ』(電子版)が伝えています。
ジャスミン革命(la Révolution du jasmin)に対する支援が遅く生半可なものだったと厳しい批判を受け、政府は17日、チュニジア国民の怒りを過小評価していたことを認めた。
数日前まで、政府はチュニジア国民を支援することを拒否していた。彼らの抵抗を過小評価していたのだ。それが本日(17日)、方針転換し、前政権が転覆する最後の瞬間まで、政治的・経済的理由からベンアリ前大統領を支持していたことに関する自己批判を始めた。
先週、アリヨ=マリ(Michèle Alliot-Marie)外相は、チュニジアで起きているのは労使紛争であり、参加者を鎮圧するためにフランスの治安部隊を派遣したいと提案、野党から一斉に非難の集中攻撃を浴びた。特に社会党のモスコヴィチ議員(Pierre Moscovici:2012年大統領選挙の社会党候補を決める予備選挙への立候補を公言しています)と緑の党のデュフロ女史(Cècile Duflot:欧州議会・緑の党の書記を務めています)は外相の辞任を要求したほどだ。
アリヨ=マリ外相は17日夜、France2、8時のニュースでのインタビューで、自分の発言が曲解されてしまったと弁明。言いたかったのは、フランスは騒動を大規模な武力を行使せずに収めることができる経験とノウハウをチュニジアに提供する用意がある。そうすれば、デモを継続させつつ、過激に走らないよう上手にコントロールできるのだから。こう言いたかったのだ。
一方、ジュペ(Alain Juppé)国防相は、チュニジア国民の怒りがこれほどのものだということを見落としていたと認めた。アメリカの同盟国である欧州の国々は、チュニジアの体制を支持してきた。ベンアリ政権の下、政治は安定し、経済も成長していたからだ。女性の地位向上など社会変革も行われ、教育の水準も向上した。こうした状況を見るにつけ、警察による強権的な体制の下で暮らすチュニジア国民の激しいいらだちを過小評価してしまったのだ。
また、サルコジ大統領の特別顧問、ゲノ氏(Henri Guaino)は、政権の不手際と理解不足は認めたが、フランスが明らかな介入をしたり、大規模な鎮圧作戦を行うことはできないという理由から、フランス政府の対応を擁護した。そして、次のように述べた。フランスが何をすべきだったのか、ということが問題になっているのだが、フランスが旧植民地の内政に干渉したら、何と言われただろうか。野党であろうと与党であろうと、専門家であろうと、そしてチュニジア人自身、事態がこれほど急速に、大きく、ドラマティックに変化するとは予想できなかったはずだ。しかも、フランスが地中海の保安官であるべきだと決まっているわけでもない。
最近、チュニジア人女性と結婚したばかりのベソン(Eric Besson)産業担当大臣は、アメリカの手先のようなフランスの立場を皮肉った。チュニジアに住むアメリカ人も、逆にアメリカに移住したチュニジア人もそれほど多くない。だから、アメリカはチュニジアにいるアメリカ人の安全を心配する必要がない。しかし、チュニジアには22,000人ものフランス人が住んでいるのだ。オバマ大統領はチュニジアの政変に際して、“bravo, good luck”と言えば済むのだろうが、フランスは在外国民の安全を確保するためにも、用心を欠かさないようにすべきなのだ。
・・・ということなのですが、確かに、フランス政府の対応には問題があったようです。メディアは早くから、フランス政府の動きのなさを批判していました。10日にはすでに、「チュニジアの悲劇にフランスは沈黙を守る」という政府批判が掲載され、14日には、「ビロード革命が、ついにアラブ世界で起きている」と、単なる抗議活動ではなく、もはや「革命」と呼ぶべきものだという記事を出していました。そして16日、「ベンアリ一族は1.5トンの金塊と共にチュニジアを脱出した模様だ」と報道。
さすが「フランス革命」の伝統を持つ国、「革命」という言葉が好きなようですし、それ以上に「革命」の匂いを見事にかぎ出すことができるようです。しかし、こうしたメディアの声にもかかわらず、ベンアリ政権との関係、他の国々との連携などを重視したのか、フランス政府の対応は非常に遅かったようです。
一方、われらの日本にとっては、チュニジアはアラブ世界への大きな窓口。昨年12月には、前原外相や大畠経済産業省(当時)も出席し、「日本・アラブ経済フォーラム」の第2回会合がチュニスで行われ、日本とアラブ諸国の経済関係強化をうたった「チュニジア宣言」も採択されました。そのチュニジアで、政変が起きてしまった・・・新政権の下、国内が安定した後には、また再び関係強化に取り組む必要に迫られます。アフリカやアラブ世界で、その存在感を急速に高めている中国の後を追いかけなくてはなりませんから。
まだ後継政府づくりがうまくいかず、ベンアリ政権の残党との武力衝突もあるようです。流血騒ぎにならずに、政権移行が平和裡に行えるといいのですが。そう願っています、しかし同時に、関心は、本当に1.5トンもの金塊を持ちだしたのだろうか、もしそうだとすれば今の価格でいくらくらいになるのだろうか、という下世話な方向へと向かってしまいます。これではいけない。いくら普段あまり情報に触れる機会がない国の政変とはいえど、「世界の今」の動き。真摯に見つめなくてはいけないと、フランス政府よろしく、自己批判です。