私は松井秀喜はこういう男だと思って見ている。

2012年06月06日 | 松井秀喜
私は、松井という男に関して勝手に多くを語ってきた。

自分も野球をしていた時期があった。

好きな選手?たくさんいる。多すぎてここに書ききれない。

なんだかんだ家に居ても野球は見るし、飲んでいても野球の話は大抵出る。

しかし、他の選手にあまり触れることはない。

松井に触れる理由は何だろう?いろんな本やネットから新聞から読んでも結局自分の言葉にしてみた。

無論彼のプレーを見たいしそのプレーの良し悪しにも呟くことも多々ある。

星稜で5打席連続敬遠は高校球児の晴れの舞台でどう思ったのか?

昔はバットを叩きつけたこともあった。ガッツポーズも出た。王さんやメジャーの選手は相手に失礼だとして(敬意も含めて)やらない選手は多い。

かつてヤンキースタジアムの子供は55番のシャツを来ている子供にシャイな子供が多いという。

派手な選手のシャツは着づらいのか?松井のようなしたたかさ、寡黙さ、でも「勝負強さ」を子供達はしっていたのだうか?

巨人時代には生涯巨人を貫けば歴史に名を残す55番が永久欠番になっていたかもしれない。

ただ彼は海を渡った。いきなり2003年に大活躍をしたものの左手骨折から両膝の爆弾とも付き合い続けている。

ベンチを暖めるなんて彼の野球人生になかっただろう。彼自身「歳もある」と言っていた。

でも気持ちがユニフォームを脱ぐ決意を許さなかった。

待ち続け、練習をし続け、心折れず「ただ野球がしたい」その心(気持ち)は誰のためなのか?何のためなのか?

最近、自分自身よりそれを超越しているかのように見える。

節目のメジャー10年は「ファンのために限界まで戦ってやる!!」と背中が言っている気がするんだ。

それを使ってくれるマットン監督に感謝しつつも、古巣にも行っても$紙幣は飛ばず拍手喝采だけがスタジアムに鳴り響く。

大活躍とクラッチヒッターとして2009年世界一に導いたPSのAVG.618はニューヨーカーも賛辞を送る。

それは彼のプレーの凄さ以上に「人柄」なのだろう。人柄でお金は稼げない。でもチームの輪の中や多くの友人が出来、恩師から人生を学び、リスペクト

されることはないだろう。  そういう選手は他に居るだろうか?ジーター?真っ先に彼しか浮かばない。でも彼は生え抜きだ。

ジータークラスならどこへ行っても人気者。でもニューヨークがそんな簡単に手放すわけがない世界まで彼は確立してしまった。

怪我人が戻ってこようが、彼が寡黙に、孤独に、這い上がってきたメジャーの世界に華咲かせる力はまだまだある。

野球というスポーツを通して彼の所作、言動ここに注目しているのだ。

これからも檜舞台ではスーパープレーを。

でもそのプレーを支えているのは彼が培った人柄がいずれユニフォームを脱ぐ時期が来ても生涯変わることない次の世代のプレーヤーに継承できる。

松井2世が出てくるのか?出てくればもっともっと野球はメジャーリーグに限らず最高のスポーツだと思っている。

こんなに楽しく、感動するスポーツと選手に出会て嬉しい。

俺への叱咤激励も込めて。