ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

同性婚訴訟をたらい回し――フランスの司法。

2011-01-21 21:11:45 | 社会
日本は同性愛に関しては、長い歴史を持っています。平安朝には貴族同士、南北朝から室町時代にかけては僧侶と稚児、戦国時代から江戸時代には武士と小姓・・・織田信長と森蘭丸はとくに有名ですね。

しかし、同性の結婚となると話は別で、今日においても憲法第24条1項に「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し・・・」と書かれており、男女でなければ結婚は認められていません。この項目は、本人同士の合意があれば結婚できるという意味なのではないかと私のような素人は思ってしまいますが、文字どおりに解釈され、同性婚は認められない根拠になっているようです。

一方、同性の結婚が認められている国々があります。オランダが2001年に、ベルギーは2003年、スペイン2005年、ノルウェー2009年、スウェーデン2009年など、すでに同性婚を認める法律が施行されている国々。またポルトガルなど法律は成立し、施行を待つだけの国々もあります。

愛の国・フランスはどうかというと、認められていません。カトリックの影響かとも思えますが、スペインやポルトガルで同性婚を認める法律が成立しているわけで、必ずしもその所為とも思えません。しかも毎日曜日に教会に行くような信心深い(pratiquant)フランス人は激減しているわけですから。

毎年6月に「ゲイ・パレード」が盛大に行われるフランスで、どうして同性婚が認められないのでしょうか。同性、異性を問わず、共同生活を営むカップルに実質的な法的権利を認める“PACS”(Pact civil de solidarité:民事連帯契約法)があるため、「結婚」にこだわらないのではないかと思います。異性同士でも、結婚せず、PACS関係の人たちも多いのですから。

しかし、同性カップルの中には、「結婚」にこだわる人たちもいます。法的に認められた結婚を求めるカップルの悪戦苦闘を18日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

コリーヌ(Corinne)とソフィー(Sophie)の同性婚を認めさせる戦い。コリーヌは小児科医、ソフィーは英語の教師。シャンパンの生産地にして、歴代フランス国王の戴冠式が行われたノートルダム大聖堂でもお馴染みのランス(Reims)の近くに住む、アラフォーの女性同士のカップルだ。共同生活を始めて13年、PACSを申請して10年になる。

子どもを産み、一緒に育てたい二人は、ベルギーで人工受精により子どもを産むことにした。今では6歳から10歳まで、3人の男の子を育てている。コリーヌかソフィー、いずれかが二人を、もう一人が一人の男の子を生んでいる。しかもいずれかが前のパートナーとの生活でもうけた16歳の女の子もおり、子ども4人との6人家族を営んでいる。

二人が法的に結婚を認めてもらおうとしたのは、これらの子どもたちのためだ。二人はラジオ番組で次のように語っている。自分たちが死んだら、子どもたちを誰が守ってくれるのか(PACSでは相続権は認められていません)。子どもたちはママと呼んでくれているが、自分は子どもたちにとって法的には何物でもない。自分たちは、不妊症のカップルと同じように、体外受精で子どもを産んだのに、現状はあまりに違いすぎる。

そこで、同性婚を認めてもらおうと、法的手続きに訴えた。担当する弁護士によれば、二人の家族は、静かに、秩序正しく、控え目に暮らしており、周囲から受け入れられている。また二人を知る人たちは、同性婚に賛成をしている。

しかし、世論や政治家の間では同性婚への逆風が強い。二人は6年前に住んでいる町の市長に結婚を申請したが却下されてしまった。そこで去年の5月、ランス地裁(le tribunal de grande instance de Reims)に提訴。しかし地裁は判決を下さず、最高裁(la cour de cassation)に判断をゆだねた。すると、最高裁は、同性婚の合憲性を判断するのは憲法裁判所(le Conseil constitutionnel)だとして、訴状を憲法裁判所に送った(どう判断しても、賛否両論、かまびすしくなりそうな件だけに、渦中に巻き込まれないよう、上級審に送ってしまったようです。君子危うきに近寄らず、というよりは、責任逃れ、ですね)。

同性婚に関する事件として、広く知られたケースがある。ベーグルの結婚カップル(les mariés de Bègles)だ。(2004年6月5日に)男性同士のカップルの結婚を、ジロンド県ベーグル市(Bègles)のマメール市長(Noël Mamère:緑の党所属で下院議員を兼職)が祝福したのだが、後に司法判断により取り消されしまった(しかも、マメール市長は停職1カ月を内務省から命じられてしまいました)。

コリーヌとソフィーの弁護士は、ベーグルの悲劇を繰り返さないようにと戦術を考えているのだが、訴状は憲法裁判所へ送られてしまった。今月18日に行われた憲法裁判所での公判で、二人は個人的な理由からの提訴で、決して政治的、あるいは組織的な背景があってのものではないと強調している。しかし、“SOS Homophobie”(SOS反ホモセクシュアル)や“APGL”(Association des parents et futures parents gays et lesbians:現在形および未来形で子どもを育てるゲイとレズの協会)などが二人の応援に駆け付け、却って若干、ありがた迷惑になっている。

こうした状況に、関係者は、今月28日に憲法裁判所が判断を下す予定になっているが、憲法裁判所はボールを内閣に投げてしまうのではないか、と心配している・・・

ということで、結婚を法的に認めてもらおうとするものの、困難な判断を下すことを回避したい司法によって、訴状がたらい回しにされているコリーヌとソフィーの同性カップル。最後は政治が判断することになるのでしょうか。

それにしても、憲法や法律を守る司法の保守的態度はどこの国でも同じようなのですね。「守る=守旧派」となってしまうのでしょうね。スポーツなど勝負の世界でも、守るものがないのは強みだと言われますから、守りに入るとどうしても事なかれ主義に陥ってしまうのでしょう。しかし、守るものはしっかり守り、その上で理性的な判断をしたい・・・そう思うのですが、なかなか、そうはうまくいかないのが、人間であり、その社会ですね。人間は感情の動物とも言いますし、何しろ損得勘定が働いてしまう。まずは自分と自分が守らなければならないものが損害を被らないように・・・弱きものよ、汝の名は「人間」、なのでしょうか。そう思うのは、私だけなのかもしれませんが。