平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

三島由紀夫と2・26事件(13)

2005年12月18日 | 三島由紀夫について
 「人間宣言」は、ハロルド・G・ヘンダーソン中佐という人が書いた英文の草稿が元になっていると言われています。それを宮内省に取り持ったのは、学習院の英語教師であったR. H. ブライス(妻は日本人)でした。

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〔・・・・〕GHQよりブライスが受け取った最初の英語の草案〔・・・・〕が日本語に訳され、それが天皇に届けられた。天皇は、この声明は私の考えと全く同じであるが、自分がはじめから持っていない神格を否定するということはどうだろうかと言ったという。しかし、世界各国の人々が、天皇が現人神を以て自認していると信じている今日、天皇がみずからそれを否定されることは重要であり、意味があると側近は伝えた。すると天皇はそれに同意するとともに、「万機公論に決すべし」と世論を重視した祖父明治天皇の「五箇条御誓文」を付加して宣言することを希望したといわれる。このようにして用意された草案をもとにして幣原喜重郎首相と前田多門文部大臣がこの詔書(英文と日本文)を書き上げたということである〔・・・・〕。いずれにせよ、この「人間宣言」の内容は、天皇自身の考えを示すものであることは確かだと理解してよいであろう。(武田清子『天皇観の相克』)
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 「最初の英語の草案」がどのような文言だったかはわかりませんが、そのメインは、まさに「人間宣言」の部分であったと思われます。この英文草案は、その当時高まっていた「天皇を戦犯として裁け」という国際的圧力を緩和するために、GHQ(その背後には当然、マッカーサーがいました)と親日派米英人が天皇の身を守るために工夫した声明であったのです。それは元来、天皇ご自身の発案ではありませんでした。

 ところが、それを陛下にお見せしたところ、それは「私〔昭和天皇〕の考えと全く同じ」であったのです。しかし、陛下にとってはそれはあまりにも当たり前のことなので、「自分がはじめから持っていない神格を否定するということはどうだろうか」と、いったんは躊躇しましたが、「世界各国の人々が、天皇が現人神を以て自認していると信じている今日、天皇陛下がみずからそれを否定されることは重要であり、意味がある」という側近の意見を入れたのです。

 しかし、天皇陛下ご自身にとっては、新年の詔書でもっと重要だったのは、「五箇条御誓文」のほうであったのです。それが詔書の冒頭にあることも、天皇陛下のお考えをはっきりと示しています。

 昭和天皇ご自身、のちに記者会見で、この詔書を出した目的を以下のように語っています。

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記者
 ただそのご詔勅の一番冒頭に明治天皇の「五箇条の御誓文」というのがございますけれども、これはやはり何か、陛下のご希望もあるやに聞いておりますが。

天皇
 そのことについてはですね、それが実はあの時の詔勅の一番の目的なんです。神格とかそういうことは二の問題であった。
 それを述べるということは、あの当時においては、どうしても米国その他諸外国の勢力が強いので、それに日本の国民が圧倒されるという心配が強かったから。
 民主主義を採用したのは、明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして五箇条の御誓文を発して、それがもととなって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあったと思います。
 それで特に初めの案では、五箇条の御誓文は日本人としては誰でも知っていると思っていることですから、あんなに詳しく書く必要はないと思っていたのですが。
 幣原がこれをマッカーサー司令官に示したら、こういう立派なことをなさったのは、感心すべきものであると非常に賞讃されて、そういうことなら全文を発表してほしいというマッカーサー司令官の強い希望があったので全文を掲げて、国民及び外国に示すことにしたのであります。

記者
 そうしますと陛下、やはりご自身でご希望があったわけでございますか。

天皇
 私もそれを目的として、あの宣言を考えたのです。

記者
 陛下ご自身のお気持ちとしては、何も日本が戦争が終ったあとで、米国から民主主義だということで輸入される、そういうことではないと、もともと明治大帝の頃からそういう民主主義の大本、大綱があったんであるという……。

天皇
 そして、日本の誇りを日本の国民が忘れると非常に具合が悪いと思いましたから。日本の国民が日本の誇りを忘れないように、ああいう立派な明治大帝のお考えがあったということを示すために、あれを発表することを私は希望したのです。

(『陛下、お尋ね申し上げます』、高橋紘+鈴木邦彦、徳間書店)
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http://www.chukai.ne.jp/~masago/ningen.html

 すなわち、昭和天皇がこの「年頭の詔書」を出した目的は、

(1)「五箇条の御誓文」を再確認することが第一の目的であり、「神格とかそういうことは二の問題」であった。
(2)日本にはすでに明治憲法によって民主主義が存在していたのであって、あらためてアメリカから輸入するものではない、ということを示す。

ということです。「人間宣言」の部分は、いわば「刺身のつま」だったのです。しかし、天皇は現人神であるというイデオロギーを危険視していた諸外国や、そのイデオロギーを否定したいと考えていた日本のマスコミは、その部分のみを強調して、この詔書を天皇の「人間宣言」と呼ぶようになってしまったのです。それはある意味では、天皇ご自身の意に沿わない誤解であったのです。三島もこの誤解に引きずられている部分があります。



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