平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

富田メモ(2)

2006年07月29日 | 富田メモと昭和天皇
実は、日経新聞で報道されたメモの写真の右側には、別の用紙が見えます。また左側にも別の記述が見えます。

写真はここ(拡大して見てください)

問題の「A級戦犯合祀への不快」メモは、手帳本体に書かれているのではなく、別の紙に書かれ、あとからメモ帳に貼りつけられたものだそうです。たしかに、記述部分は横罫のない紙ですが、手帳本体には横罫が見えます。

そのメモの左側のページの記述を見ると、手帳本体の横罫が「とじしろ」部分に見えますが、記述の部分には横罫が見えません。ということは、こちらの記述もあとから貼りつけられたもののようです。

当該メモの右側に、何も記入されていない用紙が一枚貼りつけられていますが、その裏に書かれている文字が透けて見えます。

当該メモの左側に少し影が見えますので、この部分は少し浮き上がり、糊で貼りつけられていないようです。

これに対して、左側のページの紙にはそのような影が見えません。ということは、左側のページのメモは、全体が手帳に糊付けされているのか、右側部分が糊付けされているのかのどちらかです。

当該メモの右側に見える紙は、当該メモと最初からつながっていた用紙なのか、それともあとから右側に糊を付けてくっつけたかのどちらかです。全体的な印象からすると、最初からつながっているように感じられます。

当該メモの用紙は手帳本体より一回り小さい紙のようです。

いずれにしても、ずいぶん不思議な貼りつけです。富田さんは手帳にこういう貼りつけをよく行なっていたたのでしょうか。そのことは手帳の他の部分やほかの手帳も調べて確認しなければなりません。

もしそうだとすると、富田さんは、メモは横罫のないメモ用紙に書きつけ、あとで手帳に貼るというシステムを取っていたのかもしれません。

また、左側の記述と当該メモの文字の色がかなり違います。左は黒で、右はいわゆるブルーブラックです。左の記述には比較的鮮明な黒とかすれた黒があります。かすれた黒は鉛筆書きのようにも見えます。鮮明な黒はインクかボールペンかわかりません。

また黒の部分とブルーブラックの部分の字体が少し違うという指摘もあります。

こういうことから、このメモが「捏造」「工作」だと疑う人々がいます。つまり、左の方が古くてインクの色が変色しているのに、右の方(当該メモ)は青いから新しい、つまりあとから付け加えられたもので、贋ものだ、字体も違うではないか、というわけです。しかし、この議論は、両方とも同じインクを使っていたという前提に立っています。注意して見ると、両方のインクがそもそも最初から違っている可能性が高いです。

富田さんがアドホックにそのとき手元にあった筆記用具(万年筆、ボールペン、鉛筆など)を使っていたのだとすれば、色の違いは不自然ではありません。左側の用紙でも、鉛筆の記述と(ボール)ペンの記述が混じっているとすれば、これは異なった日時のメモかもしれません。字体も、日にちや書く条件(机に向かってか、手に手帳やメモ帳を持ってか)によって微妙に変わってきます。どちらかというと、左側のページに乱雑な文字(とくに鉛筆書きに見える部分)が多いように感じられます。ですから、字体や色の違いだけで、当該メモを「捏造」と決めつけることはできません。

日経新聞は手帳本体を公開して、学者の精密な検証にゆだねるべきです。そういう検証なくして、ただ単にスクープだけを狙ったのであるとすれば、非常に軽率だといわれてもしかたありません。いずれにせよ、富田メモは非常に慎重な文献学的検証が必要です。