■古都の夜景
雷神を祀ることから、航空関係者からも崇敬を集めるという京都上賀茂神社。今回は、上賀茂神社参拝の際に撮影した、夜の情景をお伝えしたい。
夜景や夜の撮影は、小生の場合写真撮影の少なく無い部分を占める。日中が多忙な際の帰路に撮る心の清涼剤として、また、暑い真夏の日々に直射日光を避け、夕涼みの散策の道程で、はたまた日照量少なく雪が降らない冬の古都撮影に、と思いのほか多い機会がある。当たり前なのだが、冬季では一日の半分、夏季でも三分の一が夜なのであり、日中の写真と並び一つの情景群を形成するのは当然といえる。
しかしながら小生、私事を挙げて恐縮だが、退職するお世話になった先生へ、京都百景なる写真をお贈りしたところ、われながら、これは外せない一枚だ、と選ぶ写真には多くの夜景が並んでいる。それは、夜の静寂とともに昼間の喧騒を掌る多くの観光客が写らないからか、日中の写真の撮影技量が稚拙であるからかは定かではないか、夜景には事の他惹かれるものも多い。
さてさて、参拝に赴いたのは1800時過ぎ。冬の足早な夕日は、瞬く間に情景を夜景へとかえてゆくが、ここ上賀茂神社では本殿以外の境内は常夜灯とともに夜も参拝者の立入を拒むことなく、小生一行も足を運ぶことが出来た次第。1820時頃から1835時にかけての十五分間は、群青の大空が濃い蒼空へと、そして濃紺の地平線を残し空は漆黒へと占められる。
この文字通り一瞬の情景変化は、毎日繰り返されているが、それゆえに見過ごされがちな日々の光景であり、天から降り注ぐ一点の陽光とはことなり、常夜灯の温もりある光が、真紅の社殿や歴史を包む境内を照らすとともに、かわることなき空の色を一つの情景として概括することができる瞬間である。いわば、光と影という日中の二元論から、情景が多元化する彩りの美しさがあるわけだ。
常夜灯には朝陽を思わせる白熱電球の温かみから、刺すように強調する水銀灯の灯火、そして白みが際立ち、さりとて目立つことの無い蛍光灯の無機質な光まで、様々である。照らすもの様々ならば照らされるものもまた然りで、それは必然として多くの影を生む。影が林立乱然とする様子の能殿は、神楽を舞うが如く錯覚させる写真を示してくれるわけだ。
お礼参りとして参拝を行うべくあしを運んだので、本殿との境界の向こうにある賽銭箱へと、懐を弄るが、御縁と縁起担ぎの五円玉、重縁と縁起を担ぐ十円玉も見当たらないので、御重縁と縁を担いで五十円を投じた。柏手を打つとシンと引き締まった境内の空気に跳ね返り、一礼してさがると、堀川通に足を進め、帰路についた次第。
HARUNA
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