救護兵の父がウクライナの最前線で見たのは置き去りにされたロシア兵 避難した娘が描いたのは故郷の風景
2023年2月22日 06時00分
ロシア侵攻前年の2021年8月、フメリニツキーの自宅で父セルヒーさん(中央)の50歳の誕生日を祝う(左から)ナタリアさん、母ルドミラさん、妹アナさん=ナタリアさん提供
<侵攻1年 家族と兵士④>
父は毎日、負傷した兵士たちのうめき声を聞いている。置き去りにされた敵のロシア兵が助けを求める悲鳴も。ロシアが攻勢をかけるウクライナ東部ドネツク州の激戦地バフムト。この戦略的要衝で、ナタリア・ゲラシムチュク(33)の父セルヒー(51)は救護兵として任務を続ける。
「父は詳しく語らないが、バフムトは非常に危険な状況。心配でたまらない」。英南部マルムズベリーで避難生活を送るナタリアは、朝晩欠かさず父の無事を祈る。「父は志願して軍に入り、最前線に派遣された。とても誇りに思う」。努めて笑顔で話すナタリアの目に、涙がにじんだ。
ナタリア以外の家族はウクライナ西部の故郷フメリニツキーで暮らす。女性や子どもの多くが国外に避難する中、医師の母ルドミラ(52)は父のために国内に残る。
祖父母も慣れ親しんだ家から離れるのを嫌がった。
妊娠していた妹アナ(26)は10日に元気な男の子を産んだ。
分娩ぶんべん中に市内に爆弾が落ちたが、妹は警報の中で医師に励まされ、無事出産したという。ナタリアは「初孫を早く父に見せてあげたい」と話す。
ウクライナ防衛の最前線で戦うナタリアさんの父セルヒーさん=ナタリアさん提供
父は侵攻前は運転手だった。かつて車の事故で脊椎を損傷し、医師から一生まひが残ると言われたが、奇跡的に回復した。侵攻直前には脚を骨折した。だが迷わず「軍に入る。家族と国を守る」と宣言した。ナタリアは行かないでとは言えなかった。「ロシア軍が来るのを黙って待つわけにはいかない。父が行かなければ他の人が行くことにもなる」。家族全員で父の決断を尊重した。
ギプスが取れた直後に入隊。救護兵としての訓練後、南部の激戦地だったヘルソンへ派遣された。それからバフムトへ。最前線で父が見たのは、負傷して動けなくなったロシア兵たちが置き去りにされ、苦痛と恐怖で叫ぶ姿だった。ナタリアは「ロシアは自国の兵を見殺しにしている。兵士を人間ではなく、ただの肉の塊と見ている」と憤る。
ナタリアは侵攻前は故郷で手作りの宝飾品販売を営んでいた。経営は順調だったが、侵攻で全てが変わった。「戦争中に宝飾品などとても勧められない。女性たちはきらびやかに人生を楽しむ気分にはなれない。私自身も」。英国在住の叔母を頼り、侵攻直後に渡英。全く話せなかった英語を必死に学び、ウエートレスとして働いた。
戦争前の平和なウクライナの空を描いたというナタリアさん。英国での初個展の夜は父を思って毎晩泣いた=13日、英マルムズベリーで、加藤美喜撮影
不安で押しつぶされそうな心を静めてくれるのが油絵だ。故郷の風景を描き、今月には初の個展をマルムズベリーで開いた。多くの人が購入してくれ、収益は生活費とウクライナ軍への寄付に充てた。
個展では来場者に父や故郷の話をするのがつらく、毎晩部屋で泣いた。それでもウクライナを支援してもらいたい思いから、自らの経験や家族を語った。父はナタリアの無事と活動を喜び、声援を送ってくれる。
望んだ人生ではない。先は全く見えない。空を見上げて、いつも最前線の父や故郷の家族を思う。「いつかきっと、また一緒に暮らせる」。そう信じて、毎日を生きる。
(マルムズベリーで、加藤美喜)=文中敬称略
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ウクライナでは今も多数の兵士が戦場に立つ。その帰りを待つ家族らの言葉から、侵攻1年を振り返る。