キネオラマの月が昇る~偏屈王日記~

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「散るぞ悲しき」

2007年01月27日 | 
「散るぞ悲しき」 梯久美子著 (新潮社刊)


映画「硫黄島からの手紙」のパンフレットに寄せられた文章で、最も私の胸を打ったのは梯久美子氏のものであった。
ほんの短いワン・センテンスにも、栗林中将や彼の地で亡くなった英霊たちへの深い愛情と共感が溢れていた。
栗林を演じた俳優の渡辺謙も、撮影中この本を何度も読み返したという。

一読し、映画よりもなお悲惨な阿鼻叫喚の地獄が彼の地にあったことに驚きと深い悲しみを覚え、同時に栗林のような人物がかつてこの日本に存在したことを心から誇りに思った。
彼のような知性と教養を持ち人格高潔な人間の命を奪った日本の軍部および戦争を、深く憎悪せずにはいられない。

日本人として、硫黄島での激戦について全く知らずに今まで生きてきたことを恥ずかしく思う。

慈悲深き神の視線

2007年01月27日 | 映画
【映画「硫黄島からの手紙」の結末に触れています。ご注意ください。】




「硫黄島からの手紙」は非常に静かで淡々とした映画である。
大仰な音楽やこれ見よがしの演出で観客を泣かせようというあざとさは一切感じられない。

栗林はもちろん英雄であるが、イーストウッドは彼を英雄としては描いていない。
総司令官も名もなき一兵卒も同じフラットな視線で捉えている。
そしてまた、アメリカと日本のどちらにも肩入れせず、徹頭徹尾フェアな視点で物語を進めている。
この映画を御覧になって「あまりにも淡々としている」という感想をお持ちになる方もいるだろうが、私はその淡々としたところに、かえって慈悲深い神の視線を感じた。

神がもしいるならば、きっとこのように人間を捉えているだろうから。
神は、等しく戦争という巨大な運命の波に押し流された人間たちを、その愚かしさや残酷さまでをも含めて何もかも赦してくれるだろう。

兵士たちの肉体が塵になり地上から消え去った後、地中から掘り出されたのは家族への愛に溢れた手紙だった・・・という結末に大きな救いを感じた。
あの結末はクリント・イーストウッド監督の、人間に対する神のごとき大いなる愛情の表れであった、と思う。