北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

アフガニスタンイスラム共和国崩壊,大統領国外脱出とタリバーンの全土掌握新国家建国宣言

2021-08-16 20:04:56 | 国際・政治
■八月の砲声と政府崩壊の三日間
 同時多発テロの直後にアメリカが首謀者逮捕へアフガニスタン攻撃が決定しますと日本も護衛艦くらま以下を派遣、正統政府復帰後は日本も相当支援、その国家が崩壊した。

 日本政府はアフガニスタンの日本大使館閉鎖を決定しました。これは15日夜に発表された方針で、アフガニスタン国内が13日金曜日から二日間で急激に悪化した為の緊急措置となっています。大使館は外交関係によるウィーン条約で保護されていますが、攻勢を強めるタリバーンは主権国家でも国家主体でも無く、条約遵守義務履行の保証はありません。

 大使館閉鎖に関して、現在、どの経路で脱出するのかは発表されていません。確実を期するのであれば政府専用機など航空自衛隊輸送機の派遣などが求められるのですが、外交機密文書の破棄を含めて情勢悪化が急激であり、日本時間15日夜にはアフガニスタンのガニ大統領が国外に逃亡、事実上アフガニスタンイスラム共和国は崩壊し、時間がありません。

 崩壊前のアフガニスタン政府はロシアへMi-35ハインド攻撃ヘリコプターの緊急供与を要請しています。これはアフガニスタンのハニーフアトマール外相が8月12日、ロシアのラジオ放送に出演した際にロシア政府へ空軍力強化への新しいヘリコプター導入を要請したと発言したもの。なお、ヘリコプター供与についてロシア側の反応については明言していません。

 Mi-35ハインド攻撃ヘリコプターは1979年から1989年に掛けてのソ連軍アフガニスタン侵攻に際し強烈な威力を発揮したMi-24シリーズの最新型で、当時は空気の薄い高山部の運用に際しアメリカ製スティンガー携帯地対空ミサイルに苦戦を強いられましたが、タリバーンには発射コードが必要なこの種のミサイルは現在運用可能な状態にはありません。

 アフガニスタン軍にはアメリカ製MD-530軽武装ヘリコプター多数が配備されていますが、定期整備はアメリカ本土で行い、野整備もアメリカ民間保安会社の支援を受けており、アメリカ軍撤退で支援を受けられなくなる懸念があります。Mi-35ハインド攻撃ヘリコプターは既にインドが若干数をアフガニスタンへ供与したといわれ、その強化を求めていました。

 情勢が動いたのは土曜日です、アフガニスタン情勢悪化によりアメリカ陸軍と海兵隊は3000名規模の部隊をカブールへ派遣しており、アメリカ政府当局者の発言をロイター通信が伝えるところによれば8月14日にアメリカ軍部隊がカブールへ到着したとのこと。緊急展開部隊はアメリカ大使館関係者やアメリカ市民のカブールからの脱出を支援する任務で短期間の展開となっています。

 アメリカ軍の撤退が進む中、8月13日にはアフガニスタン第二の都市カンダハルと、第三の都市ヘラートがタリバーンの攻撃により陥落しており、タリバーンのカブール包囲は数日内とも危惧されています。今回緊急展開した部隊は2個海兵大隊と陸軍1個大隊、また本土のフォートフラッグより1個旅団がクウェートに展開し緊急展開準備に当っています。

 日曜日に緊迫度は増しました、アメリカ政府はカブールのアメリカ大使館員国外退避を支援すべく、日本時間15日朝までに追加の一個大隊を空輸展開させています、これでカブールに到着したアメリカ軍部隊は4個大隊、4000名規模となりました。15日朝の時点までにカブール外苑までタリバーンが到達したという情報もあり、情勢の急激な悪化を受けての泥縄的対処となっています。

 アメリカ陸軍には歩兵大隊が機甲諸兵科連合大隊やストライカー機動大隊など強力な装甲戦力を持つ諸兵科連合部隊を有していますが、今回展開したのは軽装備の歩兵大隊と思われます。展開した部隊は大使館員撤退支援に当るとの事ですが、これがカブール官庁街を防衛するのか、カブールの空港周辺だけを一時的に保持するのか方針は示されていません。

 土曜日夜、タリバーンのザビフラムジャヒド広報官は、アフガニスタン政府に円滑な政権移譲を求めていると14日深夜に声明を発表しました。タリバーンはカブールを包囲していると示したうえで、詳細な部隊配置は示していませんが、カブール市内での市街戦を回避する為に、カブール全ての陸路に展開した上で、アフガニスタン政府へ政権移譲を迫っています。

 アメリカ政府は13日までの発表で、カブールは三カ月間耐えうると発言していますが、アフガニスタン政府は公式Webサイトにおいてカブール周辺において複数の砲声が聞こえると発表しています。カブール市内は戦闘を恐れる市民が大挙して脱出を試みており、また13日の時点でも陸軍や空軍、警察官の任務放棄職場放棄等が顕著化し、瓦解しています。

 日曜日までにアフガニスタン情勢悪化によりアメリカ軍は各国大使館関係者の空路脱出支援を強化しています。アメリカ軍当局者の話をBBCが報じたところによれば、アメリカ軍は一日に数千人の外交官や外国人市民を脱出させる事が可能としています。ただ、国防総省報道官談話として、カブールに脅威が差し迫っている認識はないとして撤退計画は予定通りという。

 カナダ政府はアフガン難民二万名の受け入れを表明しました。アメリカ情報機関の分析としてタリバーンは30日以内にカブールを占領すると分析しているとのことですが、8月13日、タリバーンはカブールから80km離れたローガル州の州都プリアラムを占領しており、九月中旬までカブール外字出来るとの考えは楽観的な予測と観る事も出来るでしょう。

 15日に入るとカブール市内へタリバーンが侵攻を開始した為、アメリカ大使館では機密書類の焼却作業が開始されたと、アメリカ国務省関係者の話としてロイター通信が報じています。また15日にはアメリカ大使館から空港までヘリコプターによる脱出が開始されており、これはアメリカ大使館関係者が安全にカブール市内を移動できない事を示しています。

 イギリス空軍はカブールに残るイギリス大使館職員やイギリス国民の脱出を支援するべくC-17輸送機を展開させています。イギリス軍は今年初夏までアフガニスタン南部での治安維持支援任務や麻薬取締教育支援に当っていましたが、既に7月10日に撤退を完了しています。そして僅か一ヶ月と六日を経て再度、今度は撤退支援へ出動することとなった。

 イギリス政府はイギリス大使館員とイギリス国民を脱出完了させた際に余力が在れば同盟国や友好国国民の空輸も担うと発表していますが、イギリスはアメリカの撤退計画について、ここまで無秩序になる事を容認してはいないとして暗にバイデン大統領の撤退前倒しを批判しています。イギリスはアメリカ撤退前倒しを受け任務を終了した経緯があります。

 アフガニスタンのガニ大統領は日本時間15日深夜、隣国タジキスタンに脱出しました。アシュラフガニ大統領はハーミドカルザイ大統領に続いて民主的選挙理によりアフガニスタン国民に選ばれた大統領ですが、タリバーンへの政権移譲をアブドルミルザクワル内務相代行に委任し、これをアフガニスタン国家和解高等評議会も追認の形で了承しました。

 アフガニスタンイスラム首長国の建国をタリバーンは日本時間16日に宣言、同時にアフガニスタン全土を掌握したと宣言、ここにアフガニスタンイスラム共和国は崩壊しました。新国家は現在のタリバーン統治地区での商品作物としての麻薬栽培容認や女性人権無視や異教徒抹殺といった過去の制度を再開させるのか、今後の展開は未知数となっています。

 アメリカのブリンケン国務長官は今朝、日本時間16日朝までに500名の大使館員が脱出した事を発表しました。またアフガニスタンのアメリカ大使館では機密書類の処分が急がれていると共にアメリカ国旗の入った機材や書類はタリバーンのプロパガンダに利用される懸念があるとして、国外に持ち出せないものについては破棄焼却することとなっています。

 ブリンケン国務長官は、今回のアフガニスタン政府を想定した将来とは異なるものである事を認めつつも、アメリカのアフガニスタン派遣は同時多発テロ首謀者オサマビンラーディン逮捕が目的であり、この目的は達せられたとしています。タリバーンは全土掌握を宣言すると共に大統領府を含む首都カブールの政府庁舎を占拠、勝利宣言を発表しました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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八月の終戦-令和三年太平洋戦争終戦記念日【2】ふつうの国へ回帰してゆく日本の将来

2021-08-15 20:00:11 | 北大路機関特別企画
■そして日本は普通の国となる
 本日は八月十五日、今年も暑い熱い夏とともに本日無事に終戦記念日を迎える事となりました。

 終戦記念日。令和3年もこの日を迎えることとなりました。昭和史、最大の転換点は、しかし平成時代を超えて現在令和の時代を迎えています。愛変な戦争でした、しかし76年を経て、従軍した方々も多くが旅立たれ、戦後の長さというものを実感するように思うもの。今回は戦後というものの転換期を、ふつうの国、という視点から考えてみましょう。

 ふつうの国、この論点は日本憲政史上最長の長期政権を実現した安倍首相が、"戦後レジームの転換"として掲げたものです。そして、ふつうの国、というものの概念は、制度として自分の国を自分の国の決意と実力で防衛する、こうした考え方でした。しかし、日本は求めると求めざるとに関係なく、否応なしにいま"普通の国"へ収斂しつつあるのではないか。

 中国大陸の半分を制圧し、ハワイからインド洋、東南アジアからオーストラリアまで及んだ太平洋戦争時の日本の軍事力は、普通の国というには度が外れて巨大なものであったのは確かです。見敵必戦を掲げたイギリス海軍も南雲艦隊のインド洋進攻の前に退避を余儀なくされましたし、戦前戦中の中国大陸上空往く渡洋爆撃大編隊も、今では想像できない。

 戦後日本が戦争放棄を宣言し、新憲法において軍備を否定したとしても、関ヶ原の戦いの後に豊臣家が徳川幕府から警戒されたような、あの壮大巨大な軍事力は廃棄されても、巨大な軍事力を生み出した国家そのものは健在であったことは事実でした。実際、戦後日本が一度も軍事侵略を受けていない背景には、緒戦の快勝、あの戦争の奮戦があったと思う。

 在日米軍が居たからだ、こう思われるかもしれませんが、瓶と蓋論、こういいまして在日米軍が置かれているのは日本が独自の強大な軍事力を必要とする状況に持ち込まない為である、こうした説明がワシントンDCで普通に通っていたのは、キッシンジャー時代やアーミテージ時代、つまり平成時代まで続いていた為でして、この価値観こそ、戦後でした。

 中国は前の東京五輪、1964年に中華民国海軍と中華人民共和国海軍による台湾海峡での海戦を行っていますが、建国以来、1949年ウイグル併合、1952年朝鮮戦争介入、1953年チベット併合、1965年中印戦争、1969年ダマンスキー島事件、1979年中越紛争、1992年ミスチーフ環礁占領、周辺国全てに侵略していますが、唯一日本だけ攻めていないのですね。

 日本は軍備を放棄したものの、普通の国、周辺からは侵略するには過去の歴史というものがあり、例えば巨大な工業力、造船能力一つとっても必要ならばかなりの艦隊を短期間で練成し得ましたし、人口も一億を超えている。いわば、太平洋戦争の遺産というべき歴史が、不の遺産かはさておき、畏怖の遺産は、日本の平和に寄与していたこととなります。

 1968年、日本のGNPは西ドイツを追い抜き世界第二位となりました。これも、変な意味で日本を"普通の国"から遠ざけたようにも思います。なにしろ世界第二位、戦争では負けたが経済では、とは映画の台詞のようですが、なにしろ勤勉と超過勤務がGNIの数字に出た構図なのですから、経済大国、大国、当時の方々は気分の悪いことではなかったでしょう。

 金持ち喧嘩せず、こうした表現は好きではないのですが、世界第二位の経済大国であった時代の日本では、日本が戦争を望まなければ戦争は起きないのではないか、一種の札束で相手の戦意を挫く如く、不思議な奢りがあったのではないでしょうか、戦争が相互的、実際戦前日本は戦意の無い相手にも攻撃を加えているのですから戦後価値観は不思議でした。

 しかし、その経済大国としての地位も2010年代に中国に追い抜かれることとなり、毎年10%以上の経済成長を行えば7年間でGDPは倍増します、低成長とマイナス成長を続けた日本は、世界三位を維持していますが、急成長を続ける新興国の成長率には及びません、高度経済成長時代の10%成長はもちろん、安定成長期の5%も、最早昔の話となりました。

 普通の国になりつつある。すると、防衛の努力も、経済大国の時代のように札束の防護壁は構成できない時代なのですし、戦後間もない頃のような帝国陸海軍の遺産も流石に2020年代までは続いていません、戦争は1940年代の話、今の世界には1940年以降に建国された国の方が多いのですから、ね。すると、平和には相応の努力が必要となるのではないか。

 日本は平和主義を掲げていますが、世界の国で戦争主義を掲げる国はありません、此処を忘れず。そもそも正戦論というものが国際法の源流にあり、歴史上自国を侵略国と自称した国はありません、そのなかで日本が世界とどう平和のとらえ方が違うのかとすれば、世界は平和が目的である、しかし日本では憲法の運用上、平和は手段となっている点が違う。

 手段としての平和は、目的としての平和とことなり、結果的に国民が平和的生存権を享受できるかについては示していません。例えば防衛力を用いた予防外交や抑止政策が戦争を回避できる可能性はあったとしても、憲法上は陸海空軍を否定しているために、結果として戦争になっても、その時はその時に考えるという建前の政策となっています。驕りだ。

 普通の国、ふつうの国。戦争を抑止するための軍事力と、その位置づけを主権者が理解しなければ国土国民を惨禍から守ることはできません、途上国でさえ無理をして国防の支出に耐えているのは、相応の防衛力を構築しなければ普通の国は戦争に巻き込まれるか、第三国の介入により内政に影響されるのと避けられないためです、それが普通といえます。

 日本は、経済規模も人口規模も工業力も先端技術力も、充分平和的生存権を明記した憲法の人権を国民へ守るだけの国力はあります、ただ、第二次世界大戦の伝説的な軍事力の抑止力や、高度経済成長時代からの世界第二位という抜きんでた経済力の抑止力は過去のものとなりつつあり、普通の国になるのですね。すると普通の国としての覚悟が求められる。

 平和を犠牲として不戦を護るか、不戦を犠牲として平和を守るか、いずれ選択の時が来ます。ふつうの国、元々は自国の権利を自国で守る事が出来ない憲法上の制約への突き付けられた命題であったように思うのですが、そうではなく、特別な国ニッポン、ただそれだけで平和を維持する事は難しくなる時代が来ている、終戦の日、改めて考えたいものです。

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九州西日本豪雨-佐賀県72時間雨量1000mm,広範囲に浸水と土砂崩れで自衛隊が災害派遣

2021-08-15 18:29:44 | 防災・災害派遣
■181万名へ避難指示が発令
 本日の第二記事は予定を変更し災害関連を。豪雨災害は台風と異なり突然始まると共に時間が経つにつれて被害が拡大するものの対応が難しくなる特色があります。

 九州西日本に、西日本豪雨や九州北部豪雨を超える雨量、特別警報の度に数十年に一度の豪雨という表現が為されますが、今回の豪雨は西日本豪雨や九州北部豪雨以上の文字通り過去最大の雨量を記録したここ数年間の雨量を超えており、広範囲に浸水被害を引き起こしています。戦後昭和の摩耶水害のような犠牲者こそ出ていませんが、死者が出ている。

 総雨量1000mmを越える豪雨、驚くべき豪雨災害が終戦記念日を前にした日本を襲いました。八月の梅雨前線と表現する他ない異常気象により九州西日本を中心に断続的な豪雨をもたらし、一部では線状降水帯を形成、気象庁は14日に佐賀県と長崎県、福岡県、広島県へ相次ぎ大雨特別警報を発令、広島県は13日に続く二日連続の特別警報発令となります。

 72時間雨量が雨量三か月分を越える、この異常事態が。佐賀県嬉野市で1024 mm,長崎県雲仙岳で935.5mm,熊本県山鹿市で855.5 mm,福岡県大牟田市で855 mm,佐賀市で831.5 mm,広島市三入で502.5 mm,岐阜県下呂市萩原でmm,長野県南木曽町で390.5 mm,▽滋賀県近江八幡市で349.5 mm,まさに経験無い豪雨が九州西日本へ降り注いだこととなります。

 福岡県久留米市では住宅地への浸水被害が発生、先日大規模な土砂災害が発生した静岡県熱海市では、土砂崩れの原因となった不法な盛り土の残る一部が今回の豪雨により崩落する被害も発生しました。また佐賀県神埼市や長崎県長崎市など複数の箇所で土砂崩れが発生しています。京都市内でも清水寺と京阪清水五条駅の中間付近で石垣がつぶれる被害が。

 佐賀県武雄市周辺では大規模な浸水被害が発生しており、2019年の浸水被害よりも浸水地域が広範囲に及んだ可能性が国土交通省の現地画像情報解析により判明しています。更に佐賀県大町町では付近の病院一階部分が浸水被害を受けています、ただ、病院は孤立していますが送電網が機能しており、備蓄した医薬品や食料により対応し、消防が救助中です。

 長野県辰野町では天竜川系の大沢川が増水し住宅街の一部が浸水被害を受けている他、長野県岡谷市では土砂崩れにより死者が、また昨年豪雨災害により損傷した岐阜県下呂市の国道41号線が再度そばを流れる飛騨川の増水により剥ぎ取られ、通行止めとなっている。地域によっては八月の三倍の雨量が一度に降っており、今後とも警戒を続ける必要がある。

 自衛隊が災害派遣中です。行方不明者の出ている地域では消防警察と共に自衛隊も出動しています。60の自治体へLO連絡幹部160名を派遣、派遣要請を受け13日に雲仙での土砂災害に対し大村駐屯地の第16普通科連隊が災害派遣、更に行方不明者が出ている事から、航空自衛隊は築城基地第8航空団と芦屋基地第3術科学校より警備犬を派遣しています。

 六角川周辺で自衛隊は95名を救助したと発表しました。14日の時点で九州六角川の水害に対し西部方面航空隊より映像伝送装置を搭載したUH-1多用途ヘリコプターを派遣、更に730名の要員を待機、武雄市での水害では第4偵察戦闘大隊が情報収集、西部方面特科連隊が無人航空機による情報収集を実施、海上自衛隊から佐世保水中処分隊も参加しています。

 大町町の水害へは西部方面混成団が災害派遣に当り、小郡駐屯地の第5施設団も加入、海上自衛隊佐世保水中処分隊と併せ、ボート35隻が投入されています。陸上自衛隊には施設科部隊が渡河任務用に渡河ボートを一定数装備しており、武雄市でも孤立者救助用に渡河ボートなど7隻が派遣されているとのこと。陸海空自衛隊の災害派遣は現在も継続中です。

 181万名へ避難指示が発令されました。京都市内でも10万名以上に一時避難指示が発令されており、避難所の不足と退避におけるCOVID-19感染への危惧、難しい判断を迫らされている事でしょう。ただ、本日1300時には避難指示は徐々に緩和されていますが、Lアラート緊急安全確保がなお7万世帯17万名に対して発令されているとのことで、要警戒だ。

 土砂災害警戒情報は佐賀県、福岡県、熊本県、広島県、奈良県、岐阜県、静岡県、長野県、山梨県、神奈川県、東京都、千葉県、福島県に相次いで発令されていますが、総雨量が多く地盤が緩むまでには時間を要する為、思わぬところでの土砂災害が警戒されています。そして留意すべき点としては、今晴れていても気象庁予報では今後まだ雨が降るという。

 再び大雨の恐れが。現在西日本では雨が上がり一部で晴天となっていますが、現在は前線が太平洋上にあるためで、今夜にも前線が再び北上する見込み、前線上の低気圧が東日本を通過する事で、明日16日昼までに九州で180mm、関東甲信地方で80mmの雨量が見込まれ、17日までに西日本でもまとまった雨量が予想されています。報道発表にご注意ください。

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八月の終戦-令和三年太平洋戦争終戦記念日【1】戦後七十六年,令和時代へ価値観の継承

2021-08-14 20:20:11 | 国際・政治
■8.15-明日は終戦記念日
 あの戦争の記憶、こう書き出しますと日本ではほぼ一致した応えがありますが世界ではどうか、そして日本への移民や帰化された方はどう考えるのだろう。

 明日は終戦記念日です。76年前の8月15日、太平洋戦争は日本の敗北で終戦を迎えました。戦死者と戦災死亡者は350万人、東京大阪名古屋神戸福岡はじめ全国90以上の都市が絨毯爆撃にさらされ、沖縄では地上戦、広島と長崎は核攻撃を受けました。海軍艦艇は七割が撃沈され陸軍は大動員を掛けつつ人口の12%が徴兵、まさに戦況は末期状態でした。

 終戦記念日、例年とは異なるCOVID-19感染拡大下の終戦記念日が今年も続きます。今年はこの終戦記念日というものと、日本国内でのCOVID-19感染拡大抑制にかなり成功しているという視点というものを比べてみようとおもいます。実のところ、欧州や北米の感染拡大と日本の感染抑止は、実のところ価値観共有という部分で共通点があるよう思います。

 日本の場合は同調圧力などもあるのでしょうが、感染拡大を阻止しなければ大変なことになる、という認識の共有が、都市封鎖はもちろん、マスク着用義務化さえ法制化せず達成でき、これが変異株流入前の、外出自粛、そしてマスクと社会的距離確保により、かなり有効に機能できた段階での感染対策に効をそうしたのだろう、こう考えられるのですね。

 価値観の共有、これは簡単そうに見えて、なにしろ社会は個の群と考えるか一体性がありうると考えるかで細部の相違が大きく、また平時感覚では弊害も生じません。欧州や北米は、人権を筆頭に価値観の共有が進んでいるところではありますが、公衆衛生と個々の自己実現に関する観念が、日本と欧州で歴史的な人権獲得の流れと必ずしも一致しなかった。

 欧州と北米は価値観が一致していますが、その価値観を形成する方々の人の流れは活発です、アフリカ地域からの、アジア地域からの、中東地域からの、もちろん北米南米との行き来のみならず、生活基盤の一体化がすすみ、多様な価値観が生まれ得ます、そして是非は度外視して、価値観の構成基盤も、歴史さえも一致しているようで多様性に富んでいる。

 COVID-19、日本の感染抑制は成功している、こう言い得るのですが、疾病対策全般で考えた場合は、欧州や北米の都市封鎖が必要となるまで社会を回し続け、都市封鎖、経済に大打撃を受け大量の死者とともにしかし10%台の経済成長を確保した事例と比較しますと、どちらが成功であったかは一概にいえない、これが今の社会の漠然たる不満なのでしょう。

 価値観の共有、さてこの論点の視座を疾病から終戦記念日に戻してみましょう。終戦記念日と聞いて思い浮かべるのは太平洋戦争です。戦後を応仁の乱の後、と理解する方は周りには多いのですが、では応仁の乱の終戦記念日は何月何日、と問うと一概に沈黙する事例が多い、やはり日本社会全般で終戦記念日といえば八月十五日、太平洋戦争終戦なのです。

 しかし、今後日本は成長を維持するならば、価値観の多様性にも繋がる世界の人材と共に生きてゆかねばなりません、終戦の価値観はそのとき共有をどのように維持するのでしょうか。終戦の価値観はそのまま日本の憲法秩序の価値観に繋がる論点、即ち平和の価値観を不戦という認識につなげる上で非常に重要な位置づけでもあるのですが。どう捉えるか。

 日本人は憲法の権利と人権を軽視しているのではないか、率直な意見をイギリスの方にぶつけられたことがありまして、詳しく聞きますと、私たちが普段感じる、平和主義と自衛隊、という論点ではなく、非常に優れている憲法であっても自国を守る手段のない憲法を維持しては外国軍隊が侵略した際に簡単に占領され書き換えられてしまう、という論法だ。

 香港とも共通するものがあります、香港では近年中国政府の人権抑制政策に理解を示す方が増えているという、社会が変容したのかと問われればそうではなく、香港返還後に広州や厦門など大陸中国から香港に移り住んだ人が増えていて、大陸中国出身の方々は中国政府を支持する層が大きい、というだけ。人の移動は価値観をさえも、変容させるのですね。

 価値観の多様性というものはこうした素朴な疑問へも回答を模索し続けなければなりません。一方で、終戦記念日のあとは平和になった、こうした認識も、世界中で紛争地から難民として日本を目指す方々には価値観は空気でしょうし、ヴェトナム戦争や国共内戦と朝鮮戦争、日本周辺でも戦後という言葉への認識はだいぶん違うようにおもえる。それは。

 日本に受け入れられ日本国民となったのだから、このすばらしい国を命がけで守ろうと思うし必要ならば軍人として戦う、これは日本で就労し結婚され日本に帰化された方のお話でして驚かされました。確かに、国が戦争で消えてしまえば国民というものも変容してしまいますし、愛国心、日本の風土と文化に惹かれたのであれば守りたくなるのは当然だ。

 ただ、戦うという概念、自衛権という概念、自衛権は一国で確立できるものではなく、しかし集団安全保障の枠組みを考えますと、平和を世界で共有すると考えるのか、世界の戦争に日本が関与せざるを得ないのか、という視点で考えるのかで、また変わってくるものがあります、特に戦後、日本は平和を目的ではなく手段としてきましたから、この点違う。

 しかし、昭和20年8月15日の終戦、あの決定的な日本現代史の転換点から導き出される終戦の価値観というものと、平和も守るために戦う、その価値観は違うかもしれません、戦うにしても街頭でプラカードを掲げるというよりも自衛隊に志願して第一線で武器を掲げるという価値観なのですから、ね。防衛力は最後の手段と考えるがその最後の定義、温度差は大きいよう思う。

 もちろん、この視点を移民はじめ世界の方々を日本へ招く際に差別や区別というものと一体化してはなりません、なぜなら、こうしたものが生む不理解こそが、第二次世界大戦の発端として世界の理性を蝕んでいったのですから。ただ、変化というものが生じている、このことからの終戦、そして平和の認識は、将来にも考えてゆかねばならないでしょう。

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【榛名備防録】戦艦近代化改修,イタリアのコンテディカブール級とカイオデュイリオ級戦艦

2021-08-14 14:10:45 | 国際・政治
■扶桑型&伊勢型戦艦への一視点
 戦艦大和新造に対する批判として旧式戦艦の活用という視点があるようですが、これ、不可能ではないのですよね、問題は費用対効果です。

 戦艦の近代化改修、日本海軍はワシントン海軍軍縮条約により海軍休日という、戦艦を建造しない期間が長く続いたため、8年程度で交代させるはずの旧式戦艦を長期運用することとなり、例えば金剛型巡洋戦艦などは高速戦艦に改装、一新しています。長門型戦艦なども煙突などが一新したが、世界は広い、ド級戦艦を准新戦艦とした事例があったのです。

 カイオデュイリオ級戦艦とコンテディカブール級戦艦、イタリア海軍のこの二つの戦艦は1910年代のド級戦艦、ドレッドノートと同世代の戦艦であるのですが、抜本的な改修によりワシントン海軍軍縮条約明けの新戦艦にある程度対抗できる水準まで改良されています。ただ、日本も扶桑型や伊勢型に同じ改修をすべきだった、とは中々、手間が掛かり過ぎる。

 ドレットノート、1906年に出現したイギリスの戦艦は敵駆逐艦を排除する副砲を廃止しつつ、従来の戦艦が連装砲二基四門という常識を破り、同一口径同一砲を多数搭載し、遠距離での命中精度を確保する、という従来の戦艦を一新する概念でした。イタリアはこれを受け1909年に試験艦的なド級戦艦ダンテアリギエーリを建造、評価試験に臨みました。

 コンテディカブール級戦艦は続いて1910年に起工、船体前部に305mm三連装砲と連装砲、船体中央部に三連装砲、船体後部に連装砲と三連装砲を積む設計でした、コンテディカブールとカイオジュリオチェザーレにレオナルドダビンチの3隻を建造、速力21ノットで常備排水量は22922t、3番艦は1916年に事故で沈むが手堅くまとまった戦艦でした。更に。

 カイオデュイリオ級戦艦は1912年、二番艦アンドレアドリアとともに揃って起工し、主砲配置などはコンテディカブール級と同一、艦橋構造物などの配置が違いますが、常備排水量22964t、速力21ノットとなっています。ただ、イタリアで不幸なのは第一次世界大戦とともに、各国がド級戦艦を上回る戦艦、超ド級を建造する中で停滞、乗り遅れてしまう。

 フランチェスコカラッチョロ級戦艦として4隻の超ド級を計画していたのですが、これが大戦を受け敵国ドイツは地中海まで進出する気配はありませんでしたし、陸軍強化の予算を捻出すべく建造中止となりました。そして超ド級戦艦を保有しないまま、イタリアは海軍休日を迎える。日本などは、扶桑型、伊勢型、長門型など6隻そろえているのに、です。

 イタリアは、海軍休日下、コンテディカブール級とカイオデュイリオ級の改修を決意します。ド級戦艦は先ず、速度が遅い、また艦砲も305mm砲では威力が話になりません。そこで先ず、近代化改修に際して、船体延長を決意したのですね。エンジンを一新し艦首形状も一新し高速化、全長は176mから10m以上延伸しました、そしてエンジンを換える。

 305mm艦砲では対抗できない、そこで奥の手といいますか、イタリアは艦砲の砲身を削って305mmから320mmに広げています。速力は27ノット、艦砲はエンジン強化の代償に船体中央部の三連装砲を撤去し320mm砲10門となりました。第二次大戦を生き延びたこれらの戦艦は、一隻をソ連に譲渡したほか1955年前後まで現役で運用可能な性能があった。

 日本も、扶桑型や伊勢型を船体延長し艦砲を減じエンジンを刷新すれば速力が27ノットには強化されたでしょうし、36cm艦砲も削れば38cm艦砲、クイーンエリザベス級戦艦などへ対抗出来たかもしれません、ただ、この回収の費用対効果よりは、新造したほうが早いようにも見えるのですよね。ただ戦後まで使われた事をふまえると、評価は難しいですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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令和三年度八月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2021.08.14-2021.08.15)

2021-08-13 20:00:02 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 終戦記念日がいよいよ日曜日となりましたが、日本のそして世界のCOVID-19との戦いは激化し終わりが見えません。

 先日必要火急の所用が在りまして本当に久々に東京へ行く機会がありましたが、新幹線は行きが特に空いていて私の乗った車両は乗客が私の他に3名、それも品川駅で降りてしまいましたので久々に新幹線独り占めという非日常を経験しました、所用を済ませても食事をとる気にもならず、皇居前広場を新幹線の時間まで散策、行き違ったのは僅か5名という不思議なもの。

 皇居前広場ですれ違いましたのは5名ですが、この内一人は警視庁のお巡りさん、あと二人が外国人観光客と皇居ランナー、残る二人が皇宮警察のお巡りさん、という、まさに警察国家、というのは冗談で、皇居前というのはあそこまで人が居ない場所なのでしょうか、人流が抑えられているという印象で、当方も素早く新幹線で帰路に就きました次第です。

 十三日の金曜日、良くない事が起きるというのは迷信だと思っていましたが一概にそう言えないらしい、日本国内でCOVID-19感染者数が二万の大台を超え、NHK報道では2万0293名に達したとのこと。高齢者へのワクチン接種が進んだとはいえ、都市部の重症患者については、そろそろ最後の医療予備戦力を期待し地方都市への航空戦域間輸送を行うべきではないか、とも思います。

 COVID-19は本日の死者数が25名となり、累計死者数は1万5384名、東日本大震災の死者数が遠くない範囲に見えてきました、高齢者へのワクチン接種は進んだものの、何しろデルタ株の感染拡大により感染者数という分母がかつてない程に拡大している事から、若年層の重篤化の割合は低くとも絶対数が拡大しており、これはなんとかせねばなりません。

 感染拡大制御不能、これは東京都感染状況モニタリング会議が昨日12日に発表しました見解です、医療体制が深刻な機能不全に陥っているとしまして、事実上の野戦病院に当る宿泊療養施設も含めて、医療基盤が限界を超えつつあり、このままでは東京都だけで一週間の感染者数がどこまで増大するか分らず、最早災害と同様、として強い危機感の表明です。

 政府分科会は人流五割削減の必要性を強く説いています。昨年四月の緊急事態宣言の七割削減が必要とも思うのですが、現実的に五割削減が限界なのでしょう。しかし、九月からの全国学校一斉休校や大規模商業施設営業自粛、経済に影響があると反論されても、間もなく東京都内だけで数万が濃厚接触者で自宅待機となり、経済影響はこちらの方が深刻だ。

 除染車を出動させてみてはどうか、新型コロナウィルスCOVID-19についてCOVID-19という故障が定着する前、欧州において致命的な感染拡大が生じていた頃には各国は街頭の消毒を実施していました。これはウィルスに対してどの程度有効であるかは未知数ですが、スパイクタンパク質に対して消毒薬は有効で、マイクロ飛沫の舞い上がりを阻止できる。

 街頭除染、都市部での深刻な感染拡大を前に日本では過去三度の緊急事態宣言が、自粛要請を主体としたもので対応してきました。実のところ思い切った制限措置を執った第一次緊急事態宣言、大規模称施設休業要請や全国学校一斉休校措置、この効果に比べれば続く二回の緊急事態宣言は不徹底に終わった印象は否めないのですが、自粛要請は効果がもう。

 都市封鎖、災害救助法や道路交通法といった現行法では可能であるのですが、まず都市封鎖を行うよりは第一次緊急事態宣言と同じ全国学校休校措置、そして大規模施設封鎖を緊急事態宣言として実施し、幸い現在は夏期休暇期間中ですが、部活動などでの学校利用の停止と大規模商業施設封鎖が、都市封鎖よりも前に実施すべき点なのかもしれません。

 しかし、自粛はまだ効果があると考えるならば、東京や大阪、名古屋や福岡、札幌と広島に仙台など特殊武器防護隊のおかれる部隊近傍の都市部に特殊武器防護隊の除染車を出動させ、自衛隊車両を先頭に、民間散水車を続行させ、消毒薬を散布してはどうでしょうか。効果の方は未知数で、物珍しさから最初は人が集まる可能性もありますが、一定の効果は。

 緊急時であるという認識を共有することで自粛機運に繋がりましたのが第一次緊急事態宣言です、この機運を再確認するには、自衛隊が出動し除染作業を行う、歩道を一時通行止めとして消毒薬を散布する、その上で休校措置や大規模商業施設営業中止要請を都道府県知事が担う、この段階で感染沈静化をねらい、不可能であれば都市封鎖の検討を、と思う。

 強い措置が必要だ、ただ先の見えない闇の中で都市封鎖を、と説くのではありません、実際問題としてワクチン接種は進み、オーバーシュート感染の危惧はありますが、一回目接種は人口48.6%の6175万7353名に、二回目接種も人口比36.5%の4642万2145名に完了しています、先が見えているのだからこそ、出口に向けて強い措置は、在ってよいと思う。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の行事なし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【京都幕間旅情】今熊野観音寺,白河法皇と後白河上皇が育む京都の熊野は今熊野修験の聖地

2021-08-12 20:01:41 | 写真
■東山観音寺から今熊野観音寺へ
 今熊野観音寺は考えてみると真言密教が聖地熊野に隣り合う高野山へ至る始まりの地でもあるのかもしれない。やはり歴史は面白いですね。

 今熊野観音寺、かの弘法大師空海が遠く唐王朝下の中国へ仏教留学より帰国しまして、しかし学短の帰国をとがめられ状況を許されなかった頃、当地に熊野権現の顕現という奇跡と出会いまして、その際に仏像を彫像、報じました堂宇がこのお寺の始りといいます。

 西国三十三所第15番札所、神仏霊場巡拝の道第122番札所、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場第1番札所、洛陽三十三所観音霊場第19番札所、泉山七福神巡り第3番札所、今熊野観音寺はこう列せられていまして、また、後白河上皇の頭痛を封じたとも伝えられているところ。

 医聖堂、一際鮮やかな多宝塔は昇ってゆきますと案外と新しいもののようですが、医学者と医療従事者を支える目的で造営された多宝塔とのことでして、陸軍航空隊慰霊碑も並び、日本の歴史の複雑な織りなした情感というものを感じるところではあるのですけれども。

 五智水、弘法大師空海はその熊野権現との出会いの際に独鈷で岩を突きまして、ここから湧き出でました観音御利生の水が、今日も五智水として清冽で冷涼な風情を東山の地に滴らせています。創建から三百余年を経て、当地は東山観音寺と称されるようになりました。

 白河法皇、院の御所を築いた法皇は熊野権現と空海に所縁ある当地を今熊野修験の聖地としまして、名を東山観音寺としました。そして後白河上皇の時代となりますと、上皇は熱心な熊野信仰者でしたが流石に院の御所から熊野は遠く、代えて当地を手厚く保護します。

 新那智山、こう称されます背景には後白河上皇が、熊野権現との所縁ある当地こそ京都における熊野の地に相応しいと考えまして、改めて熊野権現を勧請することとなりました。この際に東山観音寺を今日の観音寺と改め、そうして今熊野観音寺となってゆくのですね。

 新熊野神社。実はこの地名は当方、恥ずかしいお話しですが、新しいものだと考えていました、聖護院に熊野神社がありますから、割と最近建てたのだろう、と。しかし間違いも間違い、新熊野神社は後白河上皇が熊野権現を勧請した際に創建した800年以上の歴史が。

 鳥戸野という、当地に隣接する地域は平安朝から南北朝の時代まで貴族の墓所となっていまして、観音寺はその歴史の深さから法要などを担う寺院として重用されまして、千年を超える寺の歴史は、空海ゆかりの、そして今も続く信仰は連綿と続いている事に驚きます。

 応仁の乱により荒廃した歴史もありますが、天正8年こと西暦1580年より本格的に再興される事となりまして、本堂はその後も火災などに見舞われましたが、その都度復興しており現在のものは宗恕祖元により正徳2年こと西暦1712年に再建されたものとの事でした。

 弘法大師御作と伝えられる十一面観世音菩薩が安置されていますが、こちらは秘仏として公開されていません、ただ、脇仏に、智証大師円珍作と伝えられる不動明王、運慶作と伝えられる毘沙門天が控えていまして、厳かな空気を信仰の寄る辺として醸し出しています。

 頭痛封じの観音様、後白河上皇の頭痛を癒したという信仰は、現代人の悩みである頭痛を封じる故に御利益に預りたいところで、確かに拝観しますと頭痛が収まったようにおもうのですが、小生の場合は肩こりの方が中々に辛いものがありまして、さてさて、とおもう。

 医聖堂の鮮やかな朱色を拝みつつ、ぼけ封じの観音様にも手を合わせる、頭痛については思うところが多いのですけれども、なにより今熊野修験道と位置づけられた、東山の中でも緑に包まれた風景は、拝観と共に巡るだけでも、なにか清涼感を感じる事は確かでした。

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【京都幕間旅情】今熊野観音寺,新那智山は弘法大師空海上洛まつ大同年間の紀伊熊野との縁

2021-08-11 20:03:40 | 写真
■東山は泉涌寺塔頭の静かな寺院
 京都散歩の醍醐味は一つの筋が通った歴史上に全てが並び、しかしどれも個性に溢れている歴史と文明を湛えている所なのかもしれません。

 今熊野観音寺、ここは東福寺駅を東福寺ではなく泉涌寺町へ歩み進めました京都府京都市東山区泉涌寺山内町に鎮座します真言宗泉涌寺派の寺院でして、泉涌寺の塔頭、龍安寺と妙心寺のような、塔頭と云いましてもその広大な寺域に息を呑む静けさを湛えています。

 新那智山、山号に那智の名を冠しました御山は、本尊に秘仏である十一面観世音菩薩を奉じ、弘法大師空海が開山となった寺院という。泉涌寺は山手へ徒歩ではかなり歩み進めた先にありますが、今熊野観音寺は間もなく泉涌寺というところを東へ赤い橋を渡ったさき。

 空海が開山となりました御山、この今熊野観音寺は不思議な始まりの歴史を湛えています、なにしろこの界隈は静けさが満ちていまして、よくよく考えれば日本の東西大動脈東海道新幹線と東海道本線が走っているとはにわかには信じがたい、さてその不思議について。

 空海は若き頃に平城京へ学びの場を求めた際に平城京の廃都を知り、伝手を辿り平安京に叔父の阿刀大足を訪ね修学を積みました、阿刀大足は桓武天皇の皇子伊予親王教育を任された文人で、勉学の才覚あった空海は、続きまして律令大学寮に学んだ先に出家しました。

 入唐求法、空海は第18次遣唐使長期留学僧として唐に渡り、20年の留学を期していましたが、優れた才覚と長安にいたるまでの厳しい修行の積み重ねを長安は青龍寺の恵果和尚に見いだされ密教の奥義伝授、伝法阿闍梨位の灌頂に預り、僅か2年で修了、帰国の途に。

 真言密教の伝法阿闍梨位という一つの目的を果たし20年の予定を2年で帰国しましたのが大同元年、空海には前途が開かれているようで模索も続く時代ではありましたが、その翌年にあたる大同2年こと807年、東山に不思議な光が掛かっているのに気付いたという。

 熊野権現の顕現、空海はその光を求めて現在の今熊野観音寺の地に至りますと、熊野権現の顕現にあったという。帰国の後に九州は大宰府に東長寺と鎮国寺とを創建しました空海は朝廷に唐からの請来目録として経典や曼荼羅の目録作成に多忙を極めていた頃の事です。

 平安京は、しかし、20年の修学予定を2年で切り上げた空海に疑義を持ったころで、まだ洛中への上京を認めていない頃、東山界隈を巡っていました空海はどのような面持ちでしょうか、その際に空海は自ら一尺八寸の十一面観音菩薩像を刻み、熊野権現を祀る事に。

 上京が許されたのは大同4年という実に4年間、空海は洛中に入る事が許されなかった事ですが熊野権現の顕現という一つの奇跡は、考えてみますと空海と熊野の地との縁を結ぶ契機となったのでしょうか、熊野の聖地に面する高野山に空海が至るはるか前の出来事だ。

 空海が彫像した十一面観音菩薩像は、小さな堂宇に奉じられ、現在の今熊野観音寺には小さな堂宇が不思議な信仰を湛える地となりましたが、翌年、嵯峨天皇の勅使を受け鎮護国家大祈祷を行い、これが弘仁3年こと812年の高雄山寺こと神護寺の造営に繋がります。

 嵯峨天皇は812年、空海の東山に在る堂宇を知り、ここを洛外裏鬼門に備える聖地とするべく、諸堂造営に着手します。この造営は左大臣藤原緒嗣により西暦824年からの天長年間に更に壮大な伽藍が造営されることとなり、平安朝末期の頃には一大聖地となってゆく。

 紀伊国熊野にあります熊野三山に対しまして、この地を今熊野と称するようになりましたのは平安朝末期の頃といいまして、熊野修験のような修験を積む今熊野修験という信仰のかたちが、いまも静けさを湛える東山の当地にて広がるように、育まれていったのですね。

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【防衛情報】アフガン緊迫!タリバーン攻勢,北部クンドゥズ州やヘルマンド州など4州都陥落

2021-08-10 20:01:02 | 先端軍事テクノロジー
■特報:世界の防衛,最新論点
 アメリカ軍の撤収完了目前のアフガニスタン情勢が緊迫しています、自衛隊も派遣を呼びかけられたアフガニスタンの厳しい現状を視てみましょう。

 アフガニスタンの治安が急速に悪化しており二日間で二つの州都がタリバーンにより占領される状況となっています。アフガニスタンの南西部ニムルズ州の州都ザランジがタリバーンにより占領された、ニムルズ州の副知事が8月6日に発表しました。ただ、タリバーンからの正式な占領の発表は無く、現地では中心部で武装勢力の集会が目撃されている。

 ザランジはアフガニスタンとイランの国境に近くアフガニスタン政府も、正確な情報が収集出来ない状況があるようです。続いて8月7日、今度はジョズジャン州の州都シェベルガンが占領され、ジョズジャン州の副知事が占領を明らかにしました、シェベルジャンの陥落を受け、ジョズジャン州のアフガニスタン軍は空港へ撤退を開始しているとのこと。

 ヘルマンド州の州都ラシュガルガーと北部クンドゥーズ州の州都クンドゥーズではタリバーンに包囲されつつあり、激戦が展開しているとアフガニスタン政府は発表していますが、先んじてザランジとシェベルアンが陥落した構図で、間もなく完了するアメリカ軍やNATO軍有志連合部隊の支えを失ったアフガニスタン正規軍は窮地に追い込まれています。
■B-52戦略爆撃機航空支援
 アメリカ軍は航空支援によりアフガン軍を支援していますが、この航空支援もいつまで継続できるのでしょうか。

 アフガニスタンにおいてアメリカ空軍は7月末から8月初旬にかけ大規模な航空攻撃を実施しました、これはアフガニスタンの首都カブールにおいてアフガニスタン政府高官の報道官がタリバーンにより暗殺された事件を受けての緊急措置で、三日間に渡り北西部ヘラートと南部カンダハル、ラシュカルガにおいて航空攻撃を各地複数回、実行しました。

 B-52戦略爆撃機は巨大な爆弾搭載能力以上に、冷戦時代の核パトロールに代表されるように長大な航続距離と居住性への配慮があり、ヴェトナム戦争のような絨毯爆撃ではなく、長時間戦域上空を飛行し、重要目標に対し精密誘導爆弾による精密爆撃を加える方式で支援を行う。成層圏を飛行するB-52はタリバーンの装備する装備体系で撃墜は出来ません。

 しかし、タリバーンの攻撃を阻止するには至らず、ヘルマンド州の州都ラシュガルガーでは中心部に在るアフガニスタン国営放送の施設がタリバーンにより占拠されています。アメリカと有志連合はアフガニスタン空軍の再建に2001年以来取組んでいますが、MD-500ヘリコプターなど限られた装備を例外として攻撃機などの運用基盤構築に至っていません。
■北部クンドゥズ州の州都陥落
 アメリカ介入前の北部同盟の重要拠点陥落の報道には驚かされました。

 アフガニスタンでは8月8日、北部クンドゥズ州の州都クンドゥズとジューズジャーン州の州都サリプルが武装勢力タリバーンにより陥落しました。アメリカ軍撤退を前にタリバーンの攻勢が続いていますが、僅か数日間で4州の州都が陥落、またタリバーンはタハル州でも攻勢に出ており、州都警備のアフガニスタン軍は苦戦を強いられているもよう。

 北部クンドゥズ州の州都クンドゥズ、9.11同時多発テロの際にこの地域はタリバーンに抵抗する北部同盟の拠点都市でもあり、アメリカ軍が再建したアフガニスタン軍は、実質的にはアメリカ軍やISAF国際治安部隊派遣時の、強化される前よりも結果的に弱体化した事となっています。アフガニスタン軍には、戦車と火砲及び航空機が致命的に不足している。

 アフガニスタン正規軍には、タリバーンの攻撃に一定程度耐え、そして近接戦闘にもちこませない程度の戦闘能力を有する装備が欠けています。イラクがISILを供与されたM-1A1戦車で凌ぎ、シリアがロシアから大量のT-72戦車の供給を受け持ちこたえたように、アフガニスタンにも戦車を積極的に供与すべきであったと考えるのですが、行われていません。
■国連UNAMAが危機感を表明
 アメリカ軍の撤退は時期尚早であったのではないか、これまで20年間に渡り注ぎこんだ支援が消えてゆくようですが、このまま再度破綻国家となるのでしょうか。

 UNAMA国連アフガニスタン支援ミッションでは、市街地での戦闘によりラシュカルガ市内では非戦闘員の死者が増加していることに警鐘を鳴らしています。国連は市民が戦闘に巻き込まれるのを防ぐにはタリバーンとアフガニスタン政府双方に市街地での戦闘を行わないよう呼びかけていますが、双方とも呼びかけに応じている様子はありません。

 アフガニスタン政府は、タリバーンにより陥落したとされる都市部では、まだ戦闘が続いており、タリバーン活動地域の市民に対して、戦闘に巻き込まれないよう避難勧告を続けています。戦闘はジャララバードなどの要衝都市でも激化しており、既に陥落した四州都とともにタリバーンの占領地は2001年の以来の規模へと急速に拡大していル状況です。

 2001年のアメリカを中心とした有志連合は、同時多発テロ首謀者の引き渡しに応じないタリバーンに対し空爆を実施しましたが、当時のアフガニスタンは正統政府が北部同盟を形成し、タリバーンに対し一定の地域を確保していました。しかし、北部同盟が維持していた組織的戦闘能力は、現在のアフガニスタン軍に充分継承されていないように思えます。
■時事:ARFが中国核軍拡危機感
 ここからは時事の話題をお伝えしましょう。

 ASEAN地域フォーラムARF閣僚会合が広島原爆慰霊の日である8月6日に開かれ中国の核軍拡への懸念が呼び掛けられました。これはオンライン形式にて行われた閣僚会議で、この席上、アメリカのブリンケン国務長官は中国の核軍拡を問題視、中国は伝統的に最小限核抑止戦略を採用していましたが、十年間で一桁多い戦略核戦力の整備を進めています。

 ASEAN地域フォーラムARFはASEANの安全保障枠組、経済共同体という緩い友好関係を示すASEANにあってこの連携を安全保障をアジア太平洋地域全体で討議する枠組みとして1994年より定期的に行われており、即応待機部隊や常設軍事参謀会議などの軍事的枠食いは持ちませんが、ASEAN加盟国を中心にEU欧州連合と26の国家が参加しています。
■時事:ヒズボラがロケット攻撃
 東京五輪の最中にも中東地域の戦火は止む事はありませんでした。

 イスラエル軍は武装勢力ヒズボラによるロケット弾攻撃を受け航空攻撃による反撃を行いました。ヒズボラはイラン革命防衛隊外郭団体であり、レバノンを中心に住民支援とテロ活動を実施しています。今回の発端はレバノン南部からイスラエルへ10発のロケット弾が発射された事にあり、イスラエルはアイアンドームミサイルによる迎撃を実施しました。

 攻撃は4日から7日に掛け断続的に行われており、イスラエル空軍が反撃しました。イスラエル空軍はロケット弾陣地に対して航空攻撃を行ったとしていますが、戦果などは発表されていません。イランとイスラエルの関係はオマーン沖で発生したイスラエル系列の船会社が運行する日本タンカーへの攻撃を契機に緊張が高まっている最中の攻撃となります。
■時事:英艦ブルネイ親善訪問
 クイーンエリザベス空母戦闘群は順調に日本へ向かっているもよう。

 イギリス海軍の駆逐艦ディフェンダーはブルネイを親善訪問しました。親善訪問は7月25日から7月27日までの二日間で、ブルネイにイギリス軍艦が入港するのは2019年以来となります。ディフェンダーは45型駆逐艦の8番艦でクイーンエリザベス空母打撃群の一員として行動しまいます。ブルネイは英連邦加盟国であり、イギリスとの関係は深い。

 ディフェンダー親善訪問に際して南シナ海に接して、中国の圧力受けるブルネイの関心は高くブルネイに駐在するジョンビルゴエイギリス高等弁務官とともにブルネイ海軍のヤンベルホルマットライララジャ退役少将とダト・パドゥカ・モハド・ユソフ国防大臣が艦内を親善訪問、艦内旅行とともに艦上でのイギリス海兵隊訓練展示等が実施されています。

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【防衛情報】アメリカF-16V生産ライン再建と輸出進む中国JF-17戦闘機とAMRAAM新記録

2021-08-09 20:20:14 | インポート
■週報:世界の防衛,最新11論点
 今回は空軍関連の話題を戦闘機について中心に11論点を視てみましょう。

 アメリカ空軍は2021年3月に実施したF-15C戦闘機からのAMRAAM極超長距離射程射撃試験において記録的な長射程での命中を記録したとのこと。発表は4月4日に行われたが、長大とされる射程の詳細は発表されていない。この試験は第83評価支援飛行隊が実施、単独飛行BQM-167無人標的機に対しAIM-120D-AMRAAMを用いて実施したという。

 AIM-120D-AMRAAMの射程は160kmであるが、これを上回ったと考えられる。アメリカでは海軍のF-14戦闘機がAIM-54フェニックスミサイルにより射程180kmを達成、戦闘機からのミサイルは200km以下が限界と考えられていたが、アメリカ空軍の発表では史上最長という表現も用いられており、これが海軍機を含め最長であるかについて興味深い。
■F-16block72に生産網再建
 戦闘機の製造には量産ラインをどう維持するかが日本のF-2でも問題となりましたがアメリカはF-16block72の量産ラインについてどう対応したのでしょう。

 アメリカのロッキードマーティン社は今後128機の新造が見込まれる最新F-16block72の量産へ製造ラインを強化したとのこと。F-16戦闘機はアメリカ空軍の数の上での主力戦闘機であるが、後継機となるF-35戦闘機の量産本格化によりロッキードマーティン社のテキサス州フォートワース工場での生産ラインは2010年代後半に既に閉鎖されていました。

 F-16block72は最新のAESAレーダーを備えコンフォーマル式燃料タンクを備える等、F-35戦闘機に準じる航空機であり、アメリカでは第五世代戦闘機には及ばないものの既存の4.5世代戦闘機よりも新しい准第五世代戦闘機としています。一時は製造ラインをインドに移転する計画もありましたがインドのF-16採用は今も未決定でその目処は立っていません。

 ロッキードマーティン社テキサス州フォートワース工場は同社の主力工場に当りますが、今回F-16block72はサウスカロライナ州のグリーンビル工場に製造ラインを創設する事となりました。バーレーン、スロバキア、ブルガリア、台湾等が導入を計画、2022年に初号機が完成します。ロッキードマーティン社ではアメリカ空軍への再配備も期待しています。
■FCAS計画エンジン開発へ新会社
 エンジン開発は戦闘機開発の肝心要の部分で日本も苦労していますが。

 欧州将来戦闘機FCAS計画についてエンジン開発へEUMET独仏合弁会社が設立することとなりました。FCASは第五世代戦闘機を持たない独仏が目指す第六世代戦闘機計画です。これはフランスのサフラングループとドイツのMTUアエロエンジン社が共同出資し創設されるもので、EUMET合弁会社の本社機能はドイツのミュンヘンに置かれるとのこと。

 EUMET独仏合弁会社として今回はドイツが参画する事となりましたが、実際にはドイツに戦闘機用エンジン開発技術は無く、ラファール戦闘機に搭載されるM-88エンジン技術を持つサフラングループが事実上の主導権を握り、ドイツが開発費を負担するという構図です。サフラングループはスネクマ社とSAGENグループが2005年に合併し誕生しました。
■トルコF-35導入禁止決定
 F-35を導入するには信頼が必要でして安価だから自衛隊もロシア製戦闘機をと昔論評していた自称ヒョーロン家は猛省して頂きたい。

 アメリカ政府は情報保全上の著しい問題状態が解決されないままだとして、2021年4月21日にトルコを正式にJSF統合打撃戦闘機F-35パートナー国から除外した事を通知しました。トルコ政府はアメリカ政府を相手取りトルコ政府が支出した15億ドルの返還かトルコ向け初号機を含む4機のF-35を引き渡すよう求める裁判の可能性を示唆しています。

 トルコは2019年にロシア製S-400地対空ミサイルシステムを導入、これは防空ネットワークにデータリンクする為、情報共有システムを通じNATOの防空情報がロシアへ漏洩する可能性が示唆されていました、これを受け2019年にアメリカトランプ政権がトルコへのF-35輸出を凍結、バイデン新政権もこの姿勢を堅持し、今回のトルコ除外となりました。

 F-35開発はトルコも初期より参加しており、15億ドルの開発費を負担しています。ロシア政府はミサイルデータリンクシステムをNATO防空システムに接続した場合にミサイルシステムにデータリンクされる事は認めていますが、ロシア側へその情報がリアルタイムで共有されるかについて立場を明らかとしていませんが、トルコ側は問題無いとしています。
■A-400M輸送機が空中給油実施
 日本のC-2輸送機も派生型で空中給油型を開発し生産数を伸ばしてはどうかと思う。

 フランスの国防装備総局DGAはエアバスA-400M輸送機を用いた初のヘリコプター空中給油を実施しました。これはA-400M輸送機に空中給油装置を装着した上で空中給油任務に充てる方式で、フランス空軍は現在、C-130J輸送機を用い同様の任務を実施しており、将来的にA-400MがC-130Jを置換える際の任務互換性の検証実験といえるでしょう。

 A-400Mからの空中給油試験は2021年3月22日から4月2日にかけ実施、フランス空軍が運用するカラカルとして知られるEC-725ヘリコプターを用い、フランス南西部上空において8回の空中給油を実施しました。この中には夜間空中給油や一度に数トンの燃料を空中給油する試験も実施され、いずれの試験においても良好な成績を残したとのことです。
■エジプトがラファール追加
 ラファール戦闘機は一時期タイフーン戦闘機の後塵を拝していたのがウソのようでして日本のF-2もこうして進化を続けて最新を保つ必要が在ったのだと思う。

 エジプト空軍はフランス製ラファール戦闘機を追加発注する方針で最大のラファール輸入国となるもようです。エジプト空軍は現在24機のラファール戦闘機を運用中となっていますが、5月4日、エジプト国防省は更に30機を追加するフランスとの協定に署名しました。30機のラファールは米ドル換算で45億ドル、1機あたり1億5000万ドルとなります。

 ラファールは開発以来海外輸出に苦慮していましたが、インド空軍への採用がようやく実現しカタール空軍への配備も進んでいます、しかしその数は多くありません。エジプトは2015年に24機導入を契約、同時にフリゲイト等の各種装備をパッケージ契約し、フランス政府が低利子の10年ローンを認め、稼働率も維持出来た為、今回の増強に至りました。
■韓国の次世代輸送多目的航空機
 韓国も日本の様な国産輸送機をという試みでしょうが戦闘機や練習機と異なり胴体の大きな航空機は独特の難しさがある、お手並み拝見ですね。

 韓国防衛事業庁はKAI韓国航空宇宙産業との間で次世代輸送多目的航空機開発に関する研究開始で合意しました。韓国ではC-130輸送機とCN-235輸送機及びP-3C哨戒機の老朽化が進んでおり、7年間で27億ドルを投じて双発航空機を基本型とした輸送多目的航空機を開発、これを原型として、韓国が必要とする各種の航空機に充てるのが今回の狙い。

 次世代輸送多目的航空機についてKAI韓国航空宇宙産業が提案したCGイメージ図では双発のT字尾翼を有する航空機が描かれており、これは恰も日本の川崎重工が開発したC-1輸送機やブラジルのエンブラエルが開発したKC-390輸送機を彷彿させるものだ。一機種で輸送機と哨戒機を開発するのは2000年当時の日本C-X/P-X構想と重なるともいえよう。
■JF-17サンダー戦闘機輸出
 JF-17サンダー戦闘機は自衛隊のファントムよりも地味に高性能だったりする。

 ナイジェリア空軍は中国設計のJF-17サンダー戦闘機の受領を開始しました。5月20日にナイジェリアのムハンマドブハリ大統領出席のもとで引渡式典が実施され、3機のJF-17がこの日に就役しています。ナイジェリアは国内の武装勢力ボコハラムとの戦闘に近代的な戦闘機を必要としており、今回の引渡は第四世代戦闘機相当の戦闘機導入となりました。

 JF-17サンダー戦闘機は中国が設計しパキスタンがライセンス生産、ナイジェリアへ供給しています。これは2018年にパキスタンとナイジェリアの政府間合意により3機のJF-17をナイジェリア国内においてノックダウン生産する1億8400万ドルの契約が結ばれ、2021年3月にノックダウン生産向けJF-17戦闘機が海路を経てマクルディ基地へ到着しました。
■ナイジェリアJF-17導入
 JF-17サンダー戦闘機の話題をもう一つ。

 ナイジェリア空軍は5月20日に最初の3機を受領したJF-17サンダー戦闘機について、能力向上型の開発や自国でのライセンス生産開始について、中国及びパキスタンの協力を期待しています。JF-17は1980年代のF-16C戦闘機程度の戦闘機を1980年代の易かった時代の費用で入手できる新型で、原型はFC-1として成都航空機製造公司で開発されました。

 ナイジェリア空軍が運用するJF-17サンダー戦闘機はMIL-STD-1760データ通信装置と7カ所の兵装架、23mm双連機関砲を搭載、また精密爆撃を行うべくトルコ製Aselpod照準ポッドが搭載されています。ライセンス生産を行うPACパキスタン航空工業社ではナイジェリア政府に対して、更に35機から40機のノックダウン用機体輸出を期待しています。
■アルゼンチンJF-17難航へ
 イギリスは一旦関係をこじらせさせるとこうした対応を組めるようでして日本も外交力の在り方として見習うべき。

 アルゼンチン空軍が進める中国製JF-17戦闘機導入計画について不確定要素が生じています。アルゼンチン空軍は旧式化したA-4AR攻撃機の後継機としてJF-17を計画していますが、1982年のフォークランド紛争後関係が悪化したままであるイギリス政府がJF-17輸出を阻止する可能性があるもよう。JF-17の射出座席はイギリスマーチンベイカー社製です。

 JF-17戦闘機はF-16C戦闘機に匹敵する中国製戦闘機で、第4.5世代戦闘機には及ばないものの中距離空対空ミサイルや対艦ミサイルが運用可能、更に1700万ドル程度と1980年代のF-16戦闘機と同程度の取得費用で調達可能です。アルゼンチン政府は2021年5月に中国代表団のアルゼンチン訪問に際し12機のJF-17売却で合意したとの発表を行いました。

 A-4AR攻撃機はアルゼンチン空軍がかつて運用したミラージュⅢの老朽化退役の際にA-4攻撃機へAPG-66V2レーダーを搭載し空対空能力を付与したものですが、流石に古くA-4AR改修を受けた36機は極めて低い稼働率となっています。過去には韓国よりFA-50軽戦闘機の導入を試みましたが、やはり、イギリス政府の反対により実現していません。
■アルゼンチンはパンパⅢ増産へ
 T-4練習機はこうやってみてみると世界的には成功した部類と云える。

 アルゼンチン空軍はアルゼンチン国産のIA-63パンパⅢジェット練習機及び軽攻撃機型6機を1億0320万ドルで取得します。パンパを生産するFaDeA社は現在、この航空機を生産する以外製造ラインは無く1990年から2020年まで製造した航空機は10機のみ、A-4攻撃機の改修や航空機維持部品などを製造していますが1600名の雇用を維持しています。

 IA-63パンパは西ドイツのドルニエ社の技術協力により1984年に初飛行した練習機で、ドルニエ社が製造したアルファジェット高等練習機の技術を元に簡略化した設計となっており、1984年から2018年までの34年間で24機が細々と生産されています。パンパⅢは2013年に完成した最新型でグラスコックピット化され、機関砲やロケット弾を搭載可能です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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