1997年冬シーズンに全11話が放映された、フジテレビ系列・火曜夜9時枠の連続ドラマ。
お台場にある湾岸警察署・刑事課強行犯係の新任刑事=青島俊作(織田裕二)の活躍と成長を縦軸にしながら、警察組織の業務形態や実情をリアルに、そしてコミカルに描いた、刑事ドラマというより「警察ドラマ」のパイオニア的作品です。
スタート時のレギュラーキャストは他に、青島と対立しながら友情を育んでいく本庁捜査一課の管理官=室井慎次に柳葉敏郎、湾岸署刑事課盗犯係刑事=恩田すみれに深津絵里、強行犯係の若きエリート=真下正義にユースケ・サンタマリア、定年間近のベテラン=和久巡査長にいかりや長介、魚住係長に佐戸井けん太、袴田課長に小野武彦、秋山副署長に斉藤 暁、神田署長に北村総一朗、そして事件関係者から湾岸署交通課婦警になり、やがて真下と結婚することになる第2ヒロイン=柏木雪乃に水野美紀。
さらにスペシャルドラマや劇場版シリーズで筧 利夫、内田有紀、真矢みき、寺島 進、小泉孝太郎、伊藤淳史、小栗 旬といった新メンバーが加わっていきます。
TVシリーズはそれほど高視聴率でなかったにも関わらず、その斬新さと面白さがクチコミや再放送で世間に広まり、絶妙なタイミングで公開された劇場版の大ヒット(『相棒』もそうでした)により、『太陽にほえろ!』を凌駕しかねないほどメジャーなタイトルになりました。
2012年まで劇場版が4本、TVスペシャルが3本のほか、脇キャラを主役にしたスピンオフの劇場版が2本、TVスペシャルが3本、更に短編ドラマや携帯配信ドラマなど、もはや把握しきれない程の副産物も生まれました。
ですが、私が本当に「素晴らしい」と思ってるのは、最初のTVシリーズ全11話のみです。劇場版はどれも残念な出来だと思うし、今じゃ可愛さ余って憎さ100倍で、最も嫌いな刑事物になっちゃいました。
その「素晴らしい」TVシリーズでさえ、今あらためて観直したら嫌悪感を覚えるかも知れません。だから再放送はあえて観ないようにしてます。
私がなぜ、最初のTVシリーズに胸躍り、もしかしたら『太陽にほえろ!』を超える番組になるかも……とまで思ったのか? なのになぜ、映画化されて以降は虫酸が走るほど嫌いになっちゃったのか?
その答えは、脚本の君塚良一さんが書かれた『テレビ大捜査線』というエッセイ本を読んで明確になりました。『踊る大捜査線』というドラマがどんな過程を経て生まれたのか? そこに全ての答えがあったんですね。
まず、最初から決まってたのは織田裕二が主演であること。織田さんは直前までラブストーリーの連ドラに主演しており、次は全く違った内容のドラマをやりたがってた。そして君塚さんもプロデューサーの亀山千広さんも、いつか刑事物にチャレンジしたいと思ってた。
そんなワケで君塚さんは、かつて視聴者として夢中になった『太陽にほえろ!』の脚本集を引っ張り出して、徹底的に研究されたんだそうです。
その結果『太陽~』が当時としては画期的な実験作であった事、そして現在ある刑事ドラマは全て『太陽~』のバリエーションでしかない事に気づくワケです。
それを嬉しそうに報告する君塚さんに対して、亀山Pは冷めた顔をして「じゃあ、それを全部、禁じ手にしちゃいましょう」と言ってのけた。
誰も見た事がない「新しい刑事ドラマ」を生み出すには『太陽~』がやらなかった事をやるしか無い。その辺りの嗅覚と判断力は、さすが名うてのヒットメーカーと言えましょう。
そこで君塚さんが自らに課したタブーは「刑事をニックネームで呼ぶ」「聞き込みシーンを音楽に乗せて見せる」「刑事と犯人の心情がリンクする」「刑事がよく走る」「刑事が殉職する」ほか、銃撃戦やカーチェイス、主役の刑事が犯人を逮捕する事すら禁じ手にしちゃった。(大事件となると捜査もさせてもらえず、本庁のパシリをやらされる所轄の現実)
と同時に、伊丹十三監督の映画『マルサの女』みたいに、それまで描かれて来なかった組織の内部、捜査現場の裏側を、ドキュメンタリーのようにリアルに、そしてハウツー物の楽しみを乗せながらエンターテイメントにしていく手法を思いつかれたそうです。
この時点で既に、私が『踊る大捜査線』を大好きになる理由と、大嫌いになる理由が、両方ハッキリと示されてます。要するに、君塚さんと亀山Pの温度差ですよね。
君塚さんには『太陽にほえろ!』が大好きだったという下地があり、大いにリスペクトした上で、それをタブーにするというチャレンジをされたワケです。
一方の亀山Pには『太陽~』への思い入れなど毛頭無くて、とにかく番組を当てる事しか頭に無い。それはまあ、プロデューサーとして当然の姿勢なんだろうと思います。
だけど、少なくともTVシリーズを立ち上げる時点では、両者が「全く新しい刑事ドラマを創る」っていうクリエイティブな志を共有されてた事が、君塚さんのエッセイからは伝わって来ます。何しろお互い「これはカルトになるね」「視聴率は取れないよね」って、そんな会話まで交わしてたんだそうです。だからTVシリーズは面白かったんですよ!
実際、私も初めてTVシリーズを観た時は、久々に衝撃を受けたもんです。最初の2回は見逃したんだけど、評判を聞いて観た第3話の冒頭、発見された死体の位置(ほんの数メートル)を巡って、他署の刑事たちと縄張り争いするシーン。
実はずっと以前に『太陽~』の後番組『ジャングル』でも似たような場面があったんだけど、その時には感じなかった新鮮さと面白さを『踊る~』には感じて、一気に引き込まれた記憶があります。
そこんところが、君塚さんの仰る「エンターテイメントにしていく手法」による効能だったのかも知れません。リアル志向は『ジャングル』も『踊る大捜査線』も一緒なのに、後者は見せ方が斬新でユニークだったんだろうと思います。
それと、これは『ジャングル』の記事にも書きましたけど、正統な続編である『ジャングル』よりも、他局の新世代スタッフたちが創った番組『踊る大捜査線』の方が、基本スピリットは『太陽にほえろ!』に近いんですよね。
『ジャングル』を創ったのは15年間も『太陽~』に携わって来たチームですから、また刑事物をやるなら根本から違うものをやりたかった筈です。対して『踊る大捜査線』チームは『太陽~』を観て育った世代ですから、アプローチは真逆でも根本的には『太陽~』に憧れ、自分たちの『太陽~』を創りたかったに違いありません。少なくとも君塚さんはそうでしょう。
だから、私がハマらないワケが無いんです。基本スピリットは『太陽にほえろ!』と同じなのに、全く新しい手法による刑事ドラマ。『太陽~』が終了して以来ずっと求めてた作品が、ついに現れたんだから。
ところが!『踊る大捜査線』は変わってしまった。劇場版1作目を観た時に、私は「何かが違う」って感じながらも、具体的に何が変わったのか答えを出せませんでした。
さらに劇場版2作目を観て、その戸惑いは怒りに変わって行ったんです。もう明らかに「つまんない」ものになってるのに、なんと日本映画史上ナンバー1の大ヒットを記録しちゃったもんだから、私の怒りは世の中全体にまで向くようになり、いつの間にか「破滅です」が口癖になっちゃったw
いったい『踊る大捜査線』の何が変わってしまったのか? その答えが、君塚さんのエッセイに記されてたんですよね。私はホント、目からウロコが落ちました。
事件は、TVシリーズがいよいよ最終回に向けて盛り上がろうとしてる時に、それこそ会議室で起こったんです。
「最終回の視聴率が20%を超えたら、映画化の許可が下りる」
亀山Pのこの言葉が、全てを変えてしまった。いや、亀山Pの中じゃ最初から何も変わってないのかも知れないけど、番組の方向性はここで180度変わってしまったんです。
君塚さんが最初に「禁じ手」とした筈の、『太陽にほえろ!』最大の武器とも言える「レギュラー刑事の殉職」っていうカードを、視聴率20%以上を稼ぐ為に、ここで使ってしまったワケです。それを今は後悔してるって、君塚さんは正直に書かれてました。
カルト扱いされてもいいから、全く新しい刑事ドラマを創ろう!っていうクリエイティブな心意気が、亀山Pの持ち込んだ「映画化」という甘い蜜によって、脆くも崩れ落ちたワケです。
ユースケ・サンタマリア扮する若手キャリアの真下刑事が凶弾に倒れ、その犯人検挙に燃える主人公=青島刑事たちが、この番組で初めて拳銃を手にするシーンには正直、私も燃えましたw ていうかメチャクチャ嬉しかったです。
だって、それはまさに『太陽にほえろ!』そのものなんだから。だけど今にして思えば、それこそ『踊る~』が『踊る~』でなくなっちゃった瞬間なんですよね。
結局真下は死ななかったんだけど、劇場版1作目では青島の殉職を匂わせ、2作目ではヒロイン=恩田刑事(深津絵里)の殉職を匂わせ、完結編でまたもや青島の殉職を匂わせるというw、もうそこにはクリエイティブな志しはカケラも残ってません。プライドも無く、ただひたすら商売あるのみ!
殉職うんぬんは置いといても、恐らく君塚さんが『踊る大捜査線』でやりたかった事、生み出したかった事は、最初のTVシリーズで全部やり尽くしたんだろうと思います。だから劇場版以降はもう「出がらし」であり「同じことの繰り返し」にしかなってない。
そんなワケで、素晴らしいのは最初のTVシリーズだけなんです。TVシリーズは脚本のみならず、キャスティングも音楽も素晴らしかった。深津絵里さんも水野美紀さんも大好きですw
織田裕二さんも良かったですよ。最高の当たり役である事に変わりはないと思います。ユースケさんも良かった。いかりや長介さんと柳葉敏郎さんの芝居は、ちょっとクサかったw
もう1つ『踊る大捜査線』が斬新だったのは、警察組織の縦割り社会を一般企業以上にサラリーマン的と捉え、湾岸警察署という場所をごく普通の会社みたいに描いたこと。
そして警察上層部を、アニメの『エヴァンゲリオン』みたいにダークかつ無機質な連中として描いたのもユニークで、これ以降の番組はこぞって真似しましたよね。
『踊る大捜査線』が同じ話を繰り返すループ状態になった事で、青島刑事の成長ドラマはフリーズしてしまい、組織内部のゴタゴタばかり描くようになったのも、刑事ドラマ全体の流れを変えてしまった気がします。
つまり『太陽にほえろ!』が築いた本当の意味での「刑事ドラマ」ってジャンルを、いよいよ絶滅させちゃったのも『踊る大捜査線』だった。『踊る~』以降の刑事ドラマは、刑事(人間)ではなく警察(組織)が主役の「職業ドラマ」。
しばらくそのブームが続くんだけど、『相棒』がヒットして以降の刑事ドラマは「捜査」「謎解き」が主役になっていきます。それって『太陽にほえろ!』がテレビ界に登場する以前の形なんですよね。
つまり原点は「捜査(事件)ドラマ」で、『太陽~』以降が「刑事(人間)ドラマ」、『踊る~』以降が「警察(職業)ドラマ」で、『相棒』から再び「捜査(事件)ドラマ」に戻ってる。
時代は巡りますから、この次はまた「刑事(人間)ドラマ」の時代が再来するのかも知れません。現に『隠蔽捜査』や『BORDER』みたいに、事件よりも主人公のキャラクター(葛藤と成長)描写に力を入れた作品も出て来ましたからね。
もしかすると、そろそろ『太陽にほえろ!』や『踊る大捜査線』並みの起爆剤になる刑事ドラマが、また現れる時期なのかも知れません。現れて欲しいです。現れてくれないと、ほんとヤバいですよ、このジャンルは。
以後全く関知しなくなりました。
ムーミン
変にヒットし過ぎて大予算を背負っちゃった時点で本来の『踊る~』ではいられなくなった。それはもう仕方のない事なんだけど、TVシリーズだけで終わっていれば伝説になったのに、と思うと残念ですね。