キネオラマの月が昇る~偏屈王日記~

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慈悲深き神の視線

2007年01月27日 | 映画
【映画「硫黄島からの手紙」の結末に触れています。ご注意ください。】




「硫黄島からの手紙」は非常に静かで淡々とした映画である。
大仰な音楽やこれ見よがしの演出で観客を泣かせようというあざとさは一切感じられない。

栗林はもちろん英雄であるが、イーストウッドは彼を英雄としては描いていない。
総司令官も名もなき一兵卒も同じフラットな視線で捉えている。
そしてまた、アメリカと日本のどちらにも肩入れせず、徹頭徹尾フェアな視点で物語を進めている。
この映画を御覧になって「あまりにも淡々としている」という感想をお持ちになる方もいるだろうが、私はその淡々としたところに、かえって慈悲深い神の視線を感じた。

神がもしいるならば、きっとこのように人間を捉えているだろうから。
神は、等しく戦争という巨大な運命の波に押し流された人間たちを、その愚かしさや残酷さまでをも含めて何もかも赦してくれるだろう。

兵士たちの肉体が塵になり地上から消え去った後、地中から掘り出されたのは家族への愛に溢れた手紙だった・・・という結末に大きな救いを感じた。
あの結末はクリント・イーストウッド監督の、人間に対する神のごとき大いなる愛情の表れであった、と思う。


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2 コメント

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*こんにちは (ダーリン/Oh-Well)
2007-02-16 15:00:11
☆偏屈王さん、こんにちは! 大変ご無沙汰してしまい申し訳ありません。先だって訪れた際はコメント出来ず仕舞いでしたので遅まきながら...

これまでに本エントリー、そして、当方にTBくださったエントリーを何度となく拝読しています。偏屈王さんがこの映画から受け止められたもの、生じた思いがいつも僕の内にじわりと伝わって来ます。僕などは本作を鑑賞した際に自分が受け止めたもの、自分の中に生じた思いを容易に一括りには言い表せずにいるのですが、もう大まかに言えば、イーストウッドは、皇軍という絶対的価値観の中に生死が委ねられる日本軍からの視点というものに説得力を持たせながら彼の戦場の地獄図を端的さをもって示し得ていたのではないかと思えています。ともかく、この141分の映画時間の最中にあっては心と肌身に感じる恐怖と痛恨の思いが僕に取ってはほぼ全てだったかと思い起こしもします。そう…、僕がこの「硫黄島二部作」の双方において殊更に感銘を受けていることの一つは、戦いから半世紀を経た硫黄島自体、そして、硫黄島に今尚残る傷跡をまなざすイーストウッドの姿勢。僕は、「硫黄島二部作」は今後尚多くの観客にまなざされて然るべき映画かと思います。

さて、『硫黄島からの手紙』が作品賞、監督賞を含む4部門の候補となった「第79回オスカー」も愈々迫って来ましたね。作品賞と監督賞にマーティ(僕に取って『ディパーテッド』は、ここ10年ほどのスコセッシ映画中で最も面白いものでした!)とクリントがあることは矢張り映画ファンにとって最大の注目どころですよね…。

それでは、そろそろ、仕事の方も多少落ち着きそうなので、また、あれこれで^^遊びに参ります!
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ダーリン/Oh-Wellさんへ (偏屈王)
2007-02-17 10:54:38
こんにちは!
こちらこそご無沙汰いたしております。
お忙しい中、コメント有難うございます。

>僕などは本作を鑑賞した際に自分が受け止めたもの、自分の中に生じた思いを容易に一括りには言い表せずにいるのですが、

ああ、これ私もです!
いや私だけじゃなく、硫黄島二部作を鑑賞した人のほとんどが、自分が感じたことや考えたことを表現しきれないもどかしさを感じてるかもしれません。
私なども、レビューを書くには書きましたが、言いたいことの20分の1も言えてない様な気がしています。

>僕は、「硫黄島二部作」は今後尚多くの観客にまなざされて然るべき映画かと思います。

世界中どの国の人が観ても、この映画においてイーストウッド監督が述べたかった真意は伝わると思いますが、とりわけ日本人には絶対に観て欲しい、いや観なければならない映画だと思います。

>「第79回オスカー」も愈々迫って来ましたね。

スコセッシ監督には是非とも悲願のオスカーを獲らせてあげたいのですが、いかんせん、ライバルが強敵すぎるというか・・・(笑)。
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