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『大川の風土記』37~湯島部落⑩~

2011年08月13日 | 大川の風土記
湯島の小沢慶一氏が著した『大川の風土記』を再録します。

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湯島⑩

 「栗の木」の花も入梅期に花盛りて白き花から赤みをおびたころが地面の湿気の最も悪い時節で、古老は栗の花が藤の木が花を咲き初めたのですぐ入梅だと頭で判断したと伝う。

 柑橘類には「ミカン」「コウジ」「ユズ」等があるが、「ミカン」は暖国産のもので、本村には適地でない。潮風のあたる地方の植物で、湯島にも栽培家庭は僅か東組五戸西組四戸上湯島二戸位な処で、ただ試作程度が一軒で十本位を植えて居る程度。「ユズ」「コウジ」は昔は集約的栽植し家の庭の空き地利用で相当な樹木があり、殊に「ユズ」は目通五尺位のものが一か所五本くらい植えてあったが、十年前に襲来した寒波で枯死したのは残念であった。「ユズ」も「ミカン」も同類木で六月頃白い花が咲き、秋に黄色い実が熟す。実は食用となり、青い実は取って影干しにして置いて煎じて飲用すると、暑気あたりの薬になるので、六月土用の丑の日には、必ず古老達が取って干したもの。黄色い実は絞って汁をためて農家では酢の代用品として料理に用い、また果実の良質なものは正月中の家庭料理の材料やゆず湯の原料に販売して居る。

 「梨の木」は園芸樹木で、湯島には少ないが、上湯島西端の少数の家で栽植して居る程度。昔は湯島宝積寺境内に目通八尺余の老木があり、寺の隣の家には、今も目通七尺位の老木一本があるが、話によると根元は下の地上に植えて居ったが、昔の人が石垣を築造の時積み込みして作業をしたので、現在の地上から五米下(さがり)が根元で、年輪もかなり昔に植えたという。お寺の境内木も約三百年位を経過している居ると土地の古老が伝う。梨の木は山林に植えている樹木は大木で、高さも十米位ものがあるが、では園芸の方式で大きな木がない。湯島の人達の所有山林「アジャ」の山林のものは大木で、実も豊富につける。

 湯島の岡道の裏山の地の神の梨の木と椿の木と宿木があるも、共に根元では約七尺で目通の処でも七尺位である。梨の実も大きなものが熟して居り、椿の花も盛りには華麗である。「椿の木」は山の神や家の地神の神木する慣習が多い。假令ば、日向の和田の平の旧家の裏山の丘陵にある地の神は椿の木と榊の木の宿木のようだが、共に大木で椿の木は花は一杯に咲くが、実が一個もならないとのことで、木に「オス」「メス」の分類があるのかと話しておった。

 椿の木の種子は、油に搾って食用に用いたのだ。梨の実は乳飲み子には与えるな「乳幼児」と言われ「モモ」の実は夜食べよとの諺が残って居る。

 「ほうの木」は深山には大木があるも、湯島の水の元の山林には大木があった。木はまっすぐにのび、葉は巾広く、若葉は五月節句の「かしわ餅」の包みものに用いられ、「ふるさとの味」「おふくろの味」は「ほうのかしわ餅をこんがり焼いて舌つづりしてだべるのが一番に味がある」と皆さんがいって居る。

 「ほうの木」は婦人用裁縫用具のたち板、乾かし板等の細工物に使用し、実は漢方薬で煎じて服用すると「のどの痛み」「声かれ」に適応薬だと伝う。(~101p)

『大川の風土記』(小沢慶一.1966)

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