ありがとう、秀さん!!

2012年12月28日 | 松井秀喜



辛いなー、悲しいなー、もう見れないのかー、楽しみがなくなった・・・・・・

なんて嘆くのは松井秀喜という男に対して失礼だ。と思った。


我が家はみんなG党だった。

多摩川のおでん屋「小池商店」で、おでんに焼きそば。練習終わりによく食べたな。

あの頃、巨人の選手も良く来ていた。大きい身体でちょっと一服という感じ。

でも最後に会ったのは宮本和と斎藤だったと記憶している。

それ以降の選手は川崎へと行った。

松井は星稜高校として怪物と言われたが、巨人と言うのは「巨人顔」って言うのがあった。

顔で野球はやらないが、それは定岡、原、辺りだろう。阪神ファンだった彼に興味を抱いたのは

長嶋さんが監督として帰ってきた頃。甲子園で活躍してもプロではどうか?

でも長嶋さんは見事に松井という逸材を見抜き、ドラフトで引き当てた親指を立てる表情が今でも鮮明に覚えている。

松井?ジャイアンツ顔でもないしなーー。

でも見事にそんなことは払拭するドエライ男が巨人の顔になったのだ。

バッターズヘブンの東京ドームの大きさは彼には全く関係なかった。

海へ渡った活躍はもう言うまでもないが、一つだけ言いたいのは

彼の不動心は、敵も味方も関係なくチームからファンから本当に愛された男だったということだ。

古巣、ヤンキースタジアムで松井コールが起きた時、鳥肌が立った。

WS MVPは興奮して熱狂してファンとして歓喜した。怪我の時は、ただただ心配し「早く復活してくれ」と祈るばかりだった。

戻るまでの1日1日がとても長く感じたのは俺だけではないはずだ。

アナハイム、オークランド、タンパベイに行っても「俺が松井ファンである」ということに変わりなかった。

年々試合に出られずベンチウォーマーとなり歳も重ね、怪我の状態は良くなる気配がないこの3年間。

この日が来るのは覚悟が出来ていた。

年間半分も出られない、ましてそれが代打要員としたら彼の野球哲学書に現役続行は記載されていない。

ミスターと同じ歳での引退でいいじゃないか。

彼はたくさんの夢と希望と感動とブレない精神力を与えてくれたではないか!!

彼の第二の人生をどうか野球ファンは応援して頂きたい。

堂々と胸を張って帰国してきて下さい。




あなたに会えてよかった。

あなたのプレーを見られて良かった。

あなたの野球に対する姿勢が大好きだった。

あなたの野球以外の考え方が大好きだった。

あなたは多くのファンやチームメイトに愛された人だった。


そして俺は何よりあなたのプレーしている顔、笑顔が大好きだった。


私は多分生きている間、ずっとあなたのファンでいます!!

38歳、これからだよ!!

松井秀喜の野球人生に悔いなし、松井秀喜のファンとして悔いなし。

ありがとう秀さん!!

野球界で55番がとっても似合う最高の選手だった。

いつかまた何処かでお会いしましょう!!