源氏物語と共に

源氏物語関連

道長邸跡と紫式部の母

2017-09-18 11:45:14 | その他
先日、京都へ行った折に
東三条院の屋敷跡の碑を見ました。広大な屋敷です。

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後に、譲り受けて
道長邸になったようですが、
京都はこういう歴史の碑があり
面白いですね。

こちらは、足利尊氏邸 等持寺跡
イメージ 2

京都は、現実にあるから驚きます。

源氏物語は、基本フィクションとして描かれたと思っていますが(史実をモデルにして)、
その背景の実在登場人物などの名前を実際に見つけると、
ちょっと感激してしまいます

しかし、お屋敷での暮らしは
籠の中の鳥だったのかな?と、
江戸時代の大奥を想像してしまいます(笑)

その大奥では、源氏物語が好まれたのは調度品などから見て、ご存知の通り。

私の大好きだった 大奥の女達( 吉屋信子作)
おまんの方もそうでした。

1000年以上も語り続けらる事にも
驚きです。

さて、今まで紫式部の家系などには、興味がなかったのですが、
読書の秋 湖月抄の最初部分に
紫式部の母が摂津の守の為信の女(娘)という箇所を見つけ、ハッとしました。

紫式部は須磨や明石をどうして
あの時代に知っていたのかと
不思議に思っていたのですが、
摂津の国の西隣は、播磨の国ですし、
2~3歳の時に母は弟を生んで亡くなりましたが、摂津あたりの話や歌に興味を持っていたかもしれません。

後に実際に行ったかどうかわかりませんが、
妙に現実的な描き方と感じていました。
想像だけで描いたなら、描写が素晴らしいと思っています。


淀川を下ると、
住吉大社を詣でられます。

現在の住吉大社から向かいに六甲の山並みを見た時に、
六甲の山並みの近さをとても感じました。
山には緑の木がなく、裸山だった?
伊勢物語に見える
布引の滝が有名だったのですが、
当時は船で逆に行く事も出来たのでしょうか?

明石の上は船で住吉大社に来ていましたが。。

源氏物語は、
フィクションながら、
色々な現実背景を知りたくなる物語だと、いつも不思議に思っています(笑)
コメント
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