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HASSY局長のハサカル日誌

伊勢志摩バリアフリーツアーセンター事務局長HASSYが
日々のハサカル(気になる)出来事など記録していきます。

0110:名古屋へ出陣

2006-01-10 02:11:21 | ハサカル
本日、午後から名古屋へ出張。
中部運輸局にて打ち合わせです。
こちらへ伺うのは、もう、何度も足を運んでいるにもかかわらず、ストレートにバシッとたどり着けないことが多いのです。
名駅から地下鉄に乗っても、「アレ?出口間違えた?」(ほら、降りる駅は合っていても、出口間違えるとえらい遠回りになる)とかなるし…。
今日は、名駅から乗ったタクシーの運転手さんが道を良くわかっていなかったのか?「官公庁街の合同庁舎の…」と説明したど、合同庁舎がどこにあるのかわからない…と。
うーん、結局護国神社の近くで降りて、建物を目印になんとか同行者のIくんとたどり着けました。
しかし、官公庁街は目印があるようで、ないようで…。

そして、午後からみっちり打ち合わせ。
夜はそのまま拉致されて、フレンチのお店で新年会。
名古屋はいろんなお店あっていいな~。
ごちそうさまでした。
それよりも、都会は本当歩くし、歩いてもそんなに苦になりませんね。
本日帰りは3キロ近く歩きましたよ。
都会の方が健康的になれそっ。
あ、でも飲んでいたら意味ないか。
電車は最終でした。

0107:車の停車位置

2006-01-07 22:52:39 | ハサカル
本日は、センター一人でお留守番の日。連休に入ると、お客さんも多くなってきます。
センターの仕事…というよりも、道を聞かれたり、いろんなサービスを聞かれたりの方が多いですが。

もちろんお客様からの問い合わせの電話もあり、また、このお正月に伊勢志摩にいらっしゃった方のお礼の電話もありました。
うれしいな~。

さて、私は近鉄とJRの線路を越えたところにある立体駐車場を借りているのですが、そこへ行くまでのところに一度短い横断歩道を渡ります。
信号機もなにもないです。
別にここで渡らなくても、車通りは少ないからどこでも渡れるんだけど…。極力横断歩道は使うようにしています。

その横断歩道、本当にしょっちゅう車が停車しているのです。
しかも横断歩道上に。
JR利用の人を迎えに来たりしている家族なんだろうけど、そりゃないぜ!!ってところに停めるのよ、写真のように。

これどうよ!!
思いっきり歩く人の道をふさいでます。

自動車学校で習ったよね、こんなところに止めちゃダメだって。
っていうか、通常、生活していたら、そこは止められないとわかるはずだけど…。

今日はこの写真を撮ったあと、反対側車線にももう一台車を停めてった。
なんだか、情けなくなりましたよ。

0106:伊勢志摩のトリビア「志摩町は離島?」

2006-01-06 09:38:07 | ハサカル
朝からIくんと旅館研修についての打ち合わせ、午後からも志摩市社会福祉協議会さんと打ち合わせと、一日打ち合わせ日でした。

その志摩市社会福祉協議会さんとの打ち合わせ中、雑談で知ったこと、私はかなりのトリビアだと思うのですが、みなさんにはどうかな?知ってた?
それは

「志摩市志摩町は島(離島)だった!!」

いやいや、普通観光マップで見る限りでは志摩町は半島なんです。
ちゃんと前島半島(さきしまはんとう)という半島名もあります。
しかし、英虞湾で真珠業を営むために、昔の人が海流の流れをよくするために太平洋と英虞湾を結ぶ水道(深谷水道と言います)を人工的に作っちゃったわけです。

そう、人の手自らで志摩町は離島にしてしまったのです!!

へえ、へえ、へえ!!

というわけで、地図をチェック

http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.15.35.763&el=136.51.48.035&la=1&fi=1&skey=%bb%b0%bd%c5%b8%a9%bb%d6%cb%e0%bb%d4%bb%d6%cb%e0%c4%ae%b1%db%b2%ec&sc=3
(位置がわかりにくい方は、広域にしてね)

ほ、本当だ!離れている。
深谷水道は前から知っていたけど、そうか、こうして言われてみれば離島になっているのね。
しかし、人工的に離島っていうのも…なんだか不思議なカタチですね。
(正確には離島とは言わないんだろうけど)

伊勢志摩にはまだまだ知られていないトリビアがあるのかもしれません。

0104:葬儀場で思ったこと

2006-01-04 16:56:32 | ハサカル
本日から仕事初めです。ですが、午後から葬儀のためお休み。
年末に友人のお母様が亡くなり(病院にいたわけでなく、とても元気だった)、その告別式です。
この年になるとこういった場に参列することが多くなりました。
夕べもお通夜だったのですが、両日とも市内の葬儀場で行われました。
考えてみれば、冬場はこれがありがたい。
なぜなら、家で葬儀やお通夜を行う場合は、ほとんど外で待たなければなりません。この寒い時期は辛いですもんね。


と言うわけで、葬儀参列。
とても仲の良い親子でした。
友人は私の10歳上ですが、私はいつもその親子のやりとりなどの光景を見ては、自分と自分の母親と重ねて見てしまっていたところがあります。
それだけにとても辛くて、お通夜もお葬式も涙こらえるのが精一杯。
年末友人本人からその知らせを聞いたとき、言葉が出ませんでした。何を言っていいかわからず、とりあえず、出来ることを…と。ちょっとパニックぎみ。
でも友人は気丈でしたね。年の功(失礼)もあるのかもしれませんが、もし、自分の両親がそうなったとき、こんな風出来るんだろうかって考えました。

きっとムリ。

さて、その葬儀場で最後に故人の友人たちが歌った「伊勢音頭」(故人が趣味で伊勢音頭の会に入っていた)。
悲しくもあり、そしてとてもやさしく、耳に入ってきました。
伊勢音頭…、いい歌だな~って初めて思いました。
伊勢に生まれ、伊勢の歌で送ってもらう。
なんだかうらやましく思いました。


0103:衝撃!!パートナーの背中に入っていたもの

2006-01-03 01:09:19 | ハサカル
今朝起きたら、パートナーが奇妙な針金(結構しっかりした30cm近くある金物だけど素材が何なのか不明)のようなものを袋から大事に取り出し、「これ何かわかる?」と。
うーん、以前に聞いたことあるような…。もしかして、背中に入っていたもの?
「ピンポーン!!」



ということで、聞くところによると、交通事故して半年後にこの針金のようなものを背中の背骨を固定するように入れて(体内によ)、5年間入っていたそうだ。
うううう、痛そう…。
こんなごっつい、太っとい、針金が人間の背中、しかも体内に入るんだ…。
うちは祖父が剥製を作っていましたが、私から言わせて見れば、剥製一歩手前だ。

結局運動のし過ぎで、この針金が骨を削り、取り出すことになったそうですが、記念にもらってきたのかな?
で、これを使って何か作れないだろうか?という話をしていたのです。

とりあえず、素材を主治医に聞いてから考えようとなりましたが、アクセサリーとか出来ると私、もらっちゃおうか。いい素材だったら、結婚指輪でも作ればよかったね。

今は、プレートが入っているそうです。
しかし、真珠貝ならこんな異物が入っていたらさぞかし大きな真珠ができたことでしょう。

ちなみにパートナーは私が目にコンタクトを入れていると、「そんなのようやるわ、目の中に入れるなんて」と言うが、こんな針金入れていたあなたから言われたくないわ!!

0101:御師の資料と今の時代にも引き合わせ?

2006-01-01 15:47:44 | ハサカル
あけましておめでとうございます。
本年も伊勢志摩バリアフリーツアーセンターをよろしくお願いいたします。

伊勢志摩は元旦から天気がいいです。
前日の日記にあるように、初日の出前に寝たので、天気も良くわからず、起きたら上天気。

本日は、二人の実家めぐり。
日中は家族が集まる私の実家へ。お年玉を持って…。

伊勢神宮内宮へ向かうR23号線と御幸道路は渋滞です。年末年始はパーク&バスライドがお勧め

うちの実家はバリアフリーと言うわけではないので、パートナーは履き戸から家に入りました。
夜は、パートナーの実家へ豪華なおせち料理をいただきに。


うちの実家に行ったついでに、以前この日記にも書いた祖先の「御師」の話を母から聞いて、資料を借りてきてました。
いっぱいあったので、コツコツと借りていこうと思う。
とりあえず、借りてきたのは、以前、知人の息子が書いた「御師」についての卒論(ウチが資料提供)や本もいろいろ。某大学の先生が書いた本があったけど、これは全然ダメとの母の評価。(笑)
そう思うと母にとって大学卒論は評価高そう。家計図や当時の図面もちゃんと調べてあるようです。
他に、御師の資料とは違うけど、現在も神宮が出版している「瑞垣」という冊子。これの昭和32年ぐらいからのものが数十冊発見。



しかも伊勢湾台風の特別号などもあったりして…。興味津々。

ところで、御師制度廃止の明治維新後、昭和はじめごろまでうちは御師としてやってきたのですが、そこまで続けてきたのに、どうして御師をやめなければならなかたのか?という疑問が、祖父から聞いたような聞かなかったような…と母に確かめたら、手代(いわゆる番頭)にお金を持ち逃げされたのがキッカケらしいです。
なんだか悲しいけど、今も昔も変わらぬことなのですね。やりきれないですね。

あと、これは私も祖父から聞いていましたが、土地がたくさんあって、一見お金持ちそうですが、ハッキリって、儲けはほぼなかったようです。
NPOですね。(笑)やっぱり私、同じようなことしている…
聞いていた限りでも、とても奇特な人たちが御師をしていたと思います。
だって、お金をすられたとかトラブルがあった、檀家さんにも平気でお金を貸したり、無料で宿泊から食事など、お世話しておもてなしをしたりもあったようです。
檀家さんのいる遠方(うちは主に埼玉の熊谷あたりに檀家がいたようです)まで神宮のお札を届けに行ったり、なんせ至れり尽くせり。
おもしろい、制度でしたね。本当。

ちなみに、御師は代を途絶えさせないために御師同士で養子縁組のし合いをしていました。
私が初めて仕事についたタウン誌の編集部の上司が、家計図をたどっていくと、この養子縁組の関係で遠い親戚であることが数年前フトしことで発覚しました。
そんな彼女は、私にNPO活動を教えてくれ、今もツアーセンターのいろんな面での協力者でもあります。そして彼女もNPO中心の仕事。

御師のDNAはここにもあるのではと思ってしまいます。
祖先が引き合わせたのかな?
やっぱり、人間ってDNAに操られているのでは?とハサカっています。

休みの間でも(といっても4日から仕事ですが)暇をみて資料に目を通してみようっと。

1213:御師(おんし)のDNA

2005-12-13 02:05:45 | ハサカル
朝から、新しいお客様2件電話問い合わせがありました。
一件は本日(ええ?今日?)今から(ええ?今から?)高齢の母を連れて、こちらへ泊まりに行きたいが、空いているバリアフリールームはありますか?と。聞けば、いくつかあたってみたが、空いている施設がなく、賢島のみち潮さんで、「どこに聞けば、このような情報がわかりますか?」と聞いたときに当センターを教えていただいたそうです。無事空いているところは見つけられましたよ。
みち潮さん紹介ありがとうございます。こういった連携ってうれしいですよね。

2件目は、97歳の車椅子の母を連れて、伊勢神宮に行きたいが、神宮はどこまで対応してくれるのか?というような内容。
そこで、いろいろ提案と、こちらの持っているサービスの案内などをしたわけですが…。実はコレ大変タイムリーな問い合わせ。

内閣府の委託事業に提案したひとつ、「伊勢神宮観光サポートシステム」(今までも試験的に何度か行いましたが、障害者、高齢者に伊勢神宮の片道800mの砂利道と40段あまりの階段をサポートするシステム)を実現させるための検討会に出席していただけるよう、本日昼から神宮司庁に伺う予定をしていたのです。
本当にこのような要望、不安、問い合わせは絶えないです。
その際、お客様からいつも、「神宮のバリアフリーについて、誰も言わないのか?、ツアーセンターはそんなことをしないのか?」とお叱りを受けたりすることも…。
文章だけで、説明するのは非常に難しいのですが、一言で言うなら伊勢の神宮は別格で、どんな方が言っても、そう簡単に変わることはありません。
もちろん、私たちが何もしないでいるわけでもありませんし、私たち以外の人たちもいろいろ声は上げています。
ただ、神宮を敵対する気持ちはありません。
とにかく、ニーズの声を上げ続けていくということだけはやめてはいけないと思っています。

そこで、これから立ち上げる検討会が声を上げ続ける中のターニングポイント?もしくは通過点?
どこまで進められて、どうなるかわからないけど、障害者、高齢者の神宮参拝を望まれる方たちに、民間サービスとして提供できるまでになればと思います。それをこれから「みんな」で考えて行くのです。

実は私の曽祖父は「御師」(おんし)でした。
御師とは、伊勢神宮の祈祷の委託や参拝者の宿泊、案内行っていました。また、地方の檀家に御祓、伊勢暦、また土産物を配り初穂料を頂きつつ、伊勢参拝を勧誘していたのです。つまり今の旅行代理店、ホテル、そして伊勢神宮出張所を兼務していたような特異な制度でした。
これらは明治維新の頃に御師制度が廃止になり、今はそんな人はいません。
私も祖父に、その頃の話をよく聞き、幼心にあまりにもありえない制度に、いつも疑ってかかっていました。おじいちゃんは子供を楽しませるために夢のような話をしているってね。(笑)

今日も神宮に向かいながら、そのことを思い出し、考えていました。
御師を歴史的に勉強したわけではありませんが、おそらく神宮に参拝に来られる方たちの要望を直接聞ける場でもあったので、その要望を満たせるようなサービスを作ったり、神宮にお願いをしにいったり、本来業務と違ったところで、交渉やコーディネーター的な仕事も行っていたと思います。

私、同じようなことしている…。
今もいろんなニーズに応えられるように、どこでもチェアを作ったり、ボランティア団体に協力を求めにいったり、アレモコレモ…。
そしてこうして、神宮に現場のニーズを伝えて、こんなサービスが必要なので、それについての検討会に参加してください。とお願いしに行く。
明治維新の御師制度廃止がなければ、どこまで継続できたかわからないけれど、少なくとも神宮とはうまく調和が取れていたんじゃないかと思います。
それは、参拝者の立場に立ち、また、伊勢神宮を愛する(宗教という観点だけでなく)気持ちゆえに、守ってきた神宮へのわきまえある関係。

きっと100年以上前の御師もみんなが満足いく伊勢神宮参拝が出来きるように、何度も神宮に足を運び、神宮とのいい関係を築きあげてきたんだろうな。
私の祖先もきっと、がんばっていたんだ。
その時代そこにいたわけじゃないけど、その制度廃止が決まったとき、御師が悔しかった気持ちってなんだかわかる気がします。
規模や背景は全然違うものだけど、いまここで、バリアフリーツアーセンターを無くしなさい。と言われたら、そりゃ悔しいもの。
何が悔しいってここを頼って伊勢志摩に来る人がいるのに、それをなくしてしまうことの辛さ…。胸が詰まる思いです。

DNAがちゃんと先祖代々受け継がれているならば、私の中には、そんな御師だった祖先のDNAがきっとある。
明治維新で無くなってしまった制度を悔やむかのように、身体の中にあるそのDNAが今、私を駆り立てているような気がします。
それが、後押ししてくれているようなそんなことを時々感じることがあります。

「とにかく、諦めず続けなさい」って。

それと同時に思います。
声はそこからだけじゃないって。
今生きている地元の観光に携わる人たち、仲間やツアーセンターを支えてくれる人たちみんなから聞こえてくるその声はしっかり受け止めていきたいと思います。

1208:人生は坊主めくり

2005-12-08 22:39:24 | ハサカル
昨日の佐賀県からの視察の皆様を朝から「かもめの散歩道」を通って、「ミキモト真珠島」へ。もちろんかもめの散歩道では例の跳ね上げベンチを披露。
ミキモト真珠島では、ツアーセンターが出来てから…というお話や、海女のショーもしっかり見て、なかなかゆったりした時間をすごしていただき、昼前の電車で帰られる皆様をお送りいたしました。



今日は暖かくていい天気でヨカッタ、ヨカッタ。

みんな素敵な方ばかりで、いい出会いでした。


ところで、午前中はいい日でしたが、帰ってきてからツアーセンターの前にまたまた厚き壁が現れた。

「人生は坊主めくり」が私の格言なんですが(百人一首の坊主めくりのルールをネットなどで調べてみてください)、今日は午前まででたくさんたまった札持参で次をめくってみたら「坊主」だった。

午後からのとある出来事でめちゃめちゃ悔しくて久しぶりに泣いてしまいました。
水面下で行っていた、とある提案の回答があまりにも納得いかなくて…。
問題あるところを指摘提案したんだけど、回答はその問題については改善する気配が感じられず、ただ、提案は却下だと。
ということは、問題はわかっているけれど、これからも、この先ずっとこのままで行くと?

税金って国民のために使うんでしょ?それって胸張って、国民のためですって言えること?

感情的になっちゃダメですね。
気持ちを落ち着かせて明日、新たな札を手に取ろう。

そして今日まで持っていた百人一首札の束を全て置きました。
リセット。
明日はダイツキ(←我が家はこう読んでいたが正確には皇族札?)か姫の札であることを祈って。
きっとうまくいくはず。