源氏物語と共に

源氏物語関連

冬の夜の月と春秋論

2008-01-31 10:56:44 | 音楽
冬の夜の月は、人に違(たが)ひてめで給ふ御心なれば、
おもしろき雪の光に、をりに合ひたる手どもを弾き給ひつつ、
さぶらふ人々も、すこしこのかたにほのめきたるに、
御琴どもとりどりに弾かせ給ふ。          (若菜下)


女三宮にきんの琴を教える源氏は師走の雪の時節に琴を弾く。
そして琴(こと)にすぐれた女房達に琴の合奏をさせる。
それを師走で正月準備に忙しい紫の上は聞けない事を残念に思い、
春に女三宮の琴をきいてみたいと思うのであった。


玉上氏の解説に、枕草子では、
『すざましきもの、おうなのけさう、しはすの月夜』 とあり、
普通は冬の月は愛でないようだ。


光源氏が冬の月が好きという記述は朝顔の巻にも見られる。


『時々につけても、人の心をうつすめる花紅葉の盛りよりも、
冬の夜のすめる月に雪の光あひたる空こそ、あやしう色なきものの身にしみて、
この世のほかの事まで思ひ流され、面白さもあはれさも残らぬ折なれ。
すさまじき例(ためし)に言ひけむ人の心浅さよとて、御簾巻きあげさせ給ふ。


月は隈(くま)なくさし出でて、ひとつ色に見え渡されたるに、
しをれたる前栽のかげ心苦しう、
やり水もいといたうむせびて、池の氷もえもいはずすごきに、
童女(わらはべ)おろして、雪まぼろしさせ給ふ』  (朝顔)


この<すさまじき例に言ひけむ人の心浅さよ>のくだりは、
清少納言の<すさまじきもの>を意識しているのだろうか?
一般論として言ったのかもしれないが、面白いと思った。


須磨の巻でも冬の雪のシーンに源氏はきんの琴(こと)を弾いている。
『冬になりて雪ふりあれたる頃、空のけしきもことにすごくながめ給ひて琴(きん)を
弾きすさび給ひて良清にうたわせ、大輔横笛吹きて遊び給ふ
心とどめてあはれなる手など弾き給へるに、こともの声どもはやめて涙をもごひあへり。
・・略・・月いとあかうさし入りて、はかなき旅の御産所は奥までくまなし。』(須磨)


須磨というと、どうしても冒頭の名文
「須磨にはいとど心尽くしの秋風に・・」が有名であるが、
しっかり冬の場面も描かれていたのは面白い。
ここは、なかなかあわれをさそう場面であり、
伊勢物語の在原業平の都鳥のくだりを思い出す場面でもある。


個人的には、私も冬の月は冴えざえと澄みきった感じがして素晴らしいと思う。


若菜下で夕霧との音楽の春秋論


『夜ふけゆくけはひ冷ややかなり。臥し待の月ははつかにさし出でたる、
心もとなしや、春の朧月夜よ。秋のあはれはたかうやうなるものの音に、
虫の声より合わせたる、ただならず、こよなく響き添ふここちすかしとのたまへば、


大将の君、
秋の夜の隈(くま)なき月にはよろづのものとどこほりなきに、
琴笛(ふえこと)の音にも、あきらかに澄めるここちはしはべれど、
なほことさらに作りあはせたるやうなる空のけしき、花の露も、いろいろ目うつろひ心散りて限りこそはべれ。
春のたどたどしき霞(かすみ)の間より、
おぼろなる月影に、静かに吹き合わせたるやうにはいかでか。
笛の音なども艶(えん)に澄みのぼり果てずなむ。
女は春をあはれぶと、古き人の言ひ置きはべりける、げにさなむはべりける。
なつかしくもののととのほることでは、春の夕暮れこそことにはべれ


いな、この定めよ。いにしへより人のわきかねたることを
末の世に下れる人のえあきらめ果つあじくこそ。
ものの調べ、曲(ごく)のものどもはしも。
げに律をば次のものにしたるはさもありかし。』   (若菜下)


夕霧は秋の月に琴笛の音は澄んだ心地がするが、わざわざこしらえたような空のけしき、
秋草の花の露にも目移りがして限りがある、
春のぼんやりした霞の間より朧にみえる月影に静かに笛を吹き合わせる趣にはかないません。女は春をいつくしむと<女感陽気春、思男。男感陰気、秋、思女 「毛詩」>
古人がいったのは確かにそうだと思います。
なつかしくものがしっくりするのは、春の夕暮れこそでしょうと春に味方をする。


しかし、源氏はこの春秋論は昔の人でさえも判断しかねた事を
劣った末世のものが結論を出すのは難しいだろうと、やや留保をつけた意見をする。


春秋論についてはご承知の通り、
万葉集の時代から額田王などの歌でも盛んに論じられているので、
紫式部も断言を避けたという事であろう。


音楽会というと何となく秋が多いような気もするが、
源氏物語で春と秋、どちらに琴が使われているか多いか調べるのも面白いかもしれない。


ちなみに源氏物語図典によると、
雅楽の音階には律施(りっせん)音階と
呂施(りょせん)音階の2種類があり、呂は中国の正楽の音階、律は俗楽の音階で、
それぞれが日本化したが、鎌倉以後はほとんどが律施(りっせん)になるとの事
「河海抄」によると、呂は春の調べ、律は秋の調べとあり、
呂は男の声、律は女の声なり。陰陽又これに同じ「竜鳴抄」と感覚的に把握されたようだ。


また調子(音階)には雅楽の唐楽では6調子がある。
すなわち壱越(いちこつ)調・双調・大食(たいしき)調、
平調・黄鐘(おうしき)調・盤渉(ばんしき)調で、


双調が春、平調が秋、黄鐘調が夏、盤渉調が冬の調子とされたとの事。


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古典文学植物誌 

2008-01-28 10:05:22 | 関連本
先日、本屋さんで「知っ得 古典文学植物誌」学燈社 
という本を見つけたので購入しました。


源氏物語の用例は少ないのですが、万葉集等の用例もあり参考にしたいと思います^^


源氏物語に関する植物の本は少ないようです。


松田修「源氏物語の花」は植物図があるので、図書館で借りています。
この本は見つからないので、いつかは手に入れたいと思っています。


1000年も昔の植物は今の姿と違うかもしれません。
それでも名前が残っていると当時がしのばれて嬉しいです\(~o~)/


来年は源氏物語1000年紀という事で色々講座も開かれます。
(1008年11月という表記があるそうです)
自分の出来る範囲で参加したいと思っています。
千年紀実行委員会http://www.2008genji.jp/


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芸術新潮

2008-01-28 08:58:02 | 関連本

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芸術新潮2月号に源氏物語絵巻全56面一挙掲載という広告を見て早速購入してみた。
http://www.shinchosha.co.jp/geishin/
源氏物語千年紀という事で三田村雅子氏の詳しい解説つき。


国宝絵巻の説明という事も非常に感慨深い。
絵師が源氏物語の内容にそって、その場面の構図や風景・几帳など、
細部にわたってその心を表しているという点が面白い。


また、その後の鎌倉時代、南北朝時代、江戸時代に如何に源氏物語が愛され、
画帖、屏風などが作られたという解説もとても良かった。


伝狩野派の絵や江戸時代の白描源氏物語絵巻、江戸時代の大名嫁入り道具としての
源氏物語が見られるのも見事である。


源氏物語を好きになると様々な本が欲しくなる。
漫画から解説書など、高価なものから手頃のものまで、
本当にきりがなくて困ってしまう。
それが難点ゆえ、ほどほどにしたい。


漫画の「あさきゆめみし」は原文と解釈が違っているものの、
わかりやすくて、感動する内容。


(芸術新潮より掲載)
京都細見美術館では春季特別展で源氏絵が展示される。
http://www.emuseum.or.jp/exhibition/index.html


五島美術館では、春の優品展特に4月29日~5月6日まで国宝の鈴虫・夕霧・御法の絵・詞書を展示。
http://www.gotoh-museum.or.jp/tenrankai/index.html


また徳川美術館でも
国宝の橋姫・宿木が11月22日~30日まで展示されるようだ(今は休館中)


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横笛

2008-01-25 08:54:42 | 音楽

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『笛竹にふきよる風のことならば、末の世ながきねに伝へなむ』


    思ふかた異(こと)に侍りき            (横笛)


夕霧が柏木の未亡人落葉宮から遺品の横笛を渡され家にもどると、
夢に柏木が現れ、その笛は夕霧にではなく違う所・自分の子供に伝えたいという。


夕霧は、柏木が亡くなる前に見舞った折り、
しきりに光源氏にとりなしてほしいといった事から、
柏木と光源氏の間に何かあった事を感じていたが、もしかして・・と思う。


光源氏の所に行って明石女御の皇子達と一緒にいる薫をあらためてじっくり見ると、
やはり目元のあたりが柏木に似ていると思った。


この夢の話を光源氏にすると、光源氏はその笛を預かるという。
しかもその様子はこちらも遠慮するような感じだったので、
内容が内容だけに、強くも聞けずそのまま源氏も上手に話を切り上げてしまった。


横笛というキーワードを使って薫の出生の秘密を示しているのはご承知の通りである。


しかも後に宇治十帖で、宇治の八宮に、
対岸の川岸から聞こえてくる薫の笛の音を、
昔に聞いた六条院(光源氏)の笛の音ではなく、
故到仕のおとど(頭中将)一族の音に似ているといわせている。


『笛をいとをかしうも吹きとほしたなるかな。たれならむ。
昔の、六条の院の御笛の音聞きしは、
いとをかしげに愛敬づきたる音にこそ吹き給ひしか。
これは澄みのぼりてことごとしき気の添ひたるは、
故到仕のおとどの御族の音にこそ、似たなれ などひとりごちおはす 』(橋姫)


音でその一族を表す手法は薫の和琴にも表わされている。


玉鬘は故到仕のおとど(頭の中将)に琴の音が似ているという薫に和琴をすすめるが、
むしろ、姿形も不思議に兄故大納言(柏木)に大変似ていて、
和琴の音もまさしく柏木の音だと思うのである。


『故到仕のおとどに御つまおとになむ、かよひ給へると、聞きわたるを、
まめやかにゆかしうなむ・・略・・
おほかたこの君は、あやしう故大納言の御ありさまに、いとようおぼえ、
琴のねなど、ただそれとこそおぼえつれと泣き給ふも古めい給ふしるしの、
涙もろさにや』(竹河)


なかなか趣が深い。


姿形だけでなく、音楽の音色も似ているというあたりは
非常に式部が音楽観賞に優れていた所を感じさせ、
また薫の出生の秘密を表わす間接的な手法といってもよいだろう。


ちなみに、源氏物語図典によると、笛は管弦器の総称。
横笛・高麗笛・笙・神楽笛・ひちりき・尺八などがある。
雅楽の「三菅」は笙・ひちりき・横笛をいう。
主に高麗笛は催馬楽に使用。普通に笛というのは横笛。
「笛竹」は歌語。


「源氏物語六条院の生活」青幻舎によると、
横笛はおうてきともいい、
雅楽の横笛には、神楽(かぐら)笛・龍笛(りゅうてき)・高麗笛(こまぶえ)の三種があるが、
とくに唐楽に用いる龍笛を横笛(おうてき)というそうだ。
指穴は7孔。<葉二つ><小枝><か亭>という名器が伝えられた。


ひちりきは洋楽器のオーボエと同様にダブルリードの楽器で、
横笛と同様に旋律を演奏する。表7孔、裏に2孔ある縦笛。
音域は狭いが吹き方により音高を変える事ができるそうだ。


笙は吹き口がついた頭に17本の長短の竹管を立て
銀の帯で束ねた楽器。息をフィ着込み。小穴を押さえる事で同時に複数の竹管の
音を鳴らす。吹いても吸っても音が出る。
朗詠・催馬楽の時は単音だが、楽曲の時は
篳篥や横笛の旋律に対して、和音を演奏との事。


画像は「源氏物語六条院の生活」より


最近は東儀秀樹氏の雅楽演奏が有名。
http://www.universal-music.co.jp/classics/artist/hideki_togi/profile.html


バンコクでの演奏



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浅緑

2008-01-24 10:46:50 | 
御しとねのすこしまよひたるつまより、
浅緑(あさみどり)の薄様なる文のおし巻きたる端(はし)みゆるを、
何心もなく引き出でてご覧ずるに、男の手なり     (若菜下)


柏木の文を見つけて女三宮との関係を光源氏が知る場面である。


浅緑とはミントグリーンとあったが、
この時代は、けむるような霞がかった少しくすみのある色のようだ。
色いろいろ
http://www.geocities.jp/y_ayatsuji/step3/some/iro1-a.html


延喜式によると
緑色は藍(あい)という青色に
刈安(かりやす)や黄檗(きはだ)などの黄色染料を使用して色を出す。
しかし、自然染色は茶色に退色しやすい。


唯一自然顔料として、緑青(ろくしょう)という銅の化合物顔料が
そのままの緑色として絵などに使用された。国宝源氏物語絵巻にも使用されている。


平安時代は、藍と黄色をかけて緑をあらわした事から、
青色といえども、少し緑がかった色にとらえているそうだ。
したがって青色は緑色をさす場合もある。
青鈍(あおにび)色は、現在の青色よりも少し緑がかった鈍色になる。
         
     吉岡幸雄「日本の色辞典」より


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