平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

Google――検索独占?

2007年01月22日 | Weblog
ジュセリーノの続きは次回にして、今日は1月22日(日)のNHKスペシャルのGoogle特集について書いてみます。

インターネット上に諸々の情報が氾濫するにつれ、どのように効率的に情報を整理するか、ということが大きな問題になってきました。あるキーワードで情報を検索して100万ものサイトが出てきたら、それらすべてを見ることは不可能です。その中でどれが重要でどれが重要でないか、というランク付けが必要になってきます。そこに登場したのがGoogle(グーグル)という検索サイトです。

Googleはいくつかの原則を組み合わせて情報を整理します。Googleはそれまでの検索エンジンよりははるかによい検索結果を出すことが知られるにつれ、検索エンジンのデファクト・スタンダードの地位を占めつつあります。私自身もGoogleをよく使います。多くの人が検索エンジンとしてはGoogleしか利用しない、という傾向が強まりつつあります。

Google検索の上位に出れば、そのサイトは訪問者が多くなります。それが商売に関係しているサイトであれば、売り上げが伸びます。

Googleは検索の順位付の基準を公表していません。そこで今度は、どうしたらGoogle検索で上位になるかを解析する会社が生まれ、それによって、特定の病院や会社が検索の順位を上げ、業績を伸ばすことに成功したことが番組では報道されていました。

それとは逆に、別の会社はある日突然、Googleの検索に載らなくなり、その結果、業績が急激に悪化しました。この会社はGoogleに対して訴訟を起こしました。

アメリカで「天安門」というキーワードで画像を検索すると、1989年の天安門事件の写真が多数出てくるのに、中国のGoogleで「天安門」を検索すると、それが一つも出てこない、という結果になります。つまり、中国のGoogleは検索に検閲(フィルター)をかけているわけです。

Googleはアメリカでもフィルターをかけています。

アメリカには農産物名誉毀損法(Veggie Libel Law)という法律があり、科学的証明がないかぎり、食品の安全性について悪評を立てることが禁じられています。そのため、たとえBSE(狂牛病)の疑いが濃厚あっても、科学者の証拠というお墨付きがなければ、それについての情報を流布させることが困難になります。これは、生産者側には都合がよい法律ですが、消費者にとっては、危険かもしれない食品情報に触れることができなくなります。インターネットにはそういう情報もアップされますが、Googleはアメリカの法律に違反しないように情報にフィルターをかけ、検索結果に出ないようにしています。

中国でのやり方もアメリカでのやり方も、国家権力と争ったら検索商売ができない、という思惑から行なわれていることは明白です。しかし、言論の最も重要な使命は、権力の監視ではないのでしょうか?

Googleは金儲けを目指すアメリカの1民間企業です。そういう私企業が検索の原理を公開しないまま、検索エンジンのデファクト・スタンダードになることは非常に危険です。

Googleの社員の中には、「Google政府」や「Google通貨」を目指す人までいるようです。恐ろしことです。

検閲が言論の自由を抑圧し、社会を歪めたことは、よく知られています。インターネット時代、検索の検閲は言論の自由を歪めます。

日本でも「Google八分」という言葉があります。あるサイトがある日突然、Googleに載らなくなるのです。番組で紹介されたアメリカの会社もGoogle八分にあったわけです。


たとえば、「政治家名+腐敗」という検索結果が表示されなくなると、その政治家のスキャンダル情報が隠蔽されます。

検索フィルターがすべていけないというわけではありません。青少年に有害な性情報や犯罪情報にはフィルターをかけるべきです。ただしその場合、どういう原則でフィルターをかけているかを公開しなければなりません。そのことによって、検索エンジン利用者は、検索結果にどういうフィルターがかかっているかを知ることができます。

しかし、内緒でフィルタリングすれば、それは巧妙な言論統制になります。

戦前の日本では、政府にとって不都合な情報は「●●」や「××」で置き換えられました。それによって人々は、少なくとも検閲が行なわれたこと、そして、検閲内容の推測ができました。しかし、戦後、GHQが行なった検閲は、そういう検閲の跡を残さない巧妙な検閲でした。そのため、日本国民は検閲が行なわれたことさえ知ることができなかったのです。Googleが行なっているフィルタリングはまさにGHQ的な検閲です。

政治の世界での権力独占は独裁政治です。経済の世界でも独占は弊害を生むので、「独占禁止法」があります。検索の世界でも独占は不健全です。様々な異なった原理原則で異なった検索結果を出すいくつかの検索エンジンが並存するほうが望ましいと思います。

なお、「平和エッセイ」の文章は、Yahoo検索のほうにはよく出てきますが、Googleではほとんど出てきません。まさかGoogleが「平和エッセイ」をGoogle八分にしているわけではないでしょうが。私がこんなブログを始めたのも、「平和エッセイ」がGoogleに載らなかったからです。ただし、このブログの文章はGoogleにも拾われているようです。