源氏物語と共に

源氏物語関連

薫の琴・笛の音

2008-06-30 11:50:07 | 音楽

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源氏物語後半の主役、薫の設定については不思議に思います。


本当は光源氏の子供ではないのに、
源氏直系の匂宮より優れた感じがするのはどうしてでしょう。


優美な所が光源氏に似ていると皆に思わせたりしています(竹河)


たしか祖父・頭中将(故到仕大臣)は華やかだけれども優美な所がないと表現されていたはず。
そして源氏にも自分にも似ているなどと思わせたくだりがあったと思います。


そんな薫ですが、竹河では柏木の息子であるとはっきり描かれます。


竹河の巻では出だしから急に
「わる御達」が
「・・源氏の御末々に、ひがことどものまじりて聞こゆるは、われよりも年の数積り
ほけたりける人のひがことにや」と、薫の血筋について描きだします。
(御達とは女房達の事。悪い女房達ということでしょうか)


紫式部は草子文でよく、
年を取って自分がぼけてしまったせいでしょうかなどという言葉で本音を
ぼやかす書き方をしますね。


竹河では薫は玉鬘邸に年賀に行き、その優雅な様子に女房達の人気となってしまいます。
玉鬘の長女大君に心を寄せる夕霧と雲井の雁の息子蔵人の少将も、
薫の前ではその人気に負けてしまいます。


しかし、薫は「まめ人」などと色気のない男に例えられ、
くやしい薫は戯言を言いにふたたび玉鬘邸へに行きます。


そしてそこで玉鬘から和琴を弾くようにすすめられます。


玉鬘は何故か薫の出生の秘密を知りません。
なのに、薫は光源氏ではなく、自分の父である故到仕大臣(頭中将)の御爪音に似ていると世間では評判されているからと、
薫に和琴を弾くようにすすめるのです。


そして薫がさっと弾くのを見て、ずっと一緒に居なかった父だけれど
琴の音によって亡き父を思い出して悲しいと思い、
また薫は亡き兄柏木に有様もよく似て、
琴の音も柏木の音そのものといわせて涙ぐみます。
この3人は本当は頭中将一家なんですね。


『おおかたこの君はあやしう、故大納言の御ありさまに
いとよう覚え、琴の音など、ただそれとこそおぼえつれ」と古めいたまふしるしの
涙もろさにや。』(竹河)


私はここに大変感動しました。
紫式部は琴という道具を使って感動的な場面を作ったと思います。



ここは短いながらも
紫式部が薫の出生について玉鬘の言葉でもってしみじみと感じさせる所であり、
読者にも秘密をしっかり伝えている感じがします。


どうして国宝源氏物語絵巻<竹河>にこの場面が伝わらなかったのか不思議に思います。


また、「椎本」の巻では宇治の八の宮に、
対岸で合奏されている笛の音が
光源氏の音と違って故到仕大臣一族の音に似ているといわせています。



『笛をいとをかしうも吹きとほしたなるかな。誰ならむ。
昔の六条の院の御笛の音聞きしは、
いとをかしげに愛敬づきたる音にこそ吹きたまひしか。
これは澄みのぼりて、ことことしき気の添ひたるは、
ちじの大臣の御族の笛の音にこそ似たなれ』(椎本)


対岸で笛を吹いているのは、まさしく柏木の息子である薫でしょう。


こういう伏線が紫式部のすごい所でしょう。


どなたかが筆跡も似ているとあったといわれたので、
今後も探してみたいと思います。


源氏物語にはこういう発見の楽しみと、しみじみした趣が流れる所が好きです(笑)



さて、お気に入りのブログさんから、寂聴さんの「藤壷」の文庫化を教えてもらいました。
around30の図書目録~女流作家を追いかけて
http://blogs.yahoo.co.jp/mori_haruo_books


この本は昔に聞いてはいたのですが、
当時、源氏物語に興味を失った頃でしたのでパスしていました(笑)
また見つけてみたいと思います。
でも、寂聴さんにはちょっと抵抗感も・・(笑)
小説家として素晴らしい方ではありますが
藤壷と源氏のはじめての一夜描写に戸惑いそうです。汗;


画像は復元された竹河。玉鬘の姫達と女房達の華やかな場面。
ちなみに左の碁を打っている2人が玉鬘の娘大君と中の君です。


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冬の夜の月と春秋論

2008-01-31 10:56:44 | 音楽
冬の夜の月は、人に違(たが)ひてめで給ふ御心なれば、
おもしろき雪の光に、をりに合ひたる手どもを弾き給ひつつ、
さぶらふ人々も、すこしこのかたにほのめきたるに、
御琴どもとりどりに弾かせ給ふ。          (若菜下)


女三宮にきんの琴を教える源氏は師走の雪の時節に琴を弾く。
そして琴(こと)にすぐれた女房達に琴の合奏をさせる。
それを師走で正月準備に忙しい紫の上は聞けない事を残念に思い、
春に女三宮の琴をきいてみたいと思うのであった。


玉上氏の解説に、枕草子では、
『すざましきもの、おうなのけさう、しはすの月夜』 とあり、
普通は冬の月は愛でないようだ。


光源氏が冬の月が好きという記述は朝顔の巻にも見られる。


『時々につけても、人の心をうつすめる花紅葉の盛りよりも、
冬の夜のすめる月に雪の光あひたる空こそ、あやしう色なきものの身にしみて、
この世のほかの事まで思ひ流され、面白さもあはれさも残らぬ折なれ。
すさまじき例(ためし)に言ひけむ人の心浅さよとて、御簾巻きあげさせ給ふ。


月は隈(くま)なくさし出でて、ひとつ色に見え渡されたるに、
しをれたる前栽のかげ心苦しう、
やり水もいといたうむせびて、池の氷もえもいはずすごきに、
童女(わらはべ)おろして、雪まぼろしさせ給ふ』  (朝顔)


この<すさまじき例に言ひけむ人の心浅さよ>のくだりは、
清少納言の<すさまじきもの>を意識しているのだろうか?
一般論として言ったのかもしれないが、面白いと思った。


須磨の巻でも冬の雪のシーンに源氏はきんの琴(こと)を弾いている。
『冬になりて雪ふりあれたる頃、空のけしきもことにすごくながめ給ひて琴(きん)を
弾きすさび給ひて良清にうたわせ、大輔横笛吹きて遊び給ふ
心とどめてあはれなる手など弾き給へるに、こともの声どもはやめて涙をもごひあへり。
・・略・・月いとあかうさし入りて、はかなき旅の御産所は奥までくまなし。』(須磨)


須磨というと、どうしても冒頭の名文
「須磨にはいとど心尽くしの秋風に・・」が有名であるが、
しっかり冬の場面も描かれていたのは面白い。
ここは、なかなかあわれをさそう場面であり、
伊勢物語の在原業平の都鳥のくだりを思い出す場面でもある。


個人的には、私も冬の月は冴えざえと澄みきった感じがして素晴らしいと思う。


若菜下で夕霧との音楽の春秋論


『夜ふけゆくけはひ冷ややかなり。臥し待の月ははつかにさし出でたる、
心もとなしや、春の朧月夜よ。秋のあはれはたかうやうなるものの音に、
虫の声より合わせたる、ただならず、こよなく響き添ふここちすかしとのたまへば、


大将の君、
秋の夜の隈(くま)なき月にはよろづのものとどこほりなきに、
琴笛(ふえこと)の音にも、あきらかに澄めるここちはしはべれど、
なほことさらに作りあはせたるやうなる空のけしき、花の露も、いろいろ目うつろひ心散りて限りこそはべれ。
春のたどたどしき霞(かすみ)の間より、
おぼろなる月影に、静かに吹き合わせたるやうにはいかでか。
笛の音なども艶(えん)に澄みのぼり果てずなむ。
女は春をあはれぶと、古き人の言ひ置きはべりける、げにさなむはべりける。
なつかしくもののととのほることでは、春の夕暮れこそことにはべれ


いな、この定めよ。いにしへより人のわきかねたることを
末の世に下れる人のえあきらめ果つあじくこそ。
ものの調べ、曲(ごく)のものどもはしも。
げに律をば次のものにしたるはさもありかし。』   (若菜下)


夕霧は秋の月に琴笛の音は澄んだ心地がするが、わざわざこしらえたような空のけしき、
秋草の花の露にも目移りがして限りがある、
春のぼんやりした霞の間より朧にみえる月影に静かに笛を吹き合わせる趣にはかないません。女は春をいつくしむと<女感陽気春、思男。男感陰気、秋、思女 「毛詩」>
古人がいったのは確かにそうだと思います。
なつかしくものがしっくりするのは、春の夕暮れこそでしょうと春に味方をする。


しかし、源氏はこの春秋論は昔の人でさえも判断しかねた事を
劣った末世のものが結論を出すのは難しいだろうと、やや留保をつけた意見をする。


春秋論についてはご承知の通り、
万葉集の時代から額田王などの歌でも盛んに論じられているので、
紫式部も断言を避けたという事であろう。


音楽会というと何となく秋が多いような気もするが、
源氏物語で春と秋、どちらに琴が使われているか多いか調べるのも面白いかもしれない。


ちなみに源氏物語図典によると、
雅楽の音階には律施(りっせん)音階と
呂施(りょせん)音階の2種類があり、呂は中国の正楽の音階、律は俗楽の音階で、
それぞれが日本化したが、鎌倉以後はほとんどが律施(りっせん)になるとの事
「河海抄」によると、呂は春の調べ、律は秋の調べとあり、
呂は男の声、律は女の声なり。陰陽又これに同じ「竜鳴抄」と感覚的に把握されたようだ。


また調子(音階)には雅楽の唐楽では6調子がある。
すなわち壱越(いちこつ)調・双調・大食(たいしき)調、
平調・黄鐘(おうしき)調・盤渉(ばんしき)調で、


双調が春、平調が秋、黄鐘調が夏、盤渉調が冬の調子とされたとの事。


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横笛

2008-01-25 08:54:42 | 音楽

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『笛竹にふきよる風のことならば、末の世ながきねに伝へなむ』


    思ふかた異(こと)に侍りき            (横笛)


夕霧が柏木の未亡人落葉宮から遺品の横笛を渡され家にもどると、
夢に柏木が現れ、その笛は夕霧にではなく違う所・自分の子供に伝えたいという。


夕霧は、柏木が亡くなる前に見舞った折り、
しきりに光源氏にとりなしてほしいといった事から、
柏木と光源氏の間に何かあった事を感じていたが、もしかして・・と思う。


光源氏の所に行って明石女御の皇子達と一緒にいる薫をあらためてじっくり見ると、
やはり目元のあたりが柏木に似ていると思った。


この夢の話を光源氏にすると、光源氏はその笛を預かるという。
しかもその様子はこちらも遠慮するような感じだったので、
内容が内容だけに、強くも聞けずそのまま源氏も上手に話を切り上げてしまった。


横笛というキーワードを使って薫の出生の秘密を示しているのはご承知の通りである。


しかも後に宇治十帖で、宇治の八宮に、
対岸の川岸から聞こえてくる薫の笛の音を、
昔に聞いた六条院(光源氏)の笛の音ではなく、
故到仕のおとど(頭中将)一族の音に似ているといわせている。


『笛をいとをかしうも吹きとほしたなるかな。たれならむ。
昔の、六条の院の御笛の音聞きしは、
いとをかしげに愛敬づきたる音にこそ吹き給ひしか。
これは澄みのぼりてことごとしき気の添ひたるは、
故到仕のおとどの御族の音にこそ、似たなれ などひとりごちおはす 』(橋姫)


音でその一族を表す手法は薫の和琴にも表わされている。


玉鬘は故到仕のおとど(頭の中将)に琴の音が似ているという薫に和琴をすすめるが、
むしろ、姿形も不思議に兄故大納言(柏木)に大変似ていて、
和琴の音もまさしく柏木の音だと思うのである。


『故到仕のおとどに御つまおとになむ、かよひ給へると、聞きわたるを、
まめやかにゆかしうなむ・・略・・
おほかたこの君は、あやしう故大納言の御ありさまに、いとようおぼえ、
琴のねなど、ただそれとこそおぼえつれと泣き給ふも古めい給ふしるしの、
涙もろさにや』(竹河)


なかなか趣が深い。


姿形だけでなく、音楽の音色も似ているというあたりは
非常に式部が音楽観賞に優れていた所を感じさせ、
また薫の出生の秘密を表わす間接的な手法といってもよいだろう。


ちなみに、源氏物語図典によると、笛は管弦器の総称。
横笛・高麗笛・笙・神楽笛・ひちりき・尺八などがある。
雅楽の「三菅」は笙・ひちりき・横笛をいう。
主に高麗笛は催馬楽に使用。普通に笛というのは横笛。
「笛竹」は歌語。


「源氏物語六条院の生活」青幻舎によると、
横笛はおうてきともいい、
雅楽の横笛には、神楽(かぐら)笛・龍笛(りゅうてき)・高麗笛(こまぶえ)の三種があるが、
とくに唐楽に用いる龍笛を横笛(おうてき)というそうだ。
指穴は7孔。<葉二つ><小枝><か亭>という名器が伝えられた。


ひちりきは洋楽器のオーボエと同様にダブルリードの楽器で、
横笛と同様に旋律を演奏する。表7孔、裏に2孔ある縦笛。
音域は狭いが吹き方により音高を変える事ができるそうだ。


笙は吹き口がついた頭に17本の長短の竹管を立て
銀の帯で束ねた楽器。息をフィ着込み。小穴を押さえる事で同時に複数の竹管の
音を鳴らす。吹いても吸っても音が出る。
朗詠・催馬楽の時は単音だが、楽曲の時は
篳篥や横笛の旋律に対して、和音を演奏との事。


画像は「源氏物語六条院の生活」より


最近は東儀秀樹氏の雅楽演奏が有名。
http://www.universal-music.co.jp/classics/artist/hideki_togi/profile.html


バンコクでの演奏



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琴(こと)について(2)  きん(琴)

2008-01-16 09:50:48 | 音楽
源氏物語は紫式部が生きた時代よりも、100年前の時代を理想として描いているようだとどこかで聞いた事があるが、琴(こと)についても同様である。


琴(こと)には、7弦の琴(きん)、6弦の和琴、13弦の筝、そして琵琶があるが、
琴(きん)の琴(こと)については、
紫式部の生きた一条天皇の時代にはすでにすたれていたようだ。


和琴が日本のものであるのに対して、きん(琴)のことは大陸から伝わったものである。


楽の統であり、君子の側においた。
『琴者楽之統也。君子所常御不離於身(風俗通)』山田孝雄(源氏物語の音楽)
しかし、この物語では源氏を琴(きん)の第一人者として扱っている。


光源氏の才能を言い表す文がある。
『文才をさるものにて言わず。さらぬ事の中にはきん(琴)弾かせ給ことなむ一の才にて、
つぎには、横笛、琵琶、筝の琴(こと)なむつぎつぎに習ひ給へる 』(絵合)
きん(琴)が1番の才という。


その格調高い琴(きん)を弾いた人は、源氏物語では
光源氏の他に末摘花(末摘花)女三宮(若菜下)、
明石入道(若菜上)、明石の上(松風)、蛍兵部宮(若菜上)、
宇治八の宮(橋姫)、薫(東屋)、尼君(手習)である。


若菜下にあるきん(琴)論によると、
きん(琴)の奏法を得る事は大変難しいとある。
きん(琴)の音は天地をなびかし、鬼神の心を和らげ、悲しみを喜びに変え、いやしくも貧しき人も高き世にあらたまり、宝に預かる。


しかし、日本に伝わったはじめの頃の
宇津保物語の俊蔭のように、きん(琴)を弾くものは
長い間流浪したり学びとるために大変苦労する。
親子別れ(俊蔭・仲忠親子)をしたり、不幸になったりするという難をつけて、
今は伝わる人もいないと嘆いている。


そこで、夕霧は自分に伝わらなかった事を残念に思うのであった。


しかし、実際に伝わっていたら夕霧は不幸にはなっていたかもしれない。
女三宮が弾いた事はその後を思うに、何か意味深ではないかと講座の先生の解説にあった。


きん(琴)に関する注釈で私が学ぶ講座の村井利彦先生によると、
きん(琴)を大陸文化の象徴とし、何かの政変で今は失権した
その時代に権勢を誇っていた人達を表すという点は非常に面白く感じる。
私は末摘花をはじめ、単に皇統出身には格調高いきん(琴)だと思っていたからだ。


常々源氏物語は政治物語といわれている先生だが、
きん(琴)は、失権した明石一族の時代の象徴なのかもしれない。
だからこそ、明石女御の御子にその才能があれば伝えたい、三宮は才能がありそうだといった言葉に明石の上が涙ぐむと。


面白い事に同じ巻のその文章は写本の違いによって、2通りの考え方があるのに出くわした。


新潮古典集成では<三宮>とあり、
玉上琢彌氏の角川文庫「源氏物語」では<二宮>とある。


この御子たちの御なかに、思うやうに生ひ出でたまふものしたまはば、
その世になむ、そもさまでながらへとまるやうあらば、いくばくならぬ手の限りも、
とどめたてまつるべき。三宮「二宮」、今よりもけしきありて見えたまふを (若菜下)


ここの頭注をみると、玉上氏はきん(琴)ではなく琵琶の才能があるとある。


両者は写本の違いからこうなっている。
三宮が匂宮なのか、二宮が匂宮なのか定かではないが、匂宮なら面白い。


しかし、実際には匂宮は宇治十帖では
中の君を前に琵琶をひく(宿木)のみである。


この場面は国宝源氏物語絵巻にも描かれていてご存知の人も多いと思う。
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琴(こと)について(1)

2008-01-12 11:08:29 | 音楽

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源氏物語には様々な音楽描写がある。


特に弦楽器である琴や琵琶についての表現は非常に多い。


山田孝雄博士は「源氏物語の音楽」S44宝文館 において
 『源氏物語は音楽に関する記事多くして、しかも諸の方面にわたり
  旦つよくその音楽を理解して記述せるあと歴然なり』と、
述べておられる。


平安時代の貴族にとって音楽が教養の一つとして必要不可欠であった事は
伊藤伸吾氏の「風俗上よりみたる源氏物語描写時代の研究」S43 風間書房
によっても明らかであるが、
紫式部がその時代に生きていた人にせよ、
源氏物語における膨大な音楽描写と表現には驚くばかりである。


特に、同じ時代に生きた清少納言の「枕草子」の音楽描写と比較すると、
<日記>と<物語>という形態の違いこそあれ、両者の感覚の違いを非常に感じる。


「枕草子」に描かれている音楽は単に音楽会が催されたという風景描写や、
<無明>という琵琶の名前を知っていたという自慢話(93段)にすぎない。


特に琴(こと)については、
(217段)
 『弾くものは琵琶。調べは風香調。黄鐘調。鶯の囀りといふ調べ。
  筝の事いとめでたし。調べはさうふれん(想夫恋)』と、
いとも簡単に書かれているのみである。


紫式部日記には
『風の涼しき夕暮れ、聞きよからぬひとり琴をかき鳴らしては
 なげきくははると聞きしる人やあらむと、ゆゆしくなど覚え侍るこそ、
 をこにもあはれにも侍りけれ。
 さるはあやしう黒みすすけたる曹司に、筝の琴、和琴調べながら心にいれて
 「雨降る日、琴柱(ことじ)倒せ」などいひ侍らぬままに、塵つもりて立てたりし厨子 と、柱のはざまに、首差し入れつつ琵琶も左右にたて侍り』
という記述がある。


おそらく紫式部は非常に琴(こと)が好きだったのではないかと思う。
この点について萩谷朴氏は、「紫式部日記全注釈」で
『式部が筝曲の演奏にすぐれたものを有していた』と、述べておられた。


一人琴(こと)をかき鳴らしながら<をこ>にも<あはれ>でもあるという表現には
注目したい。
心理描写と音楽との融合。
実際、源氏物語には<あそび>として、華やかな音楽会としての琴の演奏だけでなく、
そういうしみじみした一人琴(こと)の場面も多い。


左大臣家の葵の上に会いに行くが、すぐにも女君はあらわれず、
つれづれと思いめぐらして一人琴をひく源氏の描写(花宴)や、
源氏が出家した女三宮の所に寄り、あわれなる音で一人琴を弾く場面(鈴虫)など、
その胸中を推し量る事ができよう。


また明石の上が紫の上に預けたわが子の事を思いながら琴をひく場面(野分)なども同様である。
読者に音楽を通してその心理を伝えているといえよう。


一方、琴(こと)の音色によってその女の人の存在を知るという手法も
源氏物語にはある。
末摘花との出会いなどもその一つであろう。
琴(きん)の名手であると聞かされて末摘花に興味を持つ源氏。
その後の展開は残念であったが、その後もしばしば出てくる末摘花の登場のきっかけであった。
そして明石の上の存在も、
明石入道と琵琶筝の話をした時に明石が名手と聞いて知る事になる。


宇治の橋姫では、
薫が阿闍梨から宇治八の宮の娘達の琴の音が川辺から聞こえてくるという話で
その存在を知る。


また花散里の巻の中川の女の出現は、
次第に琴の音が近づいて気付くといういわば遠近法的な手法がとられている。



紫式部は琴についての様々な描写を用いながら、
源氏物語の場面にふさわしい心理描写と音楽を選んでいる。


源氏物語以前の文学としては、「宇津保物語」も琴に関する有名な物語であるが、
その琴の音は自然界や神をも驚かすという現代離れした内容になっていて、
源氏物語とは少し表現が違うように思う。


だからこそ、源氏物語は琴をはじめ音楽を通して
読者に深く心の内を考えさせる稀有な文学といえるのではないかと思う。


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