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吉田城(豊橋城) -YOSHIDA CASTLE- 後堅固な東三河の要衝

2008-11-04 22:51:58 | 旅行記

◆吉田城探訪

 パノラマカー白帯車復活記念号を撮影したのち、豊橋祭(10月19日)へ足を運んだ。本日は、その際に撮影した豊橋の吉田城を特集したい。

Img_4852  吉田城は、静岡県と愛知県の県境にある愛知県豊橋市の城郭である。ここには、東三河地方の要衝として1505年、今橋城が造営された。そして1590年、池田輝政の領地となり、吉田城と改め、15万2000石の城郭として拡大するとともに、城下町の建設を行った。これが、今日の豊橋市に至る街の始まりだ。

Img_4903  豊橋へは、JR東海道新幹線と東海道本線、そして名鉄本線の豊橋駅にて足を運ぶことができる。駅から吉田城へは、路面電車の利用が便利だ。豊橋市は、名鉄岐阜市内線や名古屋市電などの電車の譲渡を受け、いまも便利な路線を維持しており、実は豊橋に足を運んだ目的も豊橋祭の花電車撮影が目的だったりする。

Img_4695  豊橋公会堂前をゆく路面電車。公会堂の向こうには豊橋市役所がみえる。そして隣にあるのが吉田城。市役所前駅、もしくは豊橋公園前駅で降車が便利だが、小生一行は路面電車を撮影するべく徒歩で移動、撮影しつつ、豊橋駅からおおよそ20分ほどで到着。普通に歩けば15分ほどで到着する距離だろうか。

Img_4856  吉田城は、池田輝政により拡大の改修が行われることとなったが、当の池田氏が姫路に移ったため、その改修は江戸時代、三河吉田藩に任されたものの、石高の小さい譜代大名であったことも関係し、完成せずに今日にいたる。ちなみに池田氏は姫路城の改修に手腕をふるったことで知られている。

Img_4861  写真は、再建櫓である“鉄櫓”。明治維新当時は四つの櫓と、堀の外に大名屋敷を有する城郭を残していたが、旧軍に移管したのち、失火により建物の大半が焼けてしまい、今日に至る。しかし、この城址一帯は豊橋公園として整備されており、写真の豊橋祭をはじめ、多くの市民に憩いの場として親しまれている。

Img_4867  東三河に至る要衝にある、この吉田城は、戦国時代には今川氏、武田氏、徳川氏の攻防を繰り返した場所でもあり、本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸を配置、城郭の後ろには防御戦の際に自然障害の役割を果たす豊川が流れており、この地理を利用し、いわゆる後堅固な半輪郭式の城郭構造となっている。

Img_4739  石垣は、花崗岩でできており、吉田城全体を巡らせるという構想はあったものの、実際には財政上の理由から実現せず、土塁と石垣を組み合わせて使われている。

 吉田城は、城郭こそ決して大きくはないものの、城下町として発展した豊橋市のシンボルとして、市民に親しまれ、今日に至っている。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文および写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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