源氏物語と共に

源氏物語関連

東山紀之の源氏物語再放送

2008-12-26 09:25:37 | その他
情報☆

TBSで東山紀之の源氏物語を再放送するようです。

12/30、31連日朝8時から~
TBS番組表
http://www.tbs.co.jp/tv/daily/20081230.html

残念ながら関西では見られないようです(>_<)
またの機会を楽しみに~♪

南座の顔見世で海老蔵さんの光源氏も素敵☆みたいです。
いつかTVでやってくれないでしょうか。

来年の源氏物語マンガの放映が中止と思っていたら、
やはりするのでしょうか。
http://journal.mycom.co.jp/news/2008/12/25/010/

では、皆さんどうぞ良いお年をお迎えください。
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源氏・ゲンジ・genji ー源氏物語の翻訳と変奏ー

2008-12-22 09:26:38 | その他

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同志社大学の国際シンポジウムに参加してきました。


同志社大学は昔から憧れでしたが、建物の中に入ったのははじめて。


TVでしていた綺麗な学食でご飯を食べて、このシンポジウムに参加をしてきました。


源氏講座はだいたいが女性ばかりなのに、今回は男性がかなり多いと感じました。


大学院文学研究科の発表でしたが、一般人もOKでした。
熟年のおじ様やおば様に混じって若い学生さん達も見かけました。


トップバッターは源氏専門という岩坪健教授。
ー消えた・消された・作られた巻ー


桜人・輝く日の宮・雲隠・巣もりなど
今は伝わらないが、過去の注釈書によってその名前を知る事ができる巻や人物がある事、
また山路の露などの後世に創作された巻の存在がある事、
室町時代には仏教としての源氏研究がすすんだ事など、
独特の語り口でお話をされて、すっかり源氏ワールドにひきこまれました~
失礼ながら、何だかお公家さんのような雰囲気の先生でしたね。


次は近代の真銅正宏教授。
ー現代語訳で源氏物語を読むという事はどういう事かー
こちらもとても面白かったです♪


お2人がその研究の立場から、源氏物語に対する価値感の違いを
お互いに認められている事に感じいりました。


つまり、源氏には本当の原文がわからないから
論争できないのでは?という近代学者の目。


源氏は人生のバイブルですという源氏研究学者の目。


その違いが面白いですね~


源氏物語の同じ箇所を、近代学者として
現代作家それぞれの訳で比較された事は、その訳の違いがわかってとても面白かったです。


谷崎源氏にいたっては、主語のない原文解釈論争云々よりも、
その文章を谷崎文として、流れを重視していたエピソードなども紹介されていました。


また中国語訳をめぐっての研究発表や、作家ヴァージニア・ウルフと式部の比較、
哲学的な立場からの解釈(英語の発表だったので理解できず)、
あさき夢みし考ー宝塚のあさき夢みしとマンガー
なども、面白かったです♪


それと合間に朗読劇もありました。
衣装についてちょっと疑問に思った明石の上の色(紅系)ですが、
皆さんお上手でした。松栄堂の薫香も良い香りで良かったです。
寂聴さんの語り口で、紫の上が死ぬ場面では涙が出ました~


さて、本当に様々な解釈で論じられる源氏物語は
1000年経ってもすごいなあと思います。


私も一時、実物がないから机上の空論ではないかと
源氏物語を挫折した事がありましたが、
再び源氏物語を学ぶ機会を与えられた事に感謝しています。


これからもこの奥深い源氏物語を
次元の低い解釈ながらも、自分なりに楽しく学べたらと思っています。


さて、大塚ひかりさんが、ちくま文庫から源氏物語訳を出されました。
http://www.chikumashobo.co.jp/special/genji/
帝をミカドと書かれたそうで、
また機会があれば現代の解釈として、そちらもいつか読んでみたいと思います。


そして林真理子さんも和楽に連載中。
これからも様々な訳が出るでしょう。


しかし何といっても、原文が素晴らしいのではないかと思います。
とはいえ、本当の理解は難しいですから、自分なりに楽しみたいと思っています♪


年末になりました~
皆様お体に気をつけて、どうぞ良いお年をお迎えください。


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3年間の和とじ本

2008-12-19 08:54:08 | 日記

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昨日、最後の後期講座プリントを和とじ本にしました。


不器用なので、まあテキトーに作った表紙を持っていったのですが、
先生や講座の皆さんにひどすぎる!と笑われながらも^^;
優しい皆さんのおかげで、何とか2冊の和とじ本が出来ました(^o^)丿


橋姫~夢浮橋まで。
1冊に綴じるには分厚すぎて私は針を折りそうだと思い、
2冊にしましたが、それでも苦労しました~汗;


いつも人まかせで、やっと最後に綴じ方を少し覚えかけたかな?という程度の
全く手仕事オンチ?ぶりを発揮してしまいましたが、
全巻そろったのをみると感無量です。(若菜も2巻にしています)


1週間に1度の講座はしんどかったけれど、
3年間、比較的良く本を見て勉強したように思います。


講座後に感想を書くのですが、
全く支離滅裂な文章しか書けずビックリした事、
漢字が全くわからなかった事など、
長年のお気楽主婦生活のツケを反省した点もありましたが、
本当に良い記念となりました。


1月はいよいよ宇治遠足だそう~
寒そうです~(笑)


それしても講座の皆さんのするどい指摘や
源氏物語への情熱に、ものすごいメンバー!と感心してばかりだったと思います。


紫式部的性格じゃないので、かなり読むのにもしんどいものがありましたが、
とにかく3年間で原文を斜め読みながらも読めたことも嬉しかったですね♪


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夢浮橋

2008-12-13 08:49:07 | 登場人物

法(のり)の師とたづねる道をしるべにて
        おもはぬ山に踏みまどふかな  (夢浮橋)





高校生の頃から好きだった源氏物語。
やっと源氏物語講座が終了しました(^o^)/


思えば高校の授業で冒頭文を学び、
その後も夏の補習で桐壺全文を先生に教えてもらったのが
源氏物語を好きになるきっかけだったと思います。


そして与謝野晶子訳を読み、
ますます源氏物語が好きになりました。


残念ながら、原文は今も昔も理解が難しいけれど、
それなりに味わい、紫式部の伏線の多さを発見する事が
とても楽しく感じるようになりました。


念願かなって人数の少ない講座に学べたことはとても幸せです。


源氏物語は年齢を重ねた方が理解できるとどこかで聞きましたが、
まさしくそうではないかと思いました。


年代によっても感じ方が違う源氏物語の魅力と奥深さ。


また原文と口語訳の違いも今回知りました。


たしかに、宇治十帖は口語訳と違ってちょっと内容が下世話な感じがしました。


これはいわゆる心の中の言葉(内話)が細かく描かれているせいでしょう。
若菜以降そんな叙述が多く見られます。
あの光源氏さえ柏木に対する時や、薫を抱く時にその心中を語り、
世の常の普通の人になってしまったようです。


冒頭の夢浮橋の薫の歌は
まさしく出生の影を背負って出家しようとしたはずの薫が
宇治で大君に恋をした事で出家ならぬ思ってもみない山に
踏み惑っている様が描かれています。


まさしくそれは現代でもいえる事ではないでしょうか。


光源氏も、今まで出会った女性は仏のおきたまふ方便と、
仏の道にすすむために仏様が置かれたのだと言いました。


薫も同じように仏のおきたまふ方便といいましたが、
やはり最後に浮舟が他の男がいるのだろうと考えるあたりが
まだ悟っていないように思います。
ある意味、世の常で惑う人間の姿ともいえます。


源氏物語は、光源氏も藤壺との恋に惑い、
結局「ははきぎ」のように、遠くにあって近づけば消えてしまう関係でした。


薫も手習で、
ありとみても手にとれず、蜻蛉のように消えてしまった
と、歌を詠みました。


世は、はかなく、無常。つかまえたと思ってもはかなく消えてしまいます。


手習・夢浮橋には夕顔の巻や空蝉の巻を思い出される登場人物の名前が出てきます。
侍従・右近・紀伊守、また小君に似た浮舟の弟。
そういう所に空蝉の巻を響かせているそうです。


浮舟は最後にきっと空蝉のように薫を拒否するでしょう。


そして最後は、横川の僧都が言う「陵園妾」という墓守になって
今までの登場人物すべてを祈る存在になるのではないかと教えてもらいました。


先生のお話では、
宇治十帖でも最後に夕顔・空蝉の巻をひびかせて終わるという内容だったと思います。


「とぞ本にはべる」で終わった夢浮橋。


この文については後からつけ加えられたという説もあるようですが、
とにかくこの文でこの長い物語は終わりました。


氷室冴子さんのように作者の死で終わったと考えるのも楽しいかとも思いますが、
1000年も長き間に伝わった源氏物語の素晴らしさには、
ただただ感嘆あるのみです。


紫式部には是非ノーベル賞をあげたいですね。


今後も私なりに源氏物語を楽しみたいと思います♪


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手習 浮舟の心理

2008-12-03 08:56:37 | 登場人物

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閨のつま近き紅梅の、色も香もかはらぬを、春や昔のと、
異花よりも、これに心寄せあるのは、飽かざりし、にほひのしみにけるや。

後夜(ごや)にあ伽(あか)たてまつらせ給ふ。
下の尼の、少し若きがある、召し出でて、
花おらすれば、かごとがましく散るに、いとど匂ひくれば、

『袖ふれし人こそ見えね花の香の
       それかと匂ふ春の夕暮れ  』 (手習)




横川の僧都に助けられ、妹尼が亡くなった娘の身代わりだと思って
必死に介抱した結果、浮舟は意識を回復した。


何と宇治八の宮邸に住む物の怪が、浮舟に取り付いていたのである。
しかも、調伏された物の怪は、宇治の大君にもとりついて殺したという。


そこまで八の宮邸を恨みに思う物の怪とは、何だろう。


さて、冒頭の浮舟出家後の歌であるが、解釈は2説あるようだ。
「袖ふれし人」は、新潮日本古典集成は匂宮、岩波文庫山岸徳平は薫、
玉上源氏は2説あるとし、匂宮のようだ。



匂宮との2夜の逢瀬で閨近くに紅梅があったのかと
浮舟の巻を見たが、その描写はなく、
浮舟が次の日に紅梅かさねの着物を着た描写があった。


その事をさすのであれば匂宮である。


しかし、紅梅といえば、紫の上をさし、後に中の君が同じ二条院にひきとられ、
まさしくヒロインの位置となった庭にもあった。
また宇治の八の宮邸にも紅梅はあって、薫が両方を訪ねている事も思い出す。
浮舟は両方の紅梅を知っているだろう。


しかも、この歌の前で、出家前の浮舟の半生を返りみた文章には
ことごとく匂宮に契ったことを後悔している。


そして薫のことを思っているから、薫と思うこともできる。




親と聞こえけむ人の御かたちも見たてまつらず、
はるかなる東を、かへるがへる、年月を行きて、たまさかにたずね寄りて
嬉し頼もしとと思ひ聞こへしはらからの御あたりにも、思わずにて、たえ過ぎ、

さる方に、思ひ定め給ひし人につけて、やうやう身の憂さをも慰めつつ際目に、
浅ましう、もてそこひたる身を、おもひてゆけば、

宮をも少しもあはれと思ひ聞えむ心ぞいと怪しからぬ。

ただ、この人の御ゆかりに、さすらへぬるぞと思へば、
小島の色をためしにちぎり給ひしを、などてをかしと思ひけむと
こよなくあきにたる心地す。

はじめよりうすきながらも、
のどやかに物し給ひし人は、この折、かの折など思ひいづるぞ、こよなかりける
     (手習)




「宮をあはれと思ったのはけしからない、この人のゆかりで身をさすらってしまった。
どうして小島の色をちぎった人をすてきだと思ったのであろう」と、後悔している。


そして薄きながらものどやかな薫のことを思い、
ちょっと生きている事を知られるのを期待しているような文章もその後にあった。


しかし、ここではかごとがましい(恨みがましい)花同様に匂宮と考えよう。


雪という事で、それを思い出す新春に、出家して吹っ切れた浮舟の
まさしく美しい青春の残像歌としよう。


画像は源氏物語図屏風 浮舟より


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