ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

PPDAのPはPlagiatのPか・・・ある伝記をめぐる盗作疑惑。

2011-01-09 21:28:46 | 文化
テレビ局TF1の夜8時のニュースで長年キャスターを務めていたパトリック・ポワーヴル(Patrick Poivre d’Arvor:長いので頭文字をつなげて(acronyme)、PPDAと呼ばれています)。何しろ1987年から2008年まで、20年以上にわたって夜8時の顔としてキャスターを務めてきましたので、フランスでは知らぬ人はいないほど。歴代の大統領をはじめ各ジャンルの有名人へのインタビューもこなしてきました。

ジャーナリストとして活躍する傍ら、執筆活動も行っており、弟のオリヴィエ(Olivier Poivre d’Arvor)との共作も含めて60冊もの著作があります。特に伝記作品が高い評価を受けている作家です。

そのPPDAの新作が、今、盗作(plagiat)騒ぎに巻き込まれています。その新刊はヘミングウェイの伝記もので、“Hemingway, la vie jusqu’à l’excès”(ヘミングウェイ、その貪欲なる人生)というタイトルで、今月19日に書店に並ぶことになっています。

その出版を前に出版元から作品を入手した週刊誌“l’Express”(『エクスプレス』)が、414ページの中の100ページほどがヘミングウェイに関する別の作品からの剽窃だと指摘。その批判に対するPPDAの対応を中心に、6日の『ル・モンド』(電子版)が騒ぎの概略を伝えています・・・

間もなく出版される新作が、1985年に出版された(別の資料ですと、1987年5月刊)アメリカ人作家、ピーター・グリフィン(Peter Griffin)の作品“Along with youth : Hemingway, the early years”(青春とともに。ヘミングウェイ、その若き日々)からの盗作ではないかという批判を受けて、6日、PPDAが通信社AFPに次のような感想を寄せている。

2日前からの騒ぎに接し、ただただ驚き、言葉を失っている。まだ出版もされていない作品について剽窃の疑いをかけられているのだが、その批判の対象となったのは、最終稿ではない。12月に一部のマスコミが入手した原稿は推敲途中の版で、将来の映画化を念頭にいろいろな書き込みをしたものだ。昨年の夏に初稿が出来上がって以降、11回も編集者との間でやり取りをしてきた。当初の原稿では700ページにも及ぶ大作になってしまうため、一部をカットするよう編集者が言ってきたが、自分なりに短くした。

特にヘミングウェイの若かった時期についての記述を短くしたが、この部分を書き上げる際に、指摘されているピーター・グリフィンの作品を参考にはした。それはグリフィンの作品が、ヘミングウェイの若き日々に関しては最も優れた伝記になっているからであるが、作家が誰かの伝記を書く際には、さまざまな資料を蒐集し、読み込むことはごく普通に行われていることではないか。しかも、盗作を指摘されている版にしても、巻末の註の部分で18か所もグリフィンの作品からの引用であることを明記している。盗作する気なら、誰がその盗作元を註で明示するだろうか。1年半をかけて書き上げたこの作品の批評は、出版された最終稿を読んでからしてもらいたいものだ。

こうしたPPDAによる説明・自己弁護は『エクスプレス』の記事が出た翌日、出版元“Arthaud”(アルト社)から初めて出されたものであり、PPDAは直接のインタビューには応じていない・・・

ということなのですが、確かに盗作している作家がその盗作元を脚注で示すとは思いにくい。しかし、400ページのうち100ページにわたって他の作品に酷似した表現があるというのも、確かに変です。盗作なのか、単に似た表現が多くなってしまったのか。いずれにせよ、PPDAはジャーナリストでもあるわけですから、真実を公表すべきでしょう。それも、単に回答するのではなく、今回の盗作騒ぎをドキュメンタリー作品に仕上げ、その中で真実を語れば、それは天晴れというものだと思いますが。

盗作、剽窃・・・日本でもかつていく度か問題になったことがありますが、この問題には、確かにグレー・ゾーンがありますね。パロディなのか、引用なのか、盗作なのか。また、修行の一方法として誰かの作風を模写する場合もありますが、あまりにも一人の作品に傾倒しすぎると、いざ自分で書く場合にどこか記憶の奥に潜んでいる模写したオリジナルが顔を出してしまうこともあるのでしょう。グレー・ゾーンだからこそ、剽窃のそしりを受けないためにも、より一層慎重にならざるを得ないのでしょうね。