■専守防衛と国際の平和と安全
明日安全保障関連法制が施行されます。そこで今夜は、防衛論議の総論からこの安全保障関連法制を考えてみる事としましょう。

我が国安全保障は、法的に今後友好国同盟国との防衛協力を強化すると共に自国民の安全や、我が国への武力紛争の重大な影響が表面化するまで打つ手なしという現行法に基づく防衛基盤が大きく転換されると共に、1992年より継続的に実施されています国際平和維持活動協力任務への参画も、責任を持つ立場として関与する事が可能となります。

安全保障関連法制は小泉内閣時代の有事法制に続いて画定されるべきものでしたが、遅延し漸く画定に至りました。国会討議では総論討議を無視し各論を先に論じ揚げ足取りの様相を呈した事で解釈次第の部分もあり、いろいろと細分化し討議しますと、議論の余地はありますが、現行法のままと新法施行下では防衛上どちらが現実に即しているか、と問われるならば次善策は新法施行後と現行法下において前者の方が妥当といえるものといえるでしょう。

本土決戦主義か国民保護優先主義か、私がこの安全保障関連法制に関する討議において最も議論されるべきで、しかし意図的か錯誤の末か無視された部分は、この命題です。専守防衛から周辺地域や全地球規模で我が国へ影響を及ぼす事態に対し、予防外交と抑止力として関与できる体制へ参画する事が可能となるのが今回の安全保障関連法制の一つの目的です。しかし、現行憲法では専守防衛、これも防衛力を大きく制限し、認められる防衛政策が限られている、というものでした。

専守防衛とは、本土決戦まで軍事的に打つ手を打たない、というものにほかなりません。敵が国土を蹂躙して初めて自衛戦闘を開始する、というものですので、言い換えれば第一撃を甘んじて受け入れる姿勢です、第一撃の打撃はわが国土と同胞に対して叩きつけられ、ここで失われる人命を以て国土に限定し国内で防備行動をとるというものです。攻撃を行う国からは、文字通り日本国土以外に特に自国に被害が出ないという前提で日本に対する攻撃を展開できるもの、ともいえます。

このあたり、国民的に専守防衛の国民に強いる犠牲を理解しているのか、総論として与党と野党は討議すべきでした。平和主義の美名に自らと家族が殉死する覚悟を以て専守防衛とこれを定めた平和憲法を支持するのか、単に、考えないようにしているだけなのか、と。更に、専守防衛として国土戦を考えるならば、全土要塞化、とまではいかずとも主要な防衛設備等の工事に無着手であり、文民保護は法制以外の施設面での担保も為されていません。

海外で戦争をさせる国にさせない、とは、戦争とは日本国内で迎え撃つもの、という意味でもあり、国際の平和と安全への関与は無視し、一方、徴兵制が敷かれず防衛は公務員の専業という我が国の施策では、有事の際、日本本土に着上陸を受ければ、持てる全ての財産を鞄に詰め込み自家用車の燃料が続く限り島国の国土を可能な限り逃げ回る事しか選択肢がない、というかたちでもあります。

専守防衛本土決戦という、他国に脅威を与えないという防衛政策を堅持するならば、防衛を自国民の手により一致協力して対応する社会制度、徴兵制とも言いますが、必要となります、これが現実的ではないとして法整備を進めた与党、議論を棚上げし無視する野党、という構図、になる。元々、徴兵制とは近世国民国家形成の時代、国防を特権階級だけに委ねる事は出来ない、として市民の要求で形成された市民軍からでした。

他方で、専守防衛か、国際の平和と安全への関与か、という命題ですが、そもそも専守防衛を掲げる割には自国防衛に対して日本の努力は少なすぎるのではないか、という視点は永らく同盟国アメリカより為されてきました。我が国の防衛努力は一定水準ではある、と言いますか、専守防衛という危険な本土決戦主義を国民が了解している覚悟も、国民の有事の負担、という意味からは大きなものと考えるのですが、他にも。

日本は専守防衛を掲げるならば、有事の際、同盟国が軍事的な協力へ遅延する状況下、国連安全保障理事会が必要な措置を撮るまでの間に受容される自衛権の行使、そもそも国連憲章では必要な措置を撮るとは示されていてもその必要な措置が充分な措置であるかは言及されていないものなのですが、そこまで自国一国で防衛戦闘を展開し国民経済を維持し、その生命財産を保護できるに充分な防衛力を一国で構築できるのか、という総論も今回の法整備の討議に際し与野党において議論されるべきでした。

一国での国防、日本は国内総生産で世界第三位と一億以上の人口を有しています、工業生産能力は先端工業から造船能力まで幅広く国際金融への影響度も非常に大きいですので、覚悟を以て防衛政策に取り組み、その上で外交能力を巧みに駆使すれば、専守防衛は不可能ではありません。国土防衛へ私は、5個広域師団と戦車師団に水陸機動師団、八八艦隊とF-35B固定翼艦載機、4個大型航空団と戦闘機分散運用基盤、と提示していますが、この水準に米軍の有事の際の増援へ威力と同程度の防衛力を整備すればいい、ということ。

アメリカは極東地域へ、空挺師団と軽歩兵師団及び重師団、航空母艦2隻、空軍戦闘機350機程度の増援を基本的に想定している、と考えられますので、これまでに提示しました編成では広域師団に換算し4個広域師団の増設、八八艦隊の更なる1個艦隊の増設、大型航空団4個の増設、という規模の増強、非常に厳しいのですが、その上で一国で弾道ミサイル防衛網を早期警戒システムから構築するか、若しくは核攻撃を抑止できる強力な戦力を構築するか、という議論も必要です。

国民が一致して臨むならば全く不可能な水準ではありません、現役兵力での負担が大きいのであれば、即応予備自衛官としてこれだけの規模を増勢する事でも対処出来るでしょうが、その覚悟はあるのか、議論すべきものです。他方、専守防衛に拘り過ぎ、一国防衛主義を強調する事は諸外国に対し、膨大な軍事力を国際協調に関与させる公共性を持たない、という意思の背景を説明する必要も出てきます、なによりも、日本ほどの国力を持つ国が専守防衛として国際の平和と安全へ距離を置こうとする事例は他国にはありません。

そしてもう一つ、安全保障関連法制討議において国会は勿論、国民全体で議論する総論として、憲法上禁止されている為集団的自衛権は不可能、という意味合いについてです。この論調、憲法に反するのだから禁止だ、ということは、憲法改正により仮に武力紛争への積極関与が国民投票で可決された場合、憲法で認められるのだから最大限展開すべき、という、自らの価値判断を余りに憲法に委ねているのではないか、というもの。

各論から討議する事は、身近といいますか判断しやすいと共に意見を出しやすい部分がありますが、総論から議論しなければ問題領域の共有が出来ず、議論に必要な共有知の理解も不可能です。すると、議論の次元が噛み合わないまま、形而的討議に留まり、本質的な議論まで進みません。しかし、総論の議論は、以上の通り、与党の国際の平和と安全への関与重視に反論する際、本土決戦主義を掲げては野党は支持を得られません、故に総論を議論しない、と。

与党の集団的自衛権により国際の協調下で平和を維持する、この施策に野党が現実的に反論するとすれば一大軍拡の実施、としか反論できずこの場合旗色が悪くなるため議論を逸らします。憲法で禁じられているから反対だ、というならば野党は二つの選択肢で反論でき、憲法改正を掲げるか平和主義の方が国民生命財産よりも重い、とするしかなりませんが、支持を得られる見通しがなくやはり議論から逃避しているようにしか理解できません。

もちろん、議論を逃避できるだけ逃避する、という選択肢は、少々不安な印象はあるものの、無いわけではありません。例えば、小泉内閣時代に制定された有事法制、武力攻撃事態法や国民保護法なども、制定以前の政府見解は、有事まで議論しない、有事の際に政府が国会へ一括上程し最小限の議論で国会の数の優位を活かして即座に成立させる、という説明が為されていました。

これでは有事の際に急に有事法制が議論を経ず緊急成立させるという、逆に国会が機能を果たせない危惧を私は感じますが、平時の時間があるときには議論をしない、という与野党の特に野党の黙示的合意があったわけです。従って、有事の際に与党に全権委任して国会を通す、という施策、成立以前の作戦運用や協力体制構築は超法規に近いものとなりますが、敢えてその危険を容認する、という選択肢も、選ぶことは出来たでしょう。

安全保障関連法制明日施行、という節目の日にちを迎えました。しかし、防衛議論は専守防衛と国際の平和と安全という総論討議が必要であり、これを欠いて各論だけを討議しますと、結局全体を議論する事は出来ませんし、此処の結論が全体の合意を阻害する相互干渉影響も生じてしまいます。それを敢えて野党が避けている背景には、総論では野党各党の合意形成が難しく、兎に角与党に反対、という部分でしか合意できなかった背景があるのでしょう。しかし、総論討議は逃避する事は現時点では可能ですが、有事を想定外のまま迎えてしまえば、それは国民の不幸と云わざるを得ません、こうした視点から国会へ代表者を送る際にもう少し主権者も考える必要は、あるのかもしれませんね。
北大路機関:はるな くらま
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明日安全保障関連法制が施行されます。そこで今夜は、防衛論議の総論からこの安全保障関連法制を考えてみる事としましょう。

我が国安全保障は、法的に今後友好国同盟国との防衛協力を強化すると共に自国民の安全や、我が国への武力紛争の重大な影響が表面化するまで打つ手なしという現行法に基づく防衛基盤が大きく転換されると共に、1992年より継続的に実施されています国際平和維持活動協力任務への参画も、責任を持つ立場として関与する事が可能となります。

安全保障関連法制は小泉内閣時代の有事法制に続いて画定されるべきものでしたが、遅延し漸く画定に至りました。国会討議では総論討議を無視し各論を先に論じ揚げ足取りの様相を呈した事で解釈次第の部分もあり、いろいろと細分化し討議しますと、議論の余地はありますが、現行法のままと新法施行下では防衛上どちらが現実に即しているか、と問われるならば次善策は新法施行後と現行法下において前者の方が妥当といえるものといえるでしょう。

本土決戦主義か国民保護優先主義か、私がこの安全保障関連法制に関する討議において最も議論されるべきで、しかし意図的か錯誤の末か無視された部分は、この命題です。専守防衛から周辺地域や全地球規模で我が国へ影響を及ぼす事態に対し、予防外交と抑止力として関与できる体制へ参画する事が可能となるのが今回の安全保障関連法制の一つの目的です。しかし、現行憲法では専守防衛、これも防衛力を大きく制限し、認められる防衛政策が限られている、というものでした。

専守防衛とは、本土決戦まで軍事的に打つ手を打たない、というものにほかなりません。敵が国土を蹂躙して初めて自衛戦闘を開始する、というものですので、言い換えれば第一撃を甘んじて受け入れる姿勢です、第一撃の打撃はわが国土と同胞に対して叩きつけられ、ここで失われる人命を以て国土に限定し国内で防備行動をとるというものです。攻撃を行う国からは、文字通り日本国土以外に特に自国に被害が出ないという前提で日本に対する攻撃を展開できるもの、ともいえます。

このあたり、国民的に専守防衛の国民に強いる犠牲を理解しているのか、総論として与党と野党は討議すべきでした。平和主義の美名に自らと家族が殉死する覚悟を以て専守防衛とこれを定めた平和憲法を支持するのか、単に、考えないようにしているだけなのか、と。更に、専守防衛として国土戦を考えるならば、全土要塞化、とまではいかずとも主要な防衛設備等の工事に無着手であり、文民保護は法制以外の施設面での担保も為されていません。

海外で戦争をさせる国にさせない、とは、戦争とは日本国内で迎え撃つもの、という意味でもあり、国際の平和と安全への関与は無視し、一方、徴兵制が敷かれず防衛は公務員の専業という我が国の施策では、有事の際、日本本土に着上陸を受ければ、持てる全ての財産を鞄に詰め込み自家用車の燃料が続く限り島国の国土を可能な限り逃げ回る事しか選択肢がない、というかたちでもあります。

専守防衛本土決戦という、他国に脅威を与えないという防衛政策を堅持するならば、防衛を自国民の手により一致協力して対応する社会制度、徴兵制とも言いますが、必要となります、これが現実的ではないとして法整備を進めた与党、議論を棚上げし無視する野党、という構図、になる。元々、徴兵制とは近世国民国家形成の時代、国防を特権階級だけに委ねる事は出来ない、として市民の要求で形成された市民軍からでした。

他方で、専守防衛か、国際の平和と安全への関与か、という命題ですが、そもそも専守防衛を掲げる割には自国防衛に対して日本の努力は少なすぎるのではないか、という視点は永らく同盟国アメリカより為されてきました。我が国の防衛努力は一定水準ではある、と言いますか、専守防衛という危険な本土決戦主義を国民が了解している覚悟も、国民の有事の負担、という意味からは大きなものと考えるのですが、他にも。

日本は専守防衛を掲げるならば、有事の際、同盟国が軍事的な協力へ遅延する状況下、国連安全保障理事会が必要な措置を撮るまでの間に受容される自衛権の行使、そもそも国連憲章では必要な措置を撮るとは示されていてもその必要な措置が充分な措置であるかは言及されていないものなのですが、そこまで自国一国で防衛戦闘を展開し国民経済を維持し、その生命財産を保護できるに充分な防衛力を一国で構築できるのか、という総論も今回の法整備の討議に際し与野党において議論されるべきでした。

一国での国防、日本は国内総生産で世界第三位と一億以上の人口を有しています、工業生産能力は先端工業から造船能力まで幅広く国際金融への影響度も非常に大きいですので、覚悟を以て防衛政策に取り組み、その上で外交能力を巧みに駆使すれば、専守防衛は不可能ではありません。国土防衛へ私は、5個広域師団と戦車師団に水陸機動師団、八八艦隊とF-35B固定翼艦載機、4個大型航空団と戦闘機分散運用基盤、と提示していますが、この水準に米軍の有事の際の増援へ威力と同程度の防衛力を整備すればいい、ということ。

アメリカは極東地域へ、空挺師団と軽歩兵師団及び重師団、航空母艦2隻、空軍戦闘機350機程度の増援を基本的に想定している、と考えられますので、これまでに提示しました編成では広域師団に換算し4個広域師団の増設、八八艦隊の更なる1個艦隊の増設、大型航空団4個の増設、という規模の増強、非常に厳しいのですが、その上で一国で弾道ミサイル防衛網を早期警戒システムから構築するか、若しくは核攻撃を抑止できる強力な戦力を構築するか、という議論も必要です。

国民が一致して臨むならば全く不可能な水準ではありません、現役兵力での負担が大きいのであれば、即応予備自衛官としてこれだけの規模を増勢する事でも対処出来るでしょうが、その覚悟はあるのか、議論すべきものです。他方、専守防衛に拘り過ぎ、一国防衛主義を強調する事は諸外国に対し、膨大な軍事力を国際協調に関与させる公共性を持たない、という意思の背景を説明する必要も出てきます、なによりも、日本ほどの国力を持つ国が専守防衛として国際の平和と安全へ距離を置こうとする事例は他国にはありません。

そしてもう一つ、安全保障関連法制討議において国会は勿論、国民全体で議論する総論として、憲法上禁止されている為集団的自衛権は不可能、という意味合いについてです。この論調、憲法に反するのだから禁止だ、ということは、憲法改正により仮に武力紛争への積極関与が国民投票で可決された場合、憲法で認められるのだから最大限展開すべき、という、自らの価値判断を余りに憲法に委ねているのではないか、というもの。

各論から討議する事は、身近といいますか判断しやすいと共に意見を出しやすい部分がありますが、総論から議論しなければ問題領域の共有が出来ず、議論に必要な共有知の理解も不可能です。すると、議論の次元が噛み合わないまま、形而的討議に留まり、本質的な議論まで進みません。しかし、総論の議論は、以上の通り、与党の国際の平和と安全への関与重視に反論する際、本土決戦主義を掲げては野党は支持を得られません、故に総論を議論しない、と。

与党の集団的自衛権により国際の協調下で平和を維持する、この施策に野党が現実的に反論するとすれば一大軍拡の実施、としか反論できずこの場合旗色が悪くなるため議論を逸らします。憲法で禁じられているから反対だ、というならば野党は二つの選択肢で反論でき、憲法改正を掲げるか平和主義の方が国民生命財産よりも重い、とするしかなりませんが、支持を得られる見通しがなくやはり議論から逃避しているようにしか理解できません。

もちろん、議論を逃避できるだけ逃避する、という選択肢は、少々不安な印象はあるものの、無いわけではありません。例えば、小泉内閣時代に制定された有事法制、武力攻撃事態法や国民保護法なども、制定以前の政府見解は、有事まで議論しない、有事の際に政府が国会へ一括上程し最小限の議論で国会の数の優位を活かして即座に成立させる、という説明が為されていました。

これでは有事の際に急に有事法制が議論を経ず緊急成立させるという、逆に国会が機能を果たせない危惧を私は感じますが、平時の時間があるときには議論をしない、という与野党の特に野党の黙示的合意があったわけです。従って、有事の際に与党に全権委任して国会を通す、という施策、成立以前の作戦運用や協力体制構築は超法規に近いものとなりますが、敢えてその危険を容認する、という選択肢も、選ぶことは出来たでしょう。

安全保障関連法制明日施行、という節目の日にちを迎えました。しかし、防衛議論は専守防衛と国際の平和と安全という総論討議が必要であり、これを欠いて各論だけを討議しますと、結局全体を議論する事は出来ませんし、此処の結論が全体の合意を阻害する相互干渉影響も生じてしまいます。それを敢えて野党が避けている背景には、総論では野党各党の合意形成が難しく、兎に角与党に反対、という部分でしか合意できなかった背景があるのでしょう。しかし、総論討議は逃避する事は現時点では可能ですが、有事を想定外のまま迎えてしまえば、それは国民の不幸と云わざるを得ません、こうした視点から国会へ代表者を送る際にもう少し主権者も考える必要は、あるのかもしれませんね。
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