源氏物語と共に

源氏物語関連

夢浮橋

2010-02-15 11:39:49 | 登場人物
最後の巻となりました、


大塚ひかりさんの解説で驚いたことは
浮舟の弟小君に対して、横川の僧都が
時々は遊びにいらしゃいと、私とは浮舟との縁があるからという風に
うち語らひたまふという訳を、いわゆる男色の事を指摘された事です。


以前から、語らふという言葉について
見るという正式の妻ではなく、召人扱いという解説をされていたのですが、
ここでも男色的な訳とされ、
紫式部が僧都社会にまでそういう傾向にある事を批判していると。


横川の僧都は当時の有名な源信がモデルとも言われていますが、
どうなのでしょうか。


新潮古典集大成では普通に、親しく言葉をおかけになるとありました。


たしかに僧都は美しい浮舟を助けて後に出家させたものの、
薫から探していた人と聞くと、すぐに還俗をすすめるような人です。
浮舟と同じように美しいこの弟をみて、そういう風に言ったのも
おかしくはないのでしょう。


女一ノ宮(帝と明石中宮の娘)の病気を治すために宮中に呼ばれ、
無事に平癒させたほどの実力ある僧都なのですが、
明石中宮に小野で助けた浮舟の話をするなど
ちょっとうかつにも思えます。
そこで、浮舟の話が薫に伝わってしまいました。


もっとも、僧都が秘密をうちあけるというのは
源氏物語には多いと指摘されますが。
確かに冷泉帝は光源氏がおそらく実父であると
僧都から知らされています。


薫の和歌
のり(法)の師とたづねる道をしるべにて
       おもはぬ山に踏みまどふかな


何だか皮肉に感じる宇治十帖。
宇治の八宮とは仏道の話から仲良くなったはずなのに、
結局そこで宇治の姫宮達に惑い、浮舟に惑い、
出家どころではなくなったのですが。


読んでいくうちに
浮舟は男性になびかず、早く出家して欲しいと思うようになりましたし、
召人の立場や女性の自立も感じさせる内容でした。


薫は浮舟は誰か男の人に隠されているのだろうと
落としめてみているという最後の文は、とても滑稽に感じました。


最後まで登場人物の心のすれ違いで終わった宇治十帖でしたが、
一体何を紫式部は伝えたかったのでしょう。


世も末になって様々なことが乱れている世界を批判したのでしょうか。


とにかく1000年以上も語り続けられる源氏物語の魅力には
ただただ驚くばかりです。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蜻蛉まで

2010-02-10 12:02:50 | 登場人物
大塚ひかりさんの訳本は図書館からまだ連絡がなく、
結局最後の夢浮橋までの本を見つけて買ってしまいました。


そして、浮舟をすぎ、宿木、蜻蛉までどっと読みました。


大塚さんの訳の特徴なのでしょうか、
抹香くさいと思っていた宇治十帖が、妙に色っぽい感じがします(笑)


実際に男女の機微というか大人目線が感じられますし、
ある意味で現代的な感覚がします。


この件については電池切れさんも竹河で現代的と指摘しておられます。


一体、あの高貴な方達はどこへ行ったのでしょう?
直接的なもの言いではなく、
言葉の端に匂わせて語っていた光源氏をとりまくあの世界は?


くどくどと内面の言葉を語る若菜以降の現代的な感覚は
わかりやすいといえばそうなんですけれど、
以前の光源氏の世界と何だか違和感を感じました。


そして、蜻蛉までに行くにしたがって、
召人といった人達の存在や、
次第に台頭していくであろう武士のような具体的存在も見られ、
かなり現実的な状況も感じられます。


「どの帝の時代だったでしょうか」ではじまる霞の源氏物語が
一挙に雲の上から、地に落ちた感じがします。
実際に、はしたないとされる食べ物の事も宇治十帖では
少し出てくるのも特徴でしょうか。


しかし、逆に現代でも妙に納得できる感覚が
話として面白いといえばそうなんですけれど。


紫式部は宮仕えで高貴な方達の暮らしに触れ、
一方では一時出仕拒否となりました。
しかし、その後は心を慰め、何も知らないふりをすることで皆と交わり
彰子にまたお仕えして様々なことを見聞きしました。


もしかしたら、道長の召人となったのかもしれません。


源氏物語にはそういう人達の存在も描かれていて、
その人達が言葉を持っています。


浮舟については、匂宮と薫の感覚では、
召人よりは上ですが身分の差で
常に軽んじた存在になっていると大塚さんは指摘されます。
そんな薫の事も色々と解説されています。


また、よく出てくる「子を思う闇」は、
高貴な帝・明石中宮とて同じ人間として
浮舟の母と変わらないという視線があるように思います。


宮仕えで見た高貴な方達も同じだったのでしょうか。
紫式部日記にある
階段ではいつくばる駕籠かきを見る視線と同じかもしれません。


そして、私は何故か蜻蛉最後の薫の歌にひかれます。


『「ありと見て 手にはとられず 見ればまた
  ゆくへも知らず消えし蜻蛉 」 あるかなきか』 (蜻蛉)


世の無常という事でしょうか。「ははきぎ」を思い出します。
「ははきぎ」も、遠くにあって近づくと消えてしまう存在でした。


浮舟の一連の話では、何故か右近という夕顔の巻を思い出すような
同じ名前の人が出てきますし、空蝉の小君と同じ設定の弟も出てきます。


空蝉が逃げたように宇治の大君も薫に気づいて逃げ、
残された薫は中の君と何もなしに過ごすという状況も描かれます。
以前を連想させる事柄が繰り返されるのが不思議に思います。


また、身分の高い皇族がすべてなのかと思うとそうでもなく、
身分の低い所から出世した明石一族は薫の言葉で
「明石の浦は心にくかりける所かな」と持ち上げています。


匂宮は光源氏側で明石一族の家系。
浮舟を取られた薫はいつも負ける頭中将側になりますね。


宇治については昔の悲話がありますので、
それを下敷きにヒントを得たという話もありますが、
今後の浮舟と薫の状況を、
伏線らしき以前の登場人物の同じ名前にしてという所も面白いと思います。


何やら話が具体的で身近になっていく宇治十帖。
仏教関係の言葉に惑わされてはいけないように思います。
そこには現実に生きる人々と同じ感覚があるようにも思いますが。


1000年前も今も、人間は変わらないという事でしょうか。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひ弱なぼんぼん蔵人少将と竹河

2010-02-04 11:40:27 | 登場人物

イメージ 1


イメージ 2


光源氏が亡くなった後、
匂宮の巻では当代の貴公子達・匂宮と薫の成長を語り、
梅枝では柏木の弟=按察(あぜち)大納言一家に匂宮、
竹河では玉鬘一家に薫をからませた内容になっています。


この3巻は雲隠後から橋姫への橋渡しの巻で、
後に入れられたとか、別人が書いたという説もあるようです。


実際に、今までと違う人物性格や年齢の間違いの表記もあり、
官職も交互になっています。


竹河では、髭黒亡き後に、玉鬘が年頃になった2人の娘の結婚について
色々と悩む様子が描かれています。


退位した冷泉院(源氏と藤壺の子供)は、
髭黒に取られたとはいえ、尚侍(ないしのかみ)であった玉鬘を忘れられず、
美しいと評判の姉娘を欲しいと何度もいってきます。
これには少し下心があって、娘が来れば玉鬘も出入りするから会えるという
気持ちもあったようです。


玉鬘は光源氏とそっくりの冷泉帝のお顔も見ていて気持ちも知っていましたので、自分の結婚が髭黒に略奪された形になったのを申し訳なく思っていました。


同時に当代の帝からも入内を望まれていましたが、
あの明石中宮が権勢をふるっている内裏に入っては
髭黒も亡き後では不安と躊躇していました。


その姉娘に焦がれていたのが、夕霧と雲井雁の息子・蔵人少将です。
彼は玉鬘の3人の息子達とも年代的に合い、よく屋敷を訪れていました。
そしてついに桜の咲く頃に、
2人の娘達が碁を打つのを垣間見してしまいます。
この碁を打つ場面は、あの国宝源氏物語絵巻の竹河にも描かれていますね。


このぼんぼん息子は母や父をつついてお願いをするので、
雲井雁や夕霧も自分の息子可愛さに玉鬘に手紙を出しますが、
美しいと評判の姉娘は
出来れば臣下にはやりたくないと思っていた玉鬘は、
迷った末に、ついに冷泉院を選びます。


最初は故頭中将の娘である弘徽殿女御も応援するとういう約束でしたが、
秋好中宮もいる年かさの中へ若い娘が入ったため、院に寵愛されすぎて、
女宮と男宮まで生まれるも不評をかってしまいます。


玉鬘邸によく行っていた薫も、姉娘に興味を持っていましたが、
自分の秘密を知っていたせいでしょうか
残念に思うものの、もう一つ積極的にアプローチはしませんでした。


しかし、この蔵人少将は熱心で、年代的にも同じ薫と比べられ、
いつも自分が霞んでしまうと嘆く様子などが
ピエロ的で、ひ弱なぼんぼん風に描かれています


そこがちょっと可愛く、ジャパネスクの瑠璃の弟のようです。
今も昔もこういう息子はいますよね。


悪いと思った玉鬘は、今度は妹娘をこの人にと夕霧にも打診しますが、
当の蔵人少将は目もくれません。


結局、妹娘は姉の事で帝がお怒りという息子のすすめで、
帝へ入内することになり、
蔵人少将も最後は左大臣の娘と結婚しました。


髭黒亡き後、官位の進まない息子と比べて、
このぼんぼん息子の官位が進むのを見ると、
玉鬘はいい気になってと
しっかり批判しながらもわが身を嘆きます。


この巻では玉鬘の目を通して、
薫が柏木にそっくりで、和琴の音も同じであるという風に秘密を示唆され、
薫があの橋姫を思い出すという
宇治八宮の娘達の存在も語られます。


橋姫への導入が見事な巻といえるでしょう。


どの巻きだったでしょうか、すでに薫は柏木の名前を知っていて、
成仏していないのではと心配し、
かなうならば会ってみたいと思う描き方も面白いと思いました。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅梅

2010-02-02 16:44:17 | 登場人物
今年はいつもより早いのでしょうか。
ちょうど季節的にピンク色の梅が咲いているのを見ました。
紅梅なのかもしれません。


大塚ひかりさんの源氏物語。
匂宮・紅梅の巻に入り、面白くなってきました。
で、最後の1冊夢浮橋までの文庫は、図書館で借りる事にしました♪


紅梅の巻は大塚ひかりさんの解説によれば、
作者は紫式部ではなく、後世に書かれたいう説もあるそうです。


実際、指摘されているように、男色というのでしょうか、
そういう事を感じさせる表現があります。


しかし、以前の光源氏の空蝉の小君に対する表現の方が
さらっとしているようです。


この紅梅大納言(柏木の弟)の息子(母は真木柱)は
一夜を共にした匂宮に、
「帝の相手をしていたのに、姉が入内して暇になったね」と
皮肉を言われると、
「本当はつらかったが、あなたなら・」というあたり、
すでに相手に対して駆け引きが出来る子であったと指摘されています。


こういう風に男色の機微的な表現が見られるのは
後の院政の頃に書かれたのかもしれないと。


匂宮は彼の異父姉=宮の御方(父は蛍宮)への橋渡しのために
この子を可愛がっていますが。


そういえば浮舟と匂宮との逃避行あたりも
夕顔と光源氏よりもきわどい感じがありますが、どうなのでしょう。


とにかく、紅梅の巻は、
柏木の弟と真木柱の再婚同士の子供達を取り巻くお話です。


光源氏の異母弟である蛍宮とは上手くいかなかった真木柱が
夫亡き後に再婚して、明るくたくましく生きている姿は感動ものです。


そして必ず、当代にもてはやされる2人(匂宮・薫)も
紅梅大納言の言葉を借りれば、
あの光源氏の足元には及ばないという設定になっています。


そして、いよいよ匂宮・薫の本格的なお話へ。


考えましたら、
夢浮橋も空蝉と同じように小君のような子供(弟)が出てきて、
浮舟の拒否で物語が終わりますね。


宇治十帖も空蝉と同じ設定なのかもしれません。
はたして紫式部の意図は・・




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする